46 ご指名の人 【46-3】

『あずさ……』


「はい……」


あずさは歯磨きをしながら、呼ばれた声に返事をする。

といっても、岳はもちろんいない。


「あずさ……か」


あずさの『ふわふわっとした』気分は、月曜日の朝まで続いたが、

それでも遅刻をするわけにはいかないと、洋服を着替え、いつものように仕事に向かう。


「なんだかあずさちゃん、楽しそう」

「そう?」


友華と一緒に駅まで向かい、職場となる場所まで話しながら歩く。


「そうって、何かあった?」

「そんなこと、別に……『いつもの朝』だよ」


そう、いつもの道はいつもの人たちが歩き、

いつものような時間がスタートするはずだった。

しかし、いつもなら何もない場所に、1台の大きな車が止まっている。


「どうしたんだろう、あんなトラックと、車」

「うん」

「何か、機械でも入れ替えるのかしら」


あずさと友華が不思議そうに視線を向けながら、会社の門をくぐると、

すでにそこには野次馬とも言える人たちが、

会社の奥に立つ数名の男たちにに目を向けていた。

友華とあずさも、その隙間から奥を見ようとする。


「誰? 有名人?」


あずさは懸命に背伸びをするが、元々背が高いわけでもないので、

何が起こっているのか見ることが出来ない。


「見えた? 友華ちゃん」

「ううん……見えない。でも、誰も俳優の名前も言わないから、
そういうことじゃないのかも」


同じようにあまり背の高くない友華も、何が行われていて、誰がいるのかもわからない。

友華は諦めて中に入ると言うので、あずさもそれ以上頑張る必要もなく、

二人は職場に入っていく。

すると、いつも京子と軽い世間話をする小さな仕切りのある部屋に花輪の姿が見えた。

あまり会いたい相手ではないので、あずさの足が止まる。

いくら嫌な相手だとしても『ザナーム』の社員である以上、

ここに出入りするのも、当たり前なのだが、

あずさにしてみると、『アカデミックスポーツ』からこちらに来るとき、

持ち逃げ事件のことを言われ、その後も、その噂はウソだったと、撤回されてもいない。

あずさは一度大きく息を吐くと、『おはようございます』と中に入る。


「あ、宮崎さんです」


京子の言葉に、下を向き、タブレットをいじっていた花輪の顔が上がる。


「あぁ……」


向けられた目の冷たさと、かけられた言葉の無機質さに、

あずさはまた何か嫌みを言うのかと、自然と身構えた。

花輪はタブレットをテーブルに置く。


「宮崎さん、ちょっといいかな」


花輪はそういうと自分が立ちあがり、そこに座るように指示を出す。

あずさは、いつも自分が座っている場所なのだから、

言われなくても座りますよと思いながら、黙って腰掛ける。


「会社の奥が賑やかだっただろう」


なぜか花輪が得意げな顔で言ったため、あずさは『そうでしたか』と首を傾げる。


「『TVCテレビ』の担当者が外にいるんだ」

「テレビ……」

「そうなのよ、新しいドラマの撮影なんだって。主演は今人気の『萩野カンナ』で……」


京子は、花輪の顔を見て、『すみません』と指で口をチャックしてみせる。


「ドラマの内容は今知らなくてもいい。うちの敷地の奥にある、木造の倉庫。
あれが今回、ドラマの中で、主人公が立ち寄る店の表として使われるようなんだ」


花輪は、撮影場所として提供することが決まったので、どうスケジュールを決めるのか、

今打ち合わせていると言う。


「主人公は今、田中さんが言ったとおり、『萩野カンナ』だけれど、
そこにうちのCMに出演した新人女優、『星川美佳(みか)』も出ることになった。
主人公が立ち寄るスポーツジムの受付として登場する」


花輪は、この撮影には『アカデミックスポーツ』のジムが関わるため、

その撮影に同行してくれないかと言いはじめる。


「私が……ですか」

「あぁ……もちろん、私がディレクターなどとは打ち合わせをするけれど、
女優は女性だから、男が入っているより女性がいたほうが和むだろうと、
そう提案された。それに、今、宮崎さんが抱えているような仕事もないだろうしね」


花輪は、ホチキスでまとめられた紙を出す。

抱えている仕事がないという表現に、あずさは、花輪の自分への評価がわかり、

『まぁ、そうですが』と小さく返事をする。


「でも花輪さん。宮崎さんは……」

「ここを見て……」


花輪の話しは、京子の意見の上からかぶさってくる。

京子もこれ以上話すのは、自分のためによくないのではと、また口をチャックした。

あずさの目は、紙に書かれた企業名を見る。


「『BEANS』が今回は全面協力だそうだ。
主人公の暮らす家は、『BEANS』の分譲をそのまま使用するらしいしね」


花輪は、だからこそあずさなのだと軽く笑みを浮かべる。


「他の女性を連れて行くより……君の方がいいと、そう思わないか?」


花輪の、どこか挑戦的な言い方に、

あずさはカチンと来たが、言い返すことはせずに資料を見る。


「あの……」

「これは業務命令だ。『ザナーム』の仕事として、給料を出してのことですが」


断っていいものではないのだと、花輪はあずさを見る。

あずさは何も言わずに、資料をめくっていく。

そこには確かに花輪が言ったことと同じ内容が書かれていた。

それにしても、せっかく仕事に慣れてきたのにと、自然とため息が出る。


「宮崎さんでないと……ダメなのですか」


京子は、花輪にそう聞いた。


「今も言ったとおり、宮崎さんが適任なのだと思いますよ、
少なくとも田中さんではないですね」


花輪の言葉に、自分の心が読まれたと思った京子は、

『そうですよね』と笑ってごまかした。



【46-4】



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