53 限界への挑戦 【53-3】

「実は、昨日もここへ来ました。トラブルのことを知って、間に入ってもらえるのが、
青木会長しかいないということを知って、すぐに梨那さんにお願いをしようと、
『三国屋』の前まで……でも、昨日は入れませんでした」


あずさは、昨日は頭の中がまとまらなかったと、話す。


「一つだけお願いしたいのは……岳さんの目の前から消えることは出来ても、
気持ちは残したままになるということです。思うことだけは許してもらえるのなら、
東京を離れて実家に戻ろうと、昨日の夜、考えを一生懸命にまとめました」


あずさは、心のどこかにいつも相手を思い続けた庄吉と玉子のように、

離れてしまっても、いつも岳を思い、過ごしたいと気持ちを語る。


「私には、これしか出来ません。ですから……ぜひ、お願いします」


あずさはそういうと頭を下げた。

そして、バッグから封筒を取り出した。そこには『退職願』の文字がある。

梨那は、あずさなりに展開を予想し、考えをまとめてきたのだと、

『退職願』の封筒を見ながら、そう思う。


「東京を離れようというのは、ウソではありません。
この後、会社にこれを持って行きます。いいか悪いか、私、『ザナーム』の上司から、
あまりいい印象を持ってもらっていないものですから。
おそらく、簡単に受け取ってもらえるはずです。そして、しばらく実家に戻ります」


梨那の目は、封筒から上がらない。


「私がそういうことを言うと、思っていたの?」

「……条件ではないかなとは、思っていました」


あずさは『カフェオレ』にストローを入れて、少し気持ちが落ち着いたのか、

半分くらいになるまで飲んでいく。

梨那は、いつまでも出していないで、『退職願』をしまいなさいと押し返す。

あずさは『はい』と言った後、バッグにしまう。


「あなたにとって、岳は交換条件なの?」


自分から条件を提示しておいて、梨那は思わずそう聞き返してしまう。

あずさは、梨那の少し強めの言い方に、一瞬驚く。


「交換条件……」

「そうよ。簡単に諦めますと、そう言える相手なのかと……」


梨那はそこまで言った後、全てを語る前に言葉を止める。


「私が、梨那さんにお願いしていることのずうずうしさから言っても、
それは当たり前だなと思うだけです。私は……岳さんが『BEANS』で、
これからも堂々と仕事をしてくれたらと、思うだけですから」


あずさは、『よろしくお願いします』とあらためて梨那に頭を下げる。

梨那の話しは、あずさにとって想定内なのかもしれない。

しかし、梨那にとって、あずさの反応は間違いなく想定外だった。

梨那は何も言わないまま、あずさから視線をそらした。





『三国屋』を出たあずさは、バッグに閉まった『退職願』を出すために、

花輪のいる『府川』を訪ねた。そこには小原とほたるが仕事をしているはずで、

あずさは挨拶をしておこうと思い、ちょうど昼間の時間を合わせて、

携帯の番号を回す。ほたるも小原も突然の登場に驚きながらも、

休憩時間になったら、美味しいランチの店を紹介すると、そう返事をくれた。


「どうぞ」

「失礼します」


あずさは花輪の部屋を訪ね、バッグから『退職願』を出した。

花輪はそれを見る。


「なんのマネですか」

「マネではありません。突然ですが、群馬に戻ろうと思います」


あずさは、色々とお世話になりながら申し訳ないと花輪に頭を下げる。


「『ザナーム』の扱いが悪いから、『BEANS』に就職をしろとでも、言われましたか」


花輪は、すぐに『BEANS』を引き合いに出すと、軽く笑う。


「違います。『BEANS』は関係ありません」


あずさは、あくまでも東京を離れ、実家に戻るということを強調した。


「花輪さんに言われましたよね。あなたを疑うも信じるも、材料がないと。
あの時は確かにそうだと、納得しました」


『アカデミックスポーツ』がなくなる事になり、『ザナーム』に業務が引き継がれる前、

持ち逃げ事件を知った花輪からは、そう冷たく突き放された。


「でも、花輪さんは最初から、私を認めてくれるつもりはないのだなと、
それがよくわかりました」


あずさはそういうと花輪を見る。


「なんだ、それは」

「あなたは私を見ているふりをしながら、ずっと『BEANS』を見ています。
言いがかりをつけて、私が困るのを見ながら、復讐でもしているつもりなのでしょう」


あずさの言葉に、花輪は顔色を変える。


「だから、認めてもらうことは諦めました。
関係のないことを、いつまでも言われることも腹だたしいですし、
『BEANS』に関わる皆さんにも、迷惑になります。だから一言、言わせてもらいます」


あずさは、会社を辞めることに決めたから、ここは我慢をしないと花輪を見る。


「会社の社長を父に持つから、最初から席があるから、
何も努力をしていないかのように、思い込むのはやめたほうがいいです。
岳さんも敦さんも、人から学ぶ、聞く、そういう姿勢のある人たちです。
思い込みや、ひとりよがりで、会社を振り回しているわけではありません。
新しいものを受け入れ、さらに新しいものを生み出す、柔軟性もある人たちですから」


あずさはそう言いきると、『お役に立てずにすみません』とあらためて頭を下げる。


「こんなふうに辞めて、他の社員に迷惑をかけるとは思わないのか」


花輪の言葉に、あずさは振り返る。


「それは思います。でも、私が残っても、去っても、
花輪さんには迷惑であるような気がするので、どこで決断をしても、
結局は同じではないでしょうか」


あずさの言葉に、花輪はまた少し表情を曇らせる。


「貴重なお時間を、申し訳ありませんでした」


あずさは深々と頭を下げると、そのまま部屋を出て行ってしまう。



『『BEANS』を見ています……』



花輪は『退職願』の封筒を持ち、しばらく見続けた。





「美味しい!」

「でしょう」


あずさが、花輪に『退職願』を出しに来たことなど知らないほたると小原は、

お気に入りの場所にあずさを連れて行ってくれた。

あずさは小さめのドリアが特に気に入ったと、スプーンで最後まで綺麗にすくう。


「こうして3人で丸くなるとさ、『BEANS』の社員食堂を思い出すよね」

「そうですね」


小原は、時々西東京の店舗へ行くので、『Sビル』の進み具合も知っているらしく、

以前よりも窓が大きくなっていることなどを教えてくれる。


「『Sビル』か……」


あずさは、『リラクションルーム』で、岳と『クラリネット』を吹いた日々を、

思い出していく。祐との思い出だった楽器は、いつのまにか相手を岳に変えていた。

二人で向かったお墓参りの日、『素顔のままで』を吹いてくれた岳の横顔は、

今でも忘れられない。


「ドラマ、もうすぐ始まるわね」

「ですよね。柴田社長も楽しみにしているって、メールくれたもの」

「そうですか」


あずさは楽しそうに話をする小原とほたるを見ながら、

何度も、何度も『そうですよね』と笑い、そして頷いた。



【53-4】



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