54 心の距離 【54-2】

「うん、美味しい! お母さん、これ美味しいよ!」


東京から戻ったあずさは、何も食べていないのだと話し、

家に戻ると、家族と夕飯を食べ、ご機嫌にお風呂へ入った。

美佐は、お風呂場から聞こえるあずさの鼻歌を確認し、居間に戻る。


「あずさったら、のんきに鼻歌歌っている」

「そう……それなら黙っていたらいいよ」


夏子は台布巾でテーブルを拭いて行く。


「黙っていてって、だって、何かあったってことでしょう。
あの子、急に戻ってきたのよ。しかもスーツケースを持って。
元々もらっていた休みなら、いつ帰るとか言ってくるはずだし」


美佐は、やはり岳と何かあったのではないかと、不安そうに風呂場を見る。


「だとしたら、温かく迎えましょうと決めたはずだよ。オロオロしない」


夏子は玉子の仏壇下にある戸棚を開けると、紙袋を取り出した。


「しないって言われても」


美佐は視線だけをお風呂場に向けたまま、夏子の意見に反論した。

夏子は落ち着かない娘の様子を見る。


「あぁ、もう、美佐。あずさはきちんと話してくれるわよ。だから待ちなさい」


夏子はそういうと、紙袋から取り出した丸いせんべいをパリンと両手で割った。



『あずさ……』



夏子と美佐の嘆きを知らずに、お風呂場にいるあずさは、

すすり泣く様子が居間に届かないよう、何度もお湯を自分にかけた。

岳とはもう会わない、『東京』を離れる。

そう決めたのは自分、だから頑張れると思うものの、

おそらく事情を知り、どうしたのかと連絡を寄こす岳に対し、

『もう東京にはいたくなくなった』や『もっと地元で自由に暮らしたい』など、

必死に抵抗しなければならない現実が、すぐ目の前に迫ってくるはずだった。

あずさは、本当にこのやり方がよかったのかと、不安が膨らんでいく。

ただでさえ自分よりも頭がよく、理論的な岳に対して、

勢いだけでここまで来た自分が、どこまで突っぱねられるのかと、

最初から少なめな自信が、さらになくなってくる。

脱衣所から、『新しいタオルを出した』と、母、美佐の声が聞こえ、

あずさは『わかった』と精一杯明るい声を出した。


『後戻りは出来ない』


あずさは、梨那との約束を守らなければ、ここまで来た意味がないと考え直し、

大きく息を吐くと、両頬を両手でペチペチと叩いてみる。


「ふぅ……」


あずさは、このままいっそ、誰からも連絡がこない場所に、

一人で隠れてしまいたいと思い天井を見る。

だからといって、ここで泣き続けているわけにはいかないと覚悟を決め、

出来る限り気持ちをまとめると、お風呂を出た。





そして、夜、11時過ぎ。

宮崎家の居間には、あずさの話を聞き続けた美佐と夏子が残っていた。

父親もそばにはいるが、仕事の疲れてすっかり寝てしまっている。

あずさは仏壇にある玉子の写真を見ると、『玉子さん』と声をかけた。


「玉子さんは、庄吉さんに頼らない道を、自分で選んだのだもの。
強かったんだなって、尊敬するよ」


庄吉との再会後も、情に負けることなく、決して距離を近づけなかった玉子のことを、

あずさはそう表現する。


「あずさ。仕事、辞めるにしても、しばらくここにいて平気なの?」

「うん……やることは一気にやらないとと思って、もう、『退職願』出しちゃった。
元々、現場からは外れて、ドラマのタレントさんの手伝いをしていたから、
業務に支障はないはずだし。東京へもしばらく戻らないと決めてきたし」


色々な人に迷惑をかけるけれどと、あずさは湯飲みを持つ。


「それなら、岳さんから連絡があったら、どうする?」


話を聞き、黙ってしまった美佐の横で、夏子は立て続けにそう尋ねた。

あずさは、『とりあえず、東京には戻らないと言っています』と言えばいいと、

小さな声で返す。


「それでいいの?」

「それで終わりだとは思っていないけれど、今、会社のトラブルがあって、
とにかく忙しいの。おそらく、私が覚悟を決めたということは、
別の場所から伝わるはずだから」


あずさは、約束を守るはずの梨那が、伝えてくれるだろうと考える。


「伝わるって……それは直接、顔を見て話をするべきではないの?」

「そうしたら、きっと……」


『決心が揺らぐ』という言葉は、あずさの口から出ないまま、

もう眠るからと居間を出て行ってしまう。

あずさが階段をあがる音が、だんだんと小さくなり、扉の閉じる音が聞こえる。

1階の居間には、夏子と美佐が残った。

カチコチと柱にかかった時計だけが、音を出す。


「最初から、無理だったのよ」


そこまで黙っていた美佐の口から、怒りの台詞が送り出された。


「大手企業のエリート、しかも次期社長になるかもしれない相手なんて。
何も知らない田舎から出て行ったあずさが、対応できるわけがないんだもの。
やっぱり、何がなんでも、東京なんて行かせないで、ここに残しておけばよかった。
玉子さんと庄吉さんの縁だからだとかなんだとか、流されなければ……。
何よ、連絡を寄こしたら、もう帰りませんと言えばいいって……。
それで『そうですか』ってなるのだとしたら、ずいぶんバカにされている。
傷つくのは、あずさだけだなんて」


娘が傷ついてしまったと、美佐は母親、つまり自分が至らなかったからだと、

出てくる涙をエプロンで拭き始める。


「思いを寄せるのは無理だと言ってみたり、
身を引こうとする娘の決意に、反対のようなことを言ってみたり、
美佐、あなたの気持ちがまとまっていなくてどうするのよ。
これくらいのことで、メソメソするのはやめなさい」


夏子はそういうと、雨戸を閉めようと窓の外を見る。


「だって……」


納得のいかない美佐は、夏子に背を向けるようにしたまま、涙を拭き続ける。


「だってお母さん。あずさは……」

「美佐、ねぇ、ちょっと」


夏子は、窓の外を見たまま、エプロンで涙を拭いている美佐の肩を数回叩いた。



あずさは部屋に入り、ただベッドに寝転んだ。

すぐに眠れるとは思わなかったが、居間で美佐たちと顔をあわせていることが、

この先はどうするのか、どうなるのかと聞かれることが辛かった。

一気にするべきだと、逃げるように実家へ戻ってみたが、

今度はまた、東京で知り合った人たちの顔が、浮かび始める。

いろいろあったけれど、『フラワーハイツ』を借りることを喜んでくれた友華は、

突然の出来事に驚くだろうし、職場の京子も目を丸くするかもしれない。

そういえば、色々と相談に乗ってもらっていた杏奈には、

何も言っていないことも思い出す。

あずさの耳に、階段を上がる音が聞こえてくる。


「あずさ……」


扉の向こうから、声をかけてくれたのは夏子だった。


「何?」

「岳さんから連絡が来たら、『東京へは戻りません』と言うんだよね」

「……うん」

「そうだよね、そう言ったよね」


夏子の発言に、もう実家に連絡が来たのだろうかと戸惑いながら、

あずさはとにかくそれで乗り越えてと、布団を頭から被ってしまう。


「だったらさぁ……今、玄関の前に立っているというのは、どうしたらいい?」


あずさは『まさか』と驚きながら被った布団をはがすと、

震える手でカーテンを少しだけ開ける。

玄関前には岳の車が見え、そして……



岳の姿が、間違いなくそこにあった。



【54-3】



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