45 二人の時 【45-3】

あずさは、ここは聞くべきところだと視線を前に向ける。


「やってきたことに自信もあったし、実際、意見も採用されてきた。
それでも、俺や敦に対して、批判的な目を向けてくる社員がいることも
わかっているからね。だから誰が来ても、何があっても、『引くことは負けること』。
その考えは動かすまいと思っていたし、気に入らないのならかかってこいと
思い続けてきた」


岳の言葉に、あずさは小さく何度か頷く。


「それがだ……あずさと関わるようになって、あっという間に考えを覆された」
ウソのように」

「ウソ……ですか」

「ウソって言うのはおかしいのかな。いや、でも、予想外のことに巻き込まれて、
自分が自分ではないような、そんな錯覚さえあったかもしれない。
そこから思いつかないことを思いついたり、避けていたところに、
急に興味を持ったり……」


岳は、『Sビル』のことが、そもそもだと話す。


「『アカデミックスポーツ』という社名も、あずさが相原家に来て、
久しぶりに聞いた。あ、そういえば、あのビルの中にあったよなって」

「……倉庫だって言ってましたよね、岳さん」

「そう思っていたからね」


岳は、社長の柴田や、事務の小原、PC担当のほたるの顔を、思い出していく。


「力さえあれば、実力さえあれば、押し切っていけると思っていたのに、
あの人たちにはそれが全く通じていなくて。敦がかわされていたことも知っていたから、
最終的には『強制退去』かと、そんなふうに思っていて。
でも、あずさが来て、風が変わった」


岳は、庄吉がよく話す『風』の言葉を使う。


「そう……『風』だった。でもその風は迷惑なものではなくて、
実はみんなに『求められていた』。だから、あずさのやることがおかしいなと思っても、
周りが後押しして、それが大きな力に変わった」


岳は、『求められてこそ』が、一番大事だったと、あずさに語る。


「自分の価値感を相手に押し付けるのではなくて、相手の思うことを汲み取ること、
それが仕事の中で大事なのだということが、俺の中にかけていたということが、
よくわかった」


岳は、そういうとあずさを見る。


「君に……そんな基本を、教えてもらった」


岳はそういうと、スプーンを持っているあずさの顔をじっと見る。


「『アルペンジホテル』での立食パーティーの日、
ローストビーフや海老シューマイの話をしているあずさの顔が、
本当にかわいいと思えたからね。だから、そんな顔がもう一度見たくて、
こうしてここへ連れて来た」


岳の言葉に、あずさは『はい』と返事をする。

立食パーティーの日、思い出すと自然に岳の手があずさの手をつかんでいた。

今振り返ってみると、この日を迎える、

小さなきっかけを生んでいたのかもしれないと、思えてくる。


「だからもったいないとか、贅沢だとか、そんなことを君が考える必要はないんだ。
俺は自分で働いたお金を使って、ここに来て、
そんな君の顔を見ようとしているわけだから」


岳の言葉に、あずさは目の前にある『あんみつ』を見る。

コンビニやスーパーで買うものとは、ひと味もふた味も違っていた。


「これ、本当に美味しいです」


岳は納得するように、一度頷く。


「私は逆です。以前は、何も考えずに気持ちのまま動けたのに、
今は岳さんがどう思うのかばかり、色々と考えてしまって。
迷惑かけないようにとか、周りから笑われないようにとか、
だから、変な力が入っているというか……」


あずさは残った『あんみつ』を最後まで食べ終える。


「自分のお給料では、食べることが出来ないような贅沢。
こんなふうに味合わせてもらって……」


あずさは、空になった器を見る。


「幸せです……」


今日は、ご褒美をもらった気分ですと笑う。


「ご褒美?」

「はい……」


あずさは東京に出てきてから、色々なことがありましたよねと、

思い出を振り返ろうとする。


「『Sビル』のこともそうですけれど、村田さんのことも……あ、それに……」


あずさは、大事なことを思い出したという意味なのか、両手を胸の前で合わせる。

そして、『ミドルバンドのコンサート』を開けたことが一番思い出だろうかと、

少し考えるような仕草を見せた。

岳は、目の前に座っているあずさが、巻き込まれたはずの数々のトラブルを、

楽しかった思い出だと表現している姿を見続ける。

逸美とのトラブルで骨にヒビを入れてしまった後も、

会社がおかしくなったことを知ったときも、いつもあずさは笑顔を絶やさなかった。

岳は、トラブルの中で、あずさに辛く苦しい顔ばかりされていたら、

この日は来なかったかもしれないと考える。

あずさが、誰にでも受け入れられるような明るさを持っている人だからこそ、

岳は、自分の気持ちを理解してもらえるような、気持ちになれた。


「あ……そうそう、村田さんからいただいたプラモデル、岳さん作りました?
私、『ミニキッチン』をいただいたんです……それで……」

「限界だ……出よう」

「エ? あ、はい」


話の途中で岳が立ち上がったので、あずさも慌ててバッグを持った。

『限界』とセリフが、どういう意味なのかわからず、

あずさは自分が好き勝手に話をしたことがいけなかったのだろうかと、考える。

岳は、支払いを済ませた後、店の外に出た。


「あの……」


岳の右手が、あずさの左手をつかむ。

あずさは、ここでどうするのかどうなるのかなど聞くことは出来ず、

ただ、岳の動きに従った。

手をつなぎながら廊下を進んでいく。あずさはその中で数回、岳の顔を見る。


「岳さん……怒ってます?」


そんな言い方をしてはいけないのではと思いながらも、

気になりすぎてセリフが出てしまった。

岳は突然あずさからの出てきた予想外の質問に、すぐ振り返る。


「怒る? 俺が?」

「だって……急に『限界』って」


あずさは、思いつくまま好き勝手に話そうとしていた自分が、

悪いのかもしれないけれど、岳と一緒に作った思い出だから語りたかったと

そう言い始める。


「本当に……『東京』に出てきてから、色々なことが……」


真剣に向かい合おうとするあずさの右頬に、岳は軽く触れる。


「大丈夫、怒っているわけじゃない……」

「本当に?」


あずさの不安そうな目に、岳は思わずこの場で引き込まれそうになったが、

エレベーター前に数人の男性が来たことに気付き、気持ちをストップさせる。

自分の送り出した、キーワードの意味が伝わらないあずさを、

早く安心させてやりたいと思いつつ、その奇跡のような状態に、自分自身の気持ちは、

冷静とは逆向きに動き始める。


「話しは……ゆっくり聞く」


岳はあずさの耳元でそうささやくと、『上』に向かうエレベーターを待った。



【45-4】



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