53 限界への挑戦 【53-5】

あずさは『上野駅』から電車に乗り、実家のある群馬に向かった。

東京に出てきてから1年。何度か実家に戻ったときには、いつも岳の車だった。

空いていた席に座り、立っている人の邪魔にならない場所にスーツケースを置く。

『休みが取れた』と母に連絡を入れようかとも思ったが、

顔を見て話をしないと、心の奥にある思いまでは、伝わらない気がした。

急に戻れば驚くかもしれないが、それでも笑って『おかえり』と出迎えてくれるのが、

家族だということも、あずさはわかっている。

発車ベルの音が聞こえ、電車はゆっくりと進みだした。





岳と梨那が待ち合わせたのは、『別れ』を切り出したあの店だった。

岳が到着すると、すでに梨那が待っていて、顔をあげる。


「ごめん、待たせて」

「ううん……いきなりだもの、そんなこと気にしなくていいわ」


岳の目の前に座る梨那の表情は、思っていたよりも穏やかに思え、

電話をかけてきたときのような、押し付ける態度も見えてこない。

とりあえず、岳も『ブレンド』を注文する。

ウエイターがそばを離れると、梨那はすぐに切り出した。


「『高岩建設』とのトラブルがあるのでしょ」


梨那の問いかけに、岳は素直に頷く。


「副社長の安藤さんがうちに見えて、父に頼んでいた。
相原会長に自分を育ててもらった恩もあって、ドラマなど色々と動く中、
『高岩建設』ともめているわけにはいかないって」


ドラマの撮影も好調なのでしょうと、梨那は岳を見る。


「父は根っからの商売人だから、同じような努力をしている人に対して、
自分が役に立つのならと、すぐにお引き受けしていた。
ただ、相原社長がどう思われるのかと、逆に気にしていて」


梨那は、少し事情があったからと、軽く笑う。


「でもね、私は正直、岳の顔が浮かんで複雑だった。あなたにとっては流れの中でも、
私にはあの日、一方的に別れを切り出されたとしか思えなかったし。それでも……」


梨那は、『三国屋』に逸美が尋ねてきたことを話す。


「エ……」

「知らないのでしょう。中村逸美さんが、私を訪ねてくれた。
そう……私たちは向かい合って話をしたの。
互いに知らないふりをするのはやめましょうねと言い合って」


その時の話題は、当然岳のことだったと話す。


「逸美さんには、私もあなたも、岳の求めていた女性とは少しずれていたって、
そんな話をされた」


岳は、逸美がどんなタイミングで梨那と話をしたのだろうかと考える。

いきなりで慌てた頭の中に、

そういえば自分が愁矢と会いにいったことがあることも思い出された。


「岳……別れてくれとあなたが私に言ったとき、自分が好きになった人は、
逸美さんと私の両方を持っていると、そう言ったでしょ」

「……うん」

「私、彼女を1度しか見たことがなかったから、
そのときには話しに納得が出来なかったの。『リクチュール』のスーツを買うとか、
買わないとか、店内で言い合っていただけだったし」


岳もその時のことを思い出し、その通りだと頷く。


「逸美さんは、私がそう言ったら、それがわかるような頷き方をしていた。
岳の選んだ人は、素直で、優しくて、それでいて自分を見失わない人だって。
まさしく『岳の鎧』を壊してくれる人だって」



『白馬の王子様のような……』



「うん」


岳は逸美と別れる日の会話を思い出していく。


「知りたいなと思ったの、正直。私にはその人の持っている何が足りないのか。
だから、人を使って『宮崎あずさ』って人を調べてみた。学歴、実家の場所、
どんな生活をしているか……その調査票を見ても、全然わからなくて」


梨那は、納得する材料が欲しかったと、岳を見る。


「そうしたらね……今日、彼女が来たの、『三国屋』に」


あずさが『三国屋』を訪ねたと知り、岳は表情を変える。


「やっぱり知らなかったのね。うん……そうだとは思ったけれど」

「何をしに」

「どうか『高岩建設』と『BEANS』のトラブルを回避してもらえるように、
父に頼んでくれと、私に」


岳は、あずさがなぜ、

梨那の父に仲介役を頼もうとしているのかを知ったのだろうかと、考えた。


「どうして……そんな話しを……」

「それは私にはわからない。でも、私にとっては大きなチャンスだった。
この人がどういう人なのか、ここで知ることが出来ると思って、言ったの」


岳は梨那が何を言ったのかと、前を見る。


「あなたのせいで、岳とおかしくなった。だから、消えてちょうだいって」


岳は、本当にそんなことを言ったのかと言う目で、梨那を見る。


「話しは、最後まで聞いてよ」


梨那は、あずさがバッグから『退職願』を出してきたと話す。


「昨日、『三国屋』の前まで来たときには、気持ちがまとまりきれなくて、
帰ってしまったけれど、今日はちゃんと決めてきたと、そう言って。
私がそういうことを言うかもしれないと、彼女なりに予想もしたのでしょう。
自分が身を引き、実家に戻ることを条件に……あなたの前から消えることを条件に、
どうか『BEANS』を、ううん……相原岳の輝ける場所を、救ってくれと、
そう頭を下げてきた」


梨那は、『身を引いて田舎に帰れ』などということは、どう考えてもおかしなことだから、

そこで交渉が決裂すると思っていたのに、あずさは文句の一つも言わずに、

黙って受け入れていたと話す。


「あの『リクチュール』のスーツを買わないと、
売り場でごねていた人と同じかと思うくらい、全然違う人で……。
でも、『この人、ここまで言い切れるのか』と、瞬間的に思ったの。
あぁ……この人には叶わないなと」


梨那は、今日のあずさの中には『自分のこと』などひとかけらもなかったと、岳に話す。


「あなたのことを、あれだけ考えて行動出来るのかと思ったら、驚いてしまって、
『たねあかし』をする前に、帰らせてしまった」


梨那は『ごめんなさい』と岳に頭を下げる。


「私もね、付き合っているときには、岳のことを考えていると思っていた。
あなたが忙しいと言えば、黙って従っていたし、一緒にいたいと言われたら、
その思いに応えるためだけに、時間を作ったから」


梨那の言葉を聞きながら、岳は自分の行動を振り返っていた。

逸美と梨那。二人のところを行ったりきたりしながら、バランスを保ち続けた日。

その不安定な思いに、二人が傷ついていたことなど、まるで考えていなかった。


「それでも今思うと、あなたのため、あなたのためと言いながら、
実際は自分のためだった。『結婚』を焦らせようとしたのも、形を作りたい自分のため。
あなたが揺れているということを知りながら、それは見ないふりをしていた」


梨那は、逸美との付き合いを知りながら、

あえて知らないふりをしてきた日々を思い返す。


「彼女に会えて、話せて、あなたとの別れが、本当の意味で受け入れられた」


梨那はそういうと、『岳……』と声をかける。


「父は全力で『BEANS』の力になるつもりだから。遠慮なんてしないで、
頼ってあげて」


元々、そういうことが大好きなのだからと梨那は笑ってみせる。


「梨那……」


岳は、申し訳なさ過ぎて、言葉が出ないと下を向く。


「俺の方こそ、自分勝手なくせに、どこまでも自分が見えていなかった人間だと、
本当にそう思う」

「岳……」

「本来なら、絶対に協力しないと言われてもおかしくないことなのに、ありがとう」


岳はあらためて梨那に頭を下げる。


「はい、私の話しはこれでおしまい。ねぇ、早く彼女に『たねあかし』してあげて。
『退職願』出しているかもしれないし、これからどうしようかと、
部屋で困っているかもしれないから」


梨那はそういうと立ち上がる。

岳も合わせるように席を立った。

梨那は自分の左手を見つめ、全てを語れたという思いなのか、『ふぅ』と息を吐く。


「さようなら……」


梨那はそういうと、握手でもしようかと一瞬手を出したが、すぐにしまう。


「……握手はやめておく。それは出来すぎかな。やっぱり……まだ悔しいし」


梨那はそういうと、岳に背を向け歩き出していく。

岳は、梨那なりに着地点を作ってくれたのだと思い、その背中に向かって頭を下げた。





【ももんたのひとりごと】

『別れのシーン』

『エ! まだ別れていなかったの?』とお思いの方もいるでしょうが、
梨那にとっては、このシーンが岳との別れだと考えながら書きました。
あずさのことを調べてみたりしていたシーン、覚えてくれているかな(笑)
人の頭と心は、いつも時間差があると私は思っているので、
その辺の折り合いをつけるシーンの書き方が、いつも悩みどころです。




【54-1】



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