54 心の距離 【54-3】

梨那が約束ごとを実行し、あずさの行動を知ったら、

岳から、電話がかかってくることは予想していた。

だから携帯の電源を切り、それを阻止したが、それはあくまでも『明日以降』のことで、

今日は何も起こらないと、そう考えていた。

なぜ、数時間しか経っていない状況でここまで来てしまうのか、

どういうルートで話しが回ったのか、現実は、想像をはるかに超えたことだったが、

このままにしておくわけにはいかないと、あずさは夏子の横をすり抜け、

階段を駆け下りる。


「あずさ……」


玄関の横で、どうしようかという顔をしている美佐に対して、

一度頷くと、あずさは大きく息を吐く。


「岳さん……東京に帰ってください」


あずさは、扉の向こうにいる岳に対して、両手を握り締めながらそう叫んだ。

美佐と夏子は、家にあげないのは失礼ではないかと、横から声を出す。


「ここまで来ていただいて、失礼はわかっています。
でも、私にも私の決意があります。とにかく『東京』に戻ってください。
今、お会いするわけには行きませんし、話しをすることもありません」

「あずさ……」


美佐は玄関の向こうにいる人影と、必死に抵抗する娘の姿を交互に見る。

もちろん、あずさの叫びは、外に立つ岳にも届いていた。

梨那と会い、決めたことを守ろうとしているのだとわかっているため、

落ち着くまで黙って聞き続ける。


「とにかく……」


最初こそ、勢いよく語りだしたものの、あずさはその先を続けることが出来なかった。

忙しい仕事があることもわかっているし、『東京』からここまでの距離が、

短いわけではないことも十分わかっている。

本来なら、すぐにでも扉を開け、謝りたいところだけれど、

それをしてしまうことは、『約束』を守れないと言うことだと、

無言のまま立っている人に背を向け、部屋に消えてしまおうかと考え出す。


「どこに行くの、あずさ」

「部屋……」

「いや、だって……」


扉の向こうから、『あずさ』と呼ぶ岳の声が届く。

部屋に向かおうとしたあずさの足は、反射的に止まってしまう。


「あずさが今日、誰と会って、何を決めてここへ戻ってきたのか、
全てわかっている……だから、もう無理をしなくていい」


岳は、自分は梨那と会い、何もかもを聞いてきたと扉越しに話し出す。

あずさは、自分と会った後、梨那がすぐに岳と会ったのだと知り、

どういうことだろうかと、頭が混乱し始めた。


「ねぇ、あずさ。とにかく入ってもらわないと」

「青木会長は、仲介役を引き受けてくれたのですか」


あずさは、美佐の言葉を無視したまま、岳に語りかける。

岳から、『引き受けると約束してくれた』と返事が戻った。

あずさは、自分が考えていた状況と、あまりにも変わってきていることに驚き、

何が正しいのか、わからなくなってくる。

あずさの迷いを代表するかのように、口から『でも……』の言葉だけが、落ちていく。


「こうなることを予想して、すぐにでも行けと言ったのは彼女の方だ。
だからここまで来た」


岳は、戻れというのなら、車の中で朝まで待つと言い、玄関の前から離れようとする。

あずさは人影が動くことがわかり、玄関の鍵を開けた。

扉を開き、岳を見る。


「本当に……梨那さんが……」


岳は、不安そうなあずさを見ると、『その通りだ』とわかるように一度頷き、

その場でしっかりと抱きしめた。

あずさは、頭からストップの命令を出したつもりなのに、

体が勝手に腕を回してしまう。

二人の状況に驚いた美佐に気付いた夏子は、邪魔にならないようにと、

その体を玄関よりも奥へと、引っ張っていく。


「全く……あずさもわかっている通り、忙しいんだぞ、
トラブルもあるし、やらないとならないことも多くて。それなのに……」


岳は、あずさの存在をあらためて確認するように、不安そうな顔を見る。


「何を考えているんだ。いくら約束したとはいえ、こんなに早く行動に移すなんて。
呆れてものが言えない。君はいつまで俺の『ストレス』になるつもりだ」


岳は強い口調とは別に、あずさの頬にそっと手を当てると、

『もう大丈夫だ』とわかるような、優しいキスをする。

あずさは、ただ岳の胸に顔をうずめ、その時間を受け入れた。





あらためて宮崎家の居間に入った岳の前に、あずさはお茶を置いた。

ちゃぶ台を挟んで、向かい合う。


「今日の夕方、梨那から電話がかかってきて、その後、全てを話してくれた。
急がないと、あずさが自分の話を鵜呑みにして、
こういうことをするのではないかということまで付け加えて」

「鵜呑み?」


あずさには、意味が全くわからなかった。

『三国屋』の梨那と会ったのは、間違いなく今日の午前中であり、

そこから仕事のことが伝わり、状況が動いたとしても、あまりにも展開が速すぎる。


「梨那にとっても、あずさの行動は予想外だったみたいだ。
どんな条件でも受け入れようとする君の態度に、驚きが勝ってしまって、
種明かしをする前に帰してしまったと」


あずさは、岳から、梨那がちょっとした意地悪であんな条件を出したということを、

あらためて聞かされる。


「それにしても、どういう展開だ。一日の中で退職願を出し、勝手に別れようと決めて、
こっちに戻ってくるというのは……」

「どういうって……私は少しでも早くトラブルが解決できないと、
困るのは『BEANS』だし。だから荷物もたいして持たずに……ここへ……。
とにかくって……」


あずさは、岳の顔を見る。


「それで俺が、『そうか、それなら』って、あずさが犠牲になることを素直に受け入れ、
トラブルは解決すると思い、喜ぶと考えたのか」


岳の言葉に、あずさは黙って下を向く。


「あらためて言うけれど、君はいつもそうだ。
あずさの考えにはきちんとした根拠がない。理論的に積み上げていないから、
ほころびがすぐに出てくる。いいか、最初から言えば『肩揉み』だって、
そもそもおかしな話しだったんだ。
ただ、あれは敦が柴田社長に先にOKを出していたから、
ゼロにするわけにはいかなかった。だから受けただけだし。
それに『スタジオを借りる』ことも、俺が半分出すことになって……」


あずさの浅はかな考えを、実現する方向へ持って行ったのは自分だと、岳は訴えた。

あずさは、その通りだと思いながら、下を向き続ける。


「あずさはいつも……」


岳の前には、小さくなっているあずさがいた。

その姿に、岳は、言葉を止める。

責めたいわけでも、怒りたいわけでもなかったことに気付き、一度息を吐く。


「いつも……自分のことはどこかに置いてきてしまう。
みんなが楽しいと思えば、自分も楽しいし、それで満足できるようなことを、
言っていたけれど……」


『Sビル』のため、『勘違いしている村田さんのため』、

そして『アカデミックスポーツ』のため。

さらに『耕吉や友華のため』、『BEANS』のため……



そして、岳のため……



「他の人たちが、あずさのためと思い行動しているのに、
素直に受け入れようとする気持ちを、どこかに忘れてきていることも、認めたほうがいい」


岳の言葉に、あずさは少しだけ上を向く。


「あずさがみんなを思うように、あずさと関わった人が、
君を思っていることを、忘れたらダメだ」


あずさと関わってきた『相原家』の人、そして杏奈や広夢。

柴田を始めとした『アカデミックスポーツ』のメンバー。

さらに友華や京子のように、新しく知り合った人たち。


そして……襖の向こうで、二人の様子を気にしている美佐や夏子という、

宮崎家の人たち。


「あずさにも、幸せになってもらいたいと、思っている人たちの気持ちを、
たまには素直に受け入れないとダメだろう」


岳の言葉に、あずさは今まで関わってきた人たちの笑顔を、思い出していく。

岳への気持ちに気付かせてくれた敦や、

自分を姉のように慕ってくれた東子の顔が浮かぶ。


「はい……」


岳は素直に返事をしたあずさを見ながら、湯飲みに口をつけた。



【54-4】



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