55 最高の演出 【55-4】

『美味しいものを食べに行こう』



岳からそうメールがあったのは、あずさが眠りにつこうとしている少し前のことだった。

実家から戻り、1週間になろうとしているため、

おそらく仕事のことを心配されるだろうと、

あずさは鏡の前においた『退職願』を見る。

小原が自分のために犠牲となるわけではないのなら、

『アカデミックスポーツ』のために、

もう一度頑張ってみようかという気持ちも起こるのだが、

どう考えても性格が合いそうもない花輪に、また嫌みを言われるのかと思うと、

その決断が出来ないでいる。

しかし、このまま誤魔化しているわけにはいかないと、

あずさは気持ちを固め、次の日、『ザナーム』の本社に向かうことにした。





あずさが花輪あてに連絡を入れると、その日、すぐに来るようにと言われ、

『退職願』をバッグに入れ、本社のある『府川』まで向かった。

会社の入り口には、『BEANS』も提供をしているドラマのポスターが貼ってあり、

星野美佳の顔も、載っている。

あずさはそのまま中に入り、花輪に言われた場所に着くと、扉を2度ノックした。

中から『はい』という声が聞こえ、あずさは扉を開く。


「すみません、宮崎です」

「えぇ……わかりますよ。ずいぶんのんびりとした登場だなと、思いましたが」


花輪は、早速そう嫌みの言葉を乗せると、すぐにソファーに座るようにと指示をした。

あずさは『失礼します』と頭を下げ、言われたとおりに座る。


「ここに来たと言う事は、結論を出したということですよね。どうされますか」


花輪は、小原がやめることになり、あずさが気持ちを入れ替えるのなら、

ほたると一緒に、現在の『アカデミックスポーツ』の事務仕事を引き受けられるように、

会社に異動を願い出ると言い始める。


「それとも、私のように、意地の悪い気持ちの小さい上司とは、
この先仕事が難しいというのであれば、
当然、もう一度『退職願』を出してもらっても構いません」


花輪は、残るも辞めるもあずさ次第だと言いながら、前に座る。


「あの……」

「何か」

「一つだけ、伺ってもいいですか」

「どうぞ、ご自由に」


花輪は横に置いた書類を広げ、そこに視線を落とす。


「花輪さんの気持ちの変化は、起こりますか?」


あずさは、自分にたいして、いつも『BEANS』を絡めようとする花輪の気持ちが、

変わることがあるのかと、そう尋ねた。

花輪は、『どういう意味ですか』と聞き返す。


「柴田社長の残した、大好きな『アカデミックスポーツ』のために、
私自身は精一杯、仕事をしたいと思っています。
以前は、持ち逃げのことなど、関係のないことを勝手に擦り付けられて、
そんなことはないと認めて欲しい気持ちで、通販事業部に行きましたが、
今更、私のことをとこだわることは辞めました」


あずさの言葉に、花輪はどういう意味だろうかと、眉間にしわを寄せる。


「いや、宮崎さん。あなた……」

「花輪さんは『ザナーム』とは違う、『アカデミックスポーツ』の存在を、
私が頑張ることで、きちんと認めてくれる気持ちがありますかと、
それをお聞きしたいのです」


あずさは、まっすぐに評価して欲しいと、あらためて花輪を見る。


「自分のことはどうでもいいのですか」

「どうでもいいというより、花輪さんの感情まで、コントロールは出来ませんから。
性格が合わない人間がいるのは仕方がないですし、無理にあわせるのも、
互いにストレスがたまります」


あずさは、自分自身でよくこれだけ言えるものだと、内心思っていた。

花輪の表情が曇ったままになっているのもわかっているが、

譲れないものは、隠しておくわけには行かない。

二人の間に、『沈黙』という静かなバトルが漂っていく。


「宮崎さん、あなたには……正反対の思いを持っている人間も、
いつの間にか引き込まれる魅力があるのだと、小原さんが言っていました。
自分自身、経験してみたいなとは思いますよ、本当にそんな力があるのなら。
方法はお任せします。『アカデミックスポーツ』でも、宮崎あずさでも……」


花輪は、『自分を納得させられるのか』とあらためてあずさに迫った。

あずさは何も言わないまま、花輪を見る。


「それこそ形などどうでもいい。私に『認めさせる』ところまで、
あなたが形に出来るのかどうなのか、さぁ……どうしますか」


あずさは、『退職願』を入れてきたバッグを見ると、そのまま顔をあげた。





あずさが岳と食事をすると決めたのは、次の日だった。

あずさは、岳から、以前プレゼントしてもらった服を身につけ、

悟のところで買った靴を履くことにする。

岳からは、お店はもう予約してあると言われていたため、

素直に、その指示に従うことにした。

アパートに迎えに来てもらい、しっかりと戸締りをすると、階段を下りていく。

踏み外さないように、てすりに触れながら下まで降りると、

ハンドルに手を置いたままの岳が、運転席に座っていた。


「お待たせしました……」

「あぁ……」


あずさは助手席の扉を開けながらそう声をかけ、いつものように座ると、

シートベルトをする。


「今日は、フランス料理ですよね」

「うん……」


岳はあずさの様子を見た後、すぐに車を走らせた。

道も混雑とは言えないくらい動いているし、カーブが続くような難しいコースでもない。

しかし、岳はそこから何ひとつ話しをせずに、運転を続けている。

あずさは、また何か起きたのだろうかと、横にいる岳を見た。


「仕事で、何かありました?」


あずさの声に、岳は『いや』と返事をする。


「そうですか? でも、なんだかいつもの岳さんらしくないですね。
妙に緊張しているというか……」


あずさの言葉に、岳は『別に……』と言い返す。


「そうですか」


あずさは『それならいいですけれど』と言いながら、前を向く。

岳は、あずさの穏やかな横顔を確認し、さらにスピードを上げた。



【55-5】



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