50 あいつの声 【50-3】

「星川さん。私、昨日はあんなふうになっていて、
自分がどうのこうの言える立場ではないこともわかっているのだけれど、
ぼやっとした意識の中で、頭の中に残った言葉があって、それが気になったの」


あずさは雄哉が口にしていた『裸の背中』と『秘密』。

美佳はそれを聞きながら、間違いないのだと頷いていく。


「そう……映画に出ないかっていう誘いの話なの。主人公と浮気をする女の役。
そういうシーンもあるから、それなりに覚悟できるかと言うこと……」


その仕事が決まれば、あわせたグラビアもプラスの仕事として入ることになると、

雄哉が雑誌の編集長の名刺を出したと言う。


「まぁ、一歩踏み込めるかと言うことなんだけど……」


美佳は、そこまで話すと、言葉を濁すようにしてしまう。

あずさは、美佳の言い方に次の言葉を送り出せなくなる。


「私、何もとりえがないでしょう。思い切ったことをすべきだとは思うけれど……」


楽屋の扉をドンドンと叩く音がして、

曇りガラスの向こうに、マネージャーのシルエットが映る。


「そろそろ休憩おしまいみたいね」


あずさは、立ち上がった美佳を見る。


「頑張ります」


美佳はそういうと、あずさの横を通り、楽屋を出てしまう。

あずさは結局、何も言うことが出来ないまま、スタジオの隅に戻った。





萩野カンナが来ないスタジオには用事がないと言うよりも、昨日の今日で、

雄哉と顔をあわせたくないというのが、千晴の本音だった。

互いに、芸能界で頑張ろうと思っていた頃、

千晴は同じ思いを共有していると言う嬉しさに、雄哉を一人の男性として、

見ていたことは間違いなく、『BEANS』に入社し、噂を聞いた後からも、

自分の目でそれを確かめられなければ、信じられないという思いもどこかにあった。

しかし、昨日、自分の目に映ったのは、

新人を口説き、あずさを強制的に眠らせていたという事実で、

千晴は、これ以上、撮影に関わるのも、面倒だと思い始める。

どうせ席にいてもやることなどないのだから、適当に街で時間をつぶし、

映画館にでも入ろうかと思っていたとき、携帯が鳴りだした。



『川端雄哉』



千晴は、着信音が止まるまで、手で携帯を押さえ、音を出来る限り小さくさせる。

1分ほど鳴り続けた音は、力尽きるように止まった。

印を見ると、メッセージが残っている。

何を今更と思いながらも、千晴の手は、再生のボタンを押していた。



『千晴。昨日は申し訳ないことをした。でも、君の誤解はなくしておきたい。
以前、会った店で待っているから、来て欲しい』



以前会った店というのは、千晴が仕事を引き受けたことを知り、

久しぶりの再会をした店のことだった。

千晴は、行くものかとメッセージを消去しようとするが、

『誤解』の言葉に、指が止まる。

心の奥底で、小さな希望ではあるけれど、雄哉にも理由があると思いたくて、

千晴の指は何も押すことなく携帯から離れた。





『今日、仕事が終わったら食事をしよう』


その日のリハーサルも無事終了し、

明日からはいよいよ本格的な撮影に入ることになった。

あずさは『Pスタジオ』を出ると、岳と待ち合わせるために最寄り駅へ向かう。

昨日、『食事会』に行くと話していただけに、どうなったのかを話せば、

岳に驚かれるのではないかと心配にもなったが、黙っているのもおかしな気がして、

あずさは正直に話そうと考える。



その頃、岳も仕事を終えてあずさとの待ち合わせ場所に向かおうと、

帰りの支度をしているところだった。しかし、普段なら静かな廊下が騒がしくなり、

血相を変えた泰成が、『経営企画』に飛び込んでくる。


「相原さん!」


泰成が握り締めていたのは、経営企画が次なる物件と決め、

動き始めた設計図そのものだった。


「どうした」

「大変です。『高岩不動産』に、俺たちのアイデアが盗まれてました」


泰成はすぐに設計図を広げ、同じものが流れていたと『高岩不動産』のものを出す。


「うちが狙っている場所がどこなのか、どういったものを計画しているのか、
すべて筒抜けです。しかも、向こうが、取引先に1日早く出してしまって。
これでは、うちが疑われます」


泰成と同じように、仕事に関わってきたメンバーが、岳の前に集まってくる。

どうしてこんなことになったのかと、それぞれが互いに互いを疑いの眼差しで見始めた。

管理をしていたのは誰なのか、どこに置いていたのかなど、

持ち帰ったことがあったのではないかなど、勝手な言葉が、目の前で飛んでいく。


「ちょっと待て。ここでもめても仕方がない。これで行こうと決めて、
それぞれに管理を頼んだのは、チーフである俺だ」


岳はそういうと、カレンダーを見る。

入札まで日がなく、これから練り直すことなど、不可能に近い。


「うちのものだと、相手方に……」

「もちろん、言う事は出来るが、向こうもそれを簡単には認めないだろう。
それに、完全にコピーをするほど、安易なやり方はしないだろうし」


岳は目の前に立つ社員たちを見た。

今までの岳なら、本当に限られた人数にしか戦略は明らかにせずに、

最終的には全て自分で背負い込んだ。その方が漏れもないとわかっていたし、

時間もかけなくて済む。

しかし、同僚を部下を信頼し、仕事をしていくスタイルに変え、

あえて自分は離れたところで指示を出すようにした途端、トラブルが生まれてしまう。


「とりあえず、これは俺に」


それぞれの社員たちが別の仕事も抱えているため、岳は書類を受け取ると、

指示を仰ぐために社長室へと向かう。

オリジナルだと主張出来ない以上、

『今回は見送る』という判断をするしかないのかと思いながら、

『社長室』の扉をノックした。





待ち合わせの場所に到着したあずさだったが、そこに岳の姿はなく、

しばらくロビー前の喫茶室に座っていた。仕事でトラブルが起こったのかもしれないと、

メールを送ると、それから20分後に、電話が鳴る。

あずさはすぐに取った。


「はい」

『もしもし……連絡が遅れてごめん』


岳は、仕事でトラブルがあり、今日は会えなくなったと、そう話した。

あずさは何が起きたのかと、すぐに聞き返す。


『入札が出来なくなりそうなんだ。だから、それを考えないとならなくて』


岳は、『ごめん』とそれだけを言うと、電話を切ってしまった。

あずさは、今はあまり深く聞ける状態ではないのだろうと思い、携帯をバッグにしまう。

時間を見ると、この場所ですでに1時間近くが経過していた。

あずさは残っていたアイスティーを飲み干すと、一人、ホテルの喫茶室を出た。



【50-4】



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