49 華の仕事 【49-4】

リハーサルの時間は、予想以上に長くかかり、役者たちが解放されたときには、

すでに星が顔を出すような空の色になっていた。

千晴は、時計で時間を確認し、そのまま家に帰ろうかと思ったが、

一度会社に顔を出しておかないと、ただのさぼりだと思われるのも癪なため、

電車に乗り、『BEANS』を目指すことにする。

リハーサルは、カンナよりも美佳の方が少し早めに終わっていた。

星野美佳と一緒に、萩野カンナと食事をすると言っていたあずさは、

どこで待っているのだろうと思ったとき、

廊下の窓から、スタジオの前にタクシーが到着したのが見えた。

千晴は、それに乗り込むのが、美佳とあずさだったことに気付く。

以前、美佳と一緒にいたマネージャーの姿はなく、乗ったのは2人だけだった。

タレントとスタッフが一緒に食事をすることなど、取り立てて珍しいことでもないし、

星野美佳は、まだ駆け出しと言えるくらいの芸暦なため、

一般人であるあずさと行動をしても、それほど問題にはならないと思い、

千晴はあえて止めることもしなかった。

『一緒に』というキーワードを出されたときには、さすがに、完全な素人ではない自分が、

タレントと浮かれて食事を楽しんだと思われるのも嫌だと、すぐに遮断したが、

いざ、あずさが一人で出かける姿を見ると、これでよかったのかと、

不安の種が見え始める。

すると、さらに目の前に1台のタクシーが止まる。

千晴の目の前で、ドラマのプロデューサー、川端雄哉が乗り込み、

前を走ったあずさたちの車に張り付くように走り始めた。

千晴の脳裏に、以前、所属していた事務所の社員から聞いた噂話が浮かびだす。



『川端さん、若いタレントを『華』として斡旋しているらしいよ』



『華』という表現になっているが、ようは駆け出しの女性タレントを飲み会に誘い、

手ごろなホステス感覚で利用するという意味だった。

その場で『華』として帰るのか、さらなる時間がプラスされるのか……。

昔、仕事の代わりに別荘へとある監督に呼ばれた千晴に対し、

そんなことはダメだと戒めた雄哉の、『裏の顔』。

信じられない、信じたくないと言う思いと、どこかでやはりの思いが交差し、

長い間、千晴の心に、傷を残し続けてきた。

千晴が、この仕事が『BEANS』がらみだと言うことを知り、武彦と浩美に頼み込み、

カンナの担当にしてもらったのは、その噂を確かめたかったからだった。


「すみません、『BEANS』さん」


廊下を歩くスタッフに、千晴は呼び止められる。


「はい」

「これなんですが……。撮影のスケジュール。実は萩野カンナ側から、
急遽ずらして欲しいとお願いが入りまして。午前中のお約束でしたが、
午後からというのは、無理でしょうか」


スタッフは、あらためて広報には連絡をするが、先に話だけでも入れてもらえないかと、

千晴に書類を渡してくる。千晴はそれを受け取ると、とりあえず渡しておきますと、

スタッフに返事をした。



『今日も千晴さんの横で、コバンザメのようにしていました。
これからお食事会に向かいます』



美佳と乗り込んだタクシーの中で、あずさは岳あてに返信メールを入れた。

それを読んだ岳は、千晴が嫌そうな顔をしながらも、

何かと世話をやいている様子が目に浮かび、思わず苦笑する。

東京に来た当初、自分の考えとは正反対なことをするあずさに対し、

『ストレス』を感じながらも、そうせざるをえなかった自分のことを思い出す。

正しいのはこちらだと思っても、なぜか周りの空気は、あずさに向かって動きだし、

知らないうちに、その波に巻き込まれていた。



『お休み、取れるように頑張ってみます』



返信の最後は、この文章で終わっていた。

岳は一度携帯を閉じたが、またすぐに文面を開く。


『お食事会』


相手がどういう人なのか、あずさからのメールには書き込まれていなかったが、

仕事を開始すると、流れがよくなるように関係者で会を持つのは、

自分の体験でもよくあることだと思い、携帯を閉じる。

岳は、自分も出来る限り頑張って休みが取れるようにしようと、書類に目を向けた。





千晴は、スタッフに渡された書類を持ち、『BEANS』に戻ってきた。

エレベーターに乗り、9階を押す。



『タレントさんに食事に誘われたら、行ってもいいのかなと……』



千晴はカンナの担当、そしてあずさは美佳の担当なのだから、

それぞれが自分のポジションを取ればいいだけで、自分には関係ないと思うものの、

二人の後を、雄哉が追っていたように思え、胸騒ぎが消えなくなる。

先日、美佳のマネージャーが、自ら雄哉に『華』の仕事をと迫っていただけに、

もしかしたら何か仕組まれていないかという思いが、『大丈夫だろう』に勝っていく。

『経営企画』の部屋に入ると、当たり前のように数名の社員が席に座り、

仕事を続けていた。泰成や新人のまどかもその中にいる。

千晴は、どうせ自分は何もやることがないのだからと、そのまま広報部に降りるため、

軽く片づけを済ませると、エレベーター前に向かった。


「千晴さん」


声をかけてきたのは岳だった。

千晴は、また何か文句を言うつもりかと、岳を見る。


「何か……」

「リハーサルは終わったの」


岳の言葉に、千晴は『はい』と返事をし、今から『広報部』に書類を出しに行くと、

それだけを告げる。


「そう……」


いつもなら、もう少しこうしろだとか、もっと時間が有効に使えないのかと、

文句を言われるタイミングだが、岳からはそんな厳しい言葉は出てこない。


「千晴さんも、一緒ではないんだ」


岳の言葉に、千晴は思わず振り返る。


「何?」

「いや、今日はこれから『食事会』だと、メールが来たから。
俺は千晴さんも一緒かと……」


千晴は、あずさが岳に美佳やカンナと食事に行くことを連絡したことがわかり、

『私は予定があるので』と無関係をアピールする。


「そうか……まぁ、迷惑をかけるかもしれないけれど……よろしくお願いします」

「エ……」


千晴は、岳が何を言っているのか、最初はうまく理解が出来なかった。

今まで、上からものを言われたことはあっても、『頼まれる』ことなど、一度もない。


「何言っているの」

「いや……千晴さんのそばにいると、色々と教えてもらえるからって、
コバンザメのようにしていたと、メールに書いてあったし」


岳は、あずさはわからないなりに、自分も参加しようとするからと千晴に話す。


「業界のことなどわからないけれど、頼られたりすると、頑張ろうとしてしまうから。
まぁ、ダメなものはダメだと、言ってやってください」


岳はそういうと、千晴の前を通り過ぎようとする。


「『ください』だなんて、そんな思ってもいないこと、無理やり言わなくてもいいわよ。
ここにいても使えない私が、そんなふうに別の場所では役に立つんだって、
そう思っているのでしょう。せいぜい、盾にでも、的にでもなれって、そう……」


千晴はそういうと、開いたエレベーターに乗り込もうとするが、

今度は、岳に腕を引っ張られる。


「何するの」

「どうしてそうなるんだ。そんな言い方はしていない。俺は、彼女から、
本当に千晴さんがそばにいてくれるのが心強いと聞いているから。
だから、頼むと言っているだけだ」


千晴を乗せないエレベーターは、空のまま扉を閉めていく。


「東京に来たばかりの頃、彼女は君を会社の中で見て、本当にモデルのようだと、
そう思ったと言っていた。華やかな世界を知っている頼りになる人だと、
そう君を褒めていた。別に、無理やり言っているわけでも、
ウソをついているわけでもない」


千晴は、岳の手を振り払う。


「ただ……それだけだ」


岳はそういうと、そのまま廊下を歩いていく。

千晴は、もう一度エレベーターのボタンを押そうとしたが、

待っているという行為が嫌になり、方向を変えて階段を降り始めた。



【49-5】



コメント、拍手、ランクポチなど、お待ちしています。(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪

コメント

非公開コメント