56 そのままの二人 【56-1】

あずさの告白に興奮状態の杏奈は、広夢に何度か肩を叩かれ、

ため息を吐き出しながら、座りなおす。


「杏奈、ちょっと待って。それは、間違っているから。
私は断っていないの。今はって……」


話の途中であるにも関わらず、杏奈の指が、あずさにまっすぐ向かう。


「『今はまだ』って言ったのでしょう。あのね、それは断ったというの。
あの、岳さんからプロポーズされて、それで『今は』って、
あずさ、次があると思っているのがおかしいのよ。岳さん思ったわよ。
『あ、この女はダメだ』って」

「ダメ?」

「当たり前じゃないの。一気に盛り上がっているときに、それに水をさしたら、
急降下だからね、男の気持ちなんて。全くその気がないのならわかるけれど、
好きなのでしょう、そうなることを未来に期待していたのでしょう。
そこは『はい』とちゃんと受けて、それから色々と考えたら済むことでしょうが」


あずさは、杏奈の指摘に、本当にまずいことをしたのだろうかと考え、

どうしたらいいのだろうかと下を向く。


「昔からあずさはおかしいのよ。恋愛に対して人とあまりにも感性が違うというか。
『暗黙の了解』とか、そういう常識? それがないのよ」


杏奈は、一気に話したことで喉が渇いたのか、コップに入っているお冷を飲む。


「杏奈、少し落ち着いて話せよ。あずさちゃんは、少し待ってと言ったんだよね」

「はい」


あずさは、就職のことがあるからと、自分の行動を説明する。


「まぁ、それにしてもさ、ここは決めるぞと思ってきた男にしてみたら、
ショックはでかいけれど」

「大きいですか……」


広夢のセリフに、あずさの返答は、またさらに小さな声になる。


「そりゃね。一生に一度のことだし。決めてやろうと思っていただろうし」

「広夢程度なら、後だろうが、その後だろうが、それでいいけど」

「どういうことだよ」

「相手を考えたの? あの人だよ、あの人! 『BEANS』の相原岳だよ!」


杏奈は今からでも『ごめんなさい』をしなさいよと、携帯電話をあずさに押し付けた。







「断った?」

「いや、断られたというより、保留してくれと言われたんだって」


あずさが杏奈に怒られている時、同じ話題は、仕事帰りに食事に向かった、

敦と涼子の間でも広がっていた。

ウエイトレスがサラダを運んできたので、互いに一度姿勢を直す。

二人の前には『小エビのサラダ』が置かれ、敦はすぐにフォークを持つ。


「保留? プロポーズに?」


涼子はその話しの続きを聞こうと前を向いたが、敦はドレッシングが美味しいと、

サラダを食べ進める。


「それでお兄さんは、どうしたの?」

「うん……『プロポーズ』の次の日になるのかな、仕事が終わった後、
僕のマンションに訪ねてきてさ……」


敦は、その日のことを思い出したのか、口元を動かしていく。


「何? 笑っているの? あつくん」

「ん?」

「お兄さんの話しでしょう、しかもプロポーズの保留って。
ねぇ、どうしてそこで笑えるのよ」


涼子は、その対応はひどくないかと不満そうな顔をする。


「いや、ごめん、笑うとかそういうことではなくて、
本当に予想外のことをする人だなと思ってさ、宮崎さんが。
もちろん、僕も兄さんから聞いたときには、本当に何も言えなかったんだ。
あの兄さんが、いつの間にかそんな気持ちになっていたのかと言うのも驚いたし、
『保留』と言い返した宮崎さんも……」


敦は感情を抑えようとするのに、口元だけが動いてしまう。

涼子は、敦の表情に対し、さらに頬を膨らませた。

敦は、『最後まで聞いて』と、涼子の怒りに向かう気持ちを止めようとする。


「僕が言いたいのは、保留のことではなくて。いや、あのね、
この話しに先に笑ったのは兄さんなんだ。持ってきたお酒の瓶を開けて、
二人で飲み始めて、で、兄さんがその話しをし始めて。
僕はただどうしようかと思っていたのに、気付くと兄さんが笑っていて……」

「お兄さんが笑ったの?」


涼子は、お兄さんのことなのにと、真顔で敦に言い返す。


「そうだよ。兄さんが先に笑ったんだ。『今まで生きてきて、
あんなふうに発言をスルーされたことなど、一度もない』って」


岳は、あずさが『アカデミックスポーツ』をもう一度盛り上げたいと思い、

上司の花輪と言い合ってきた話しもし始める。


「兄さんが笑ってくれたことで、僕も自然と笑っていて。
気付くと、二人で酔っ払っていた。初めてだよ、あんなふうになったのは」


敦は、またサラダの容器を持つ。


「『兄さん』って言葉が、本当の意味でしっくりきたんだ。
おかしいかもしれないけれど、僕は、兄さんがそんなことのあった次の日、
僕のマンションに来てくれたことが、嬉しかったから」


敦は、岳が自分に心の中を見せてくれるようになったことが嬉しいのだと、

自然と笑みが浮かんだ。涼子は、相原家を嫌がっていた敦が、

いつの間にか兄と絆を持っていたことにほっとしながらも、

やはりことがことだけに笑うのは失礼だと、軽くテーブルを叩いた。







その日の夜、9時。

東子は部屋から出ると、親の部屋に向かった。

同じように付属に入り、大学の入学を決めた友達たちと、

年が明けたら旅行に行こうと計画をしていたため、その許可を得ようと、

パンフレットを持っていく。出来たら先に理解がありそうな父、

武彦に話しを振ろうと、軽くドアノブをひねった。


「エ!」


聞こえてきたのは、浩美の驚きの声だった。

東子は、何か起きたのだろうかと、その場で会話を聞くことにする。


「今日の午前中に、『青の家』に言ってね、父から聞いた」


武彦は、庄吉から詳細を聞いたとネクタイをはずす。


「お義父さんは、岳の気持ちをご存知だったのですか」

「岳は、あずささんとのきっかけを作ってくれた父に、先に話していたようだ。
あずささんが『ザナーム』を退職してしまったこのタイミングで、結婚を申し込むって」


東子は、口から飛び出そうになる驚きの言葉を、必死に手で止める。


「彼女が『ザナーム』に退職願を出したのも、うちと『高岩建設』とのトラブルが、
裏にあったようだし。新しい仕事を探すために大変な思いをするのなら、
自分のそばにいて欲しいと思ったらしい」

「はい……」


浩美は、それならばそれでと武彦から上着を受け取る。


「しかし、『ザナーム』側は、あずささんをもう一度戻そうとしていた」

「戻す? 会社にですか」

「あぁ……。一緒に働いていた『アカデミックスポーツ』の社員が、
個人理由でやめることになって、ポジションを埋めたらどうだと、提案したそうだ」


小原のポジションに入り、もう一度『アカデミックスポーツ』のために仕事をしようと、

あずさは花輪に頭を下げたばかりだったため、

『どうして今なのか』と、プロポーズに切り替えしたと、武彦は楽しそうに話し続ける。


「今というのは……」

「うん。あずささんにしてみたら、就職先が無くなって、
岳の申し込みを受けて家に入ったら、また『ザナーム』の嫌みな上司に、
『ほら、そういうことだろう』と言われると、考えたらしい」

「それはおかしいですか」


浩美は、『結婚したい』という岳の気持ちではないかと、かばう発言をする。


「『ザナーム』で力を持つ花輪という男は、はるか昔、
うちに入社しようとして落ちたそうだ。だから、あずささんに対しても、
何かにつけてうちのことを言うのだと、前に少し聞いている」


武彦は、あずさにしてみたら、

『BEANS』を、そして岳を悪く言ってほしくないという思いが、

その言葉につながったのだろうと予測した。


「それで……岳は……」


浩美は、プライドが高い岳の気持ちを思い、大丈夫なのかと武彦を見た。



【56-2】



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