55 最高の演出 【55-2】

あずさが『退職願』を出してから、5日が経った。

『ワークプレイス』という求人雑誌を購入し、ペラペラとめくる。

岳には、やりたいことを見つければいいと言われたものの、

何をどうすべきなのか、あずさの頭の中は真っ白な状態だった。

梨那との話し合いがあり、すぐにでも東京を離れようとしていたため、

周りの人たちに挨拶もないまま『ザナーム』をやめてしまった。

お世話になった京子や、近くに住む友華にも、事情を話すべきで、

それは、就職活動よりも先に済ませようと思ったとき、携帯が鳴り始める。



『小原さん』



電話の相手は、『アカデミックスポーツ』で世話になった小原からのもので、

あずさはすぐに『はい』と声を出す。


『あ……いたいた、宮崎さん。もう……ちょっと』


小原が、何か言いたいことがあることはわかるのだが、肝心な部分がよくわからない。

小原は渡したいものがあるので、これから出てこられないかとあずさに言った。


「これからですか」

『そうよ、『BEANS』の社員食堂で会いましょう』


小原は楽しそうにそういうと、電話を切ってしまった。

あずさは時計を見る。

まだ10時を少し過ぎたくらいで、

これから向かえばランチを楽しめるだろうと思いながら、

『ワークプレイス』を閉じ、出かける支度をし始めた。





小原があずさを呼んでいた頃、岳と敦はマンション建設と、

『紅葉の家』に関わる関係者とともに、現場で工事の進み具合を確認していた。

基礎工事を請け負った業者の代表と、おおまかなスケジュールについて確認し、

人の声や金属の音が聞こえる現場の中に立つ。


「いい場所だね、ここは」

「あぁ……まだまだ田舎の要素もたくさんある。
だからこそ、こちらのイメージで、新しい色をつけることが出来る」

「うん」


敦は、以前、岳の亡くなった母親の田舎だと聞いていたため、

その人はどんな女性だったのだろうかと考えた。


「初めて相原家に行ったとき、グランドピアノがあってさ」

「あぁ……」


岳は、亡くなった自分の母のものだと、振りかえる。


「そうか、やっぱりそうなんだ。でも、暮らし始めてからは見ていないだろ。
どうしたのかなと思っていて」


岳は、学校から戻ったとき、突然『母の思い出』が消えていたことに、

自分もショックを受けたことを思い出す。


「お父さんかおじいさんが処分したのだろう。
お前や、お母さんが相原の家に来るのだから、もう、亡くなった母のことは、
忘れなければならないとそう言われている気がして。長い間、ずっと、
思い出も、母との約束も、心にしまいこんできた」


岳は、『クラリネット』を取り出した日のことを思い出す。


「そうか……兄さんも、そうして頑張ってきたわけだ」


敦は設計図を見ながら、印がついている場所に、

『紅葉の家』が完成する日のことを考える。


「頑張った……まぁ、そうなのかな」


岳は色々なことを思い出す。

それでも自分の立っている場所は、変わらなかったと振り返る。


「俺もお前も、色々な感情の中、『BEANS』でもがき続けて生きていくのかと、
そう思っていたのに、おじいさんがあずさに声をかけて、
彼女が東京に来たことで、相原の家に流れていた『風』が変わった」

「うん」

「誰も動かせなかった空気のようなものが、かき混ぜられて、
いつのまにか、相原の家も風通しのいい場所になっていたんだろうな」


岳にも敦にも、自分の思ったことを話し、人を巻き込みながらも、

理解してもらってきたあずさの行動を、二人はそれぞれに思い出していく。


「そうだね、宮崎さんの風は、時には突風で、時にはそよ風で……」

「あぁ……とんでもない方向から吹くこともあったけれど」

「でも、残るものはみんな、笑顔だった気がする」


敦の言葉に、岳は自然と頷いていく。


「そんな日々を送っていたら、しまっていたはずのこの場所のことも思い出して、
実際にここへ来て、これはいいものを作ることが出来ると、そう自信が持てた」


敦は『そうだね』と返事をする。


「自分は、今を生きているだけではないなと、ここへ来ると思えるんだ」


敦は、岳の顔を見る。


「過去を生きてきた人たちの思いがあって、今、俺たちにはここにいる。
そして、俺たちはこの先へ続く道を描ける力があるし、また、その責任もあるわけで……」


岳の言葉に、敦は『うん』と力強く返事をする。

秋に向かう心地よい風が、二人の間を吹き抜けていった。





「はい、これ」

「……小原さん、これ」

「驚いたわよ、まさか宮崎さんがこんなものを出してしまったなんて。
あのとき、そんな素振り全然なかったでしょう」


『BEANS』の社員食堂で待ち合わせたあずさと小原は、

『アカデミックスポーツ』の頃を思い出しながら、料理をテーブルに置いた。

そこに小原が封筒を置いたため、何かと目を向けると、

花輪に出したはずの『退職願』だった。

あずさは、どうして小原が持っているのかわからず、顔を見る。


「実はね、あの日、私仕事が終わった後に花輪さんのところに行ったの。
これを同じものを出しに」


同じものというのは『退職願』だとわかり、あずさは思わず声をあげてしまう。

まわりにいた『BEANS』の社員が、なにごとかと視線を向けた。



【55-3】



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