44 戸惑いのある部屋 【44-4】

梨那は、まだ展示前にも関わらず、どうしてこの場に逸美がいるのだろうと考える。


「あの……」

「すみません、先生の新作が展示されるとお聞きして、フライングですが、
少し見学させてもらいたいと、青木社長にお願いしました」


逸美は梨那の父、文明に連絡をし、展示会の前に会場に入る許可をもらったと言う。


「そうですか」


梨那は帯を直していた台から降りると、ヒールを履き、

すぐにでもこの場を離れようとする。


「しばらく大阪の方へ行きますので。開催中は東京にいられなくて」


逸美は愁矢との結婚準備があるため、しばらく大阪に行くのだと話した。

梨那は、『結婚』が流れてしまった自分の前で、嫌みを言っているつもりだろうかと、

顔を背ける。


「……少しだけ、お話しできませんか」


逸美の言葉に、梨那は数秒沈黙を送り出す。


「私と中村さんに、話せるようなことが……」


互いに何も知らないふりをしているが、実は心の深い部分で知りあっている。

梨那は『話しは特に』と避けようとする。


「青木さん……いえ、梨那さん。互いにとぼけるのはやめましょう。
あなたと私は、話したことがあまりないとはいえ、お互いを知っているはずですから」


梨那は冷静に見える逸美の表情が、勝ち誇っているように感じてしまう。


「私と話をしたくないというお気持ちもわかります。私にもそういう時期がありました。
でも、今の私だから、言えることがあると思うので」


逸美はそういうと、10階にある喫茶店でお待ちしていますと梨那に頭を下げた。





『三国屋』の10階にある喫茶店は、座席数はそれほどないものの、

空間は広く取ってある贅沢なつくりだった。ざわついた雰囲気はまるでなく、

それぞれの空間が、独立した場所のように設定されている。

逸美は話があるのでと店員に言うと、店の一番奥の席を取ってもらう。

窓から都会の街並みを見ながら、

遠くに岳と過ごした『桜北大学』のキャンパスがある緑の森を見つけた。

卒業してから、すでに8年以上が経っている。

それでも、当時と同じようにあの森の奥に校舎やグラウンドがあるはずだけれど、

東京の進化は止まらないのか、周りのビルはさらに増えた。

懐かしい時間を呼び起こしていると、人影がうつる。

前を見ると、梨那が立っていた。

逸美は『どうぞ』と前の席に座って欲しいと声をかける。


「すみません」


梨那は席に着くと、逸美と同じように『アイスティー』を注文した。



店内には、数名の客がいて、時々笑い声が届く。

BGMはオルゴールなのか、一昔前の曲を、優しく奏でた。

梨那の前に『アイスティー』が届き、入れたガムシロップが、底に沈んでいく。

梨那はストローでかき混ぜると、軽く吸い込んだ。


「ここまで来てくれたのなら、互いに遠慮はやめましょう。
今日は、本音で話そうと思ってきたの。だから、知らないふりはしないわ」


逸美の言葉に、梨那もそのつもりだと頷き返す。


「梨那さんのこと、私はよく知っていた。岳が私と会わない時間に、
あなたに会っていることも……」


逸美の言葉に、梨那も『私も同じ』と言い返す。


「でしょうね。自分の相手が私だけではないということを、
岳はあっさりと認めていたし」


逸美はその期間がずいぶん長いような、

それでいて短いような気がするわと笑みを見せる。


「私は中村流を継ぐから、彼は『BEANS』を継ぐから……だから、
最終的には別れることになるのだと、いつも自分に言い聞かせてきた。
限りある関係だから今が楽しいのだと、そんなふうにね……」


逸美は、そんな考えは今思うと、自分のプライドを保つためだったと話す。


「でも、本当はただ怖かった。岳に『もう会わない』と言われてしまうことが怖くて、
結婚の話が舞い込んだとき、自分から離れる選択肢を取った。
あなたが振るのではなくて、私がって……」


逸美は、それはある意味の賭けだったと言う。


「賭け?」

「そう……さようならと自分から言えば、『待て』と岳が言うのではないかと、
互いの思いは、もっと深くなっているのではないかと、そう思って賭けに出た。
でも、見事に思い通りにはならなかった」


逸美は自分は本当に愛されていたわけではないと、気付かされたと話し、

しばらくは気持ちが乱れたことも語る。


「自分自身が何を考えているのか、わからないくらいになって。それから、
何もうまくいかなくて……だから失敗もたくさんした。
プライドのために、人を傷つけたり、自分も傷ついたり……」


梨那は、逸美の葛藤を初めて聞き、そんな時間があったのかと驚いた。

梨那は、逸美が岳とのことをさっぱりと清算し、

自分の未来のため、愁矢と歩くことを決めたのだと、思っていたため、

言葉を挟むことも忘れてしまう。


「自分がボロボロになる中で、その傷を癒してくれたのは愁矢さんだった。
私にとっては初めてなの。何があっても受け止めてくれると思えるような人は。
負けず嫌いで、素直になれない気持ちも理解して、
それごと受け止めてくれる広さを持っている人……私が本当に待っていたのは、
この人だったと、いつの間にか思うようになっていた」


逸美は、岳と会っていた頃より、自分自身が楽にいられるのだと梨那に語る。


「今思うとね、岳との時間は、いつもどこかで無理していた。
張り合わないと負けてしまったら置いていかれるって、
いつもピリピリしていた自分が、全然違う場所に立てた」


逸美は、梨那を見る。


「きっと、あなたの影があることを知っていたから、負けまいという思いばかりが強くて、
どこかずれていたのかもしれないなと、今は思うの」


女同士の張り合いが、気持ちの頂点にあったかもしれないと、少しだけ笑みを見せる。


「あなたも……梨那さんもそうではないかなと、思って」


逸美は、お互いに見えない相手と張り合っていたのではないかと話し、

そこに無理があったのかもしれないと振り返る。


「岳は変わった……というより、彼の本当の部分を、私は見ることが出来なかった。
出してあげることが出来なかった」


逸美の言葉に、梨那は別れを告げた時の、岳の言葉を思い出す。

梨那が悪いというわけではなく、『彼女』と出会ったことで、

本当に自分が何を求めていたのかがわかったと、そんなセリフを言っていた。


「でも、そのおかげで今の彼と出会えて、私も自分を見ることが出来たから」


逸美は、梨那にもこれからきっと、そんな出会いが来るはずだと話す。


「生意気な言い方に聞こえたら、ごめんなさい。
私なりに伝えたかっただけだから……」


逸美は、父が余命を数えるほどの病状にあるが、『三国屋』で展示会を開けて、

本当によかったと頭を下げた。



【44-5】



コメント、拍手、ランクポチなど、お待ちしています。(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪

コメント

非公開コメント