45 二人の時 【45-4】

握られたままの手を見ながら、

あずさは『一緒にいたい』という気持ちは、自分も岳と同じように持っているのだから、

あれこれ頭で考えることなどせずに、ただ着いていこうと考える。

岳の押したボタンは、当然ながら客室の階だった。

一緒に乗った男性客たちはすぐにいなくなり、

二人だけのエレベーターは、あずさの思いなど気にすることなく、上昇する。

岳に手をしっかりと握られたまま、あずさは黙って部屋に向かった。

廊下を歩き、カードキーを差し込むと揃って部屋に入った。

扉を押して入ると、そこに広がる空間は普通のホテルの部屋と違い、

間取りも広く、都心の夜景が楽しめる大きな窓もあった。

岳はあずさの手を離し、上着を脱ぐとネクタイを外す。

それを窓近くにある籐の椅子の背もたれにかけた。

こういった場所に慣れているような動きに、あずさはただ目を動かすだけになる。

そのあずさ自身は、岳の手が離れてから、先に一歩も進めなくなっていた。

『一緒にいる』と言われたのだから、部屋は当然1つだし、

ベッドは二人でも余るくらい大きなものが1つだけある。

こんなとき、どんな話をしていればいいのか、どこにいればいいのか、

あらためて自分は何も知らないのだと視線だけを動かし続ける。


「あずさ……」


岳の声に顔をあげると、そんなところに立っていないでこっちへと声をかけられる。

あずさは緊張する足をゆっくり進め、とりあえず岳の上着がない籐の椅子に座った。





「あぁ……もう、全然わからない」


その頃、相原家では宿題のプリントを机に並べたまま、東子が大きな声を出していた。

頼ろうと思った岳はいまだに戻らず、いつ帰ってくるのかもわからない。

滝枝の話しでは、『夕食は必要ない』と言って出て行ったと聞いている。

しかし、『BEANS』が休みの日であることも、父親の様子でわかっていた。

となると、プライベートで出かけたと考えるのが普通になる。


「はぁ……」


東子は、『妹の予感』を働かせ、

岳がこの後戻ってくると言う選択肢はないだろうなと思いながら、

鉛筆を机の上で転がした。





「あずさ、上着取ってくれないかな。ハンガーにかけておく」

「あ……はい」


あずさは椅子から立ち上がり、岳の上着を取った。

ハンガーを持っている岳のそばに向かう。


「あ……」


岳がつかんだのは、上着ではなくあずさ自身だった。

あずさは上着を手に持ったまま、どうしたらいいのかと固まってしまう。

岳の大事な上着だと思い、下に落とすわけにもいかないため、

その両手が妙に浮いた状態になる。


「……クッ」


岳は笑いをこらえるようにすると、腕の中からあずさを逃がし、

その手にあった上着を受け取った。ハンガーにかけるとクロゼットに入れる。

あずさは、また笑われてしまったと、視線も気持ちも下に向いてしまった。


「なぁ、さっきの話の続きだけれど……」

「……そんなに私、おかしいですか?」


あずさはそういうと、上着のなくなった手を握りしめた。

岳は、急に声のトーンが落ちたあずさを見る。


「あずさ……」


『恋』に慣れた大人の女なら、誘い方も誘われ方もわかるのだろうが、

あずさには何もかもが初めてで、しかも予想以上の部屋の状況に、

浮いた気持ちだけがそこにあるが、コントロールできなくなる。


「私、きっと今日はこの後おかしなことだらけです。だから笑うのなら、
今、ここで思い切り笑ってください」


岳はクロゼットの場所から、あずさのそばに戻ってくる。


「ごめん……あのさ」

「今日は岳さんにお任せすると、確かに言いました。
でも、思いがけない買い物があったり、食事をしている場所でも、
話の途中で急に出ると言い出すし、ここに入ったら今のようにからかって……。
そうなんです。私、田舎者なので立食パーティーも知らないですし、
こんなホテルの素敵な部屋も、入ったこともないですし、どこに座ったらいいのか、
何をしていたらいいのかも全然わからなくて……」


楽しく話をしていたら途中で止められてしまい、言われた通りのことをしようとしたら、

からかうようなことをされてしまったと、あずさは訴えようとする。


「私……」


文句を言っているあずさの体は、再び岳に抱きしめられる。

上着を渡そうとしたときとは違い、岳の両手はしっかりと回される。


「あずさ……」


『あずさ』という自分の名前が、優しく耳元に届く。

あずさは、その響きを受け止めるように、その場で目を閉じた。


「君を笑うつもりも、怒ったつもりもない。食事の場所で、限界だと言ったのは、
話を聞きたくなかったからではなくて、あずさの声も、楽しそうな表情も、
全部ひとりじめしたかったからだ……」


岳はそういうと、あずさの首筋に唇を当てる。


「今も、からかったように見えたのなら、ごめん。そんなつもりもない。
今日はずっと、緊張しているのがわかっていたから、
少しでも固さが取れたらと思っただけで……」


岳の視線が、あずさを見る。


「笑えるくらいなのは俺の方だ。
今まで人のことなんて考えて行動をしたことがないから、
自分でも振り返ると、こうした時間が強引だったのではないかと、そう思っていた。
買い物をして、食事をして、さっきも言った通り、ただ君が笑ってくれたらそれでと……」


岳はあずさの頬に軽く触れ、そして優しく口付ける。


「……でも、いつまでもそれだけでは終われないから。
どうしても一緒にいたい。だから『限界』だと、そう言った」


岳の言葉に、あずさは目を開ける。

その時、初めて『限界』と言う言葉の意味を知り、一瞬にして顔が赤くなる。


「今日は全てを任せてと、そう言ったよね」


岳の問いかけに、あずさは頷く。


「だから……今から全てを俺に任せてくれたらいい。
わからないなら怖いかもしれないし、どうしたらいいのか迷うかもしれないけれど、
それでいいんだ」


岳に導かれるように、あずさはベッドの端に腰を下ろした。


「俺を信じてくれたら……それで……」


岳の唇の動きに、少しずつあずさの体がベッドの方に倒れていく。


「あ!」

「何?」


流れていくように思えた雰囲気が、あずさの声に一気に吹き飛んでしまう。


「あの……シャワー……」


あずさはシャワーを浴びますと、岳の体に両手で抵抗する。


「シャワー……」


岳から、何も言われないことに対して、あずさの声が小さくなってしまう。

あずさはそらした目を、ゆっくりと岳の顔に向ける。


「……で、いいと思うのですが」


あずさの弱くなってしまったコメントに、岳はまた笑い出す。


「あずさ、一緒に入ろうか」

「……いえ、いいです。ハードルが高すぎます」


あずさはそういうと、飛び跳ねるようにベッドから降りる。


「すぐに戻ります」


そういうと早足でバスルームに向かう。

岳は、自分が思っていた通りだったのだと、あずさの気持ちを振り返った。



【45-5】



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