5 夢から覚める日

5 夢から覚める日

私の代わり映えしない生活の中に、入り込んだ水曜日は、欠かせない時間になった。

積極的に仕事をこなし、残業にならなくても7時くらいまでは学校にいて、

そして、ゆっくりと街へ出ると、ちょっとした店で食事をする。


会計を済ませ化粧室へ入ると、きちんとルージュをひき直し、

まるでこれからデートをするような感覚で、私は映画館に向かった。


「そろそろ就職活動でしょ? 企業名とか、業種とか希望はあるの?」

「うーん、つぶれないところがいいんですけどね……」


時々そんな会話をしては、また前を向き、私と広橋君は映画館に通い続けた。

そのたびに、少しずつ会話が増え、季節は春から夏に動き、夏休みが近づく。


それにしてもここの叔父さんのセンスは、とてもすばらしい。

名前も知らない映画を見せられても、一度も不満に感じることはなかった。

世界では色々な映画が作られていたのに、私には今まで、全く縁がなく、

こんなきっかけがなければ、一生、知ることもなかった。


もちろん、字幕なしでは言葉の意味を理解することは出来ないので、

そのセリフを耳で聞きながら、文字を追う。



雨の中走ってきた主人公は、一人駅へ向かう女性の肩に触れ、振り返りざまに告白した。



『愛しています……』



長い年月を重ね、やっと口に出来た言葉がそこにあった。

諦めかけていたヒロインは、目に涙を浮かべ、主人公を見つめる。


「愛しています……」


突然聞こえてきた広橋君の言葉に、私は驚き顔を横に向けたが、

彼はこちらを向くことなく、前の画面を見続ける。私もすぐ画面に目を戻した。

字幕のセリフを、口にしただけだとわかり、それが自分に向けられた言葉ではないかと、

一瞬でも勘違いした自分が、恥ずかしくなった。


少し前にあった告白シーンが終わり、画面は町並みに変わる。

主婦たちの井戸端会議が、早口のセリフとともに、画面に映る。


「初めてあなたを見た時から、素敵な人だなってそう思っていました。
教授の部屋がわからないと話しかけて、左手に指輪がないかどうかを、確かめたんです……」


勘違いではなかった。広橋君は、私に言葉を投げかけている。

今度はそれがわかり、横を向けなくなる。気付かないふりをして、ただ、画面を見た。


「毎週ここに座りながら、どんなふうに伝えようかとずっと考えてました。
素敵な言い回しはないかと、画面を見続けたけれど、結局、どこの国の言葉も、
発音は違うのに全て同じ言葉に変えられる……それはきっと、
この言葉が素敵な意味を持つからなんだろうな」


広橋君が画面から視線を外し、こちらを向くのがわかり、まるで引き寄せられるかのように、

私も横を向いた。


「敦子さん……僕もあなたを愛しています」


あの日、屋上で見せてくれた真剣な顔がそこにあった。映画を見ていたはずなのに、

急に展開が変わり、どうしたらいいのかわからず、心と裏腹に、私は笑い出した。


「やだ! もう、年上をからかわないの。ほら、ストーリーがわからなくなる……」


いつも人が話しかけようとすると、発言を止める広橋君に、私は仕返ししようと、

指を口の前に立てようとしたが、その瞬間、彼は私の腕をグッと掴み動きを止めた。

こうなった時は、絶対に動けない。

初めて引っ越しの日に甘夏を取ろうとした時も、屋上で両手を引っ張られた時も、

コンパの帰りに逃げようとした時も、私は、彼を振り切れなかった。


「冗談なんかじゃない、僕は本気ですよ」

「……広橋君」

「あなたを愛してる……だからここにいるんです」

「……」

「ただ、この言葉を伝えるためだけに……」


その眼差しに、私は気持ちを隠すことなど出来なくなった。

本当は一番それをわかっていたのは私自身で、いつからなのか、私の心の中も、

すでに彼のことでいっぱいだった。


ここへ来て会えることを……、隣に座って息づかいを感じることを……、

そして……。

そう、心のどこかで、私に向けられるこの言葉を、待っていた。


答えを返すつもりで目をゆっくり閉じると、彼の唇が私の上に重なった。



愛している……。



広橋君の告白は、私の臆病な心の中に、唇の感覚とともにしっかりと届く。

まだ、何も知らない2つ年下の彼を、私もすでに愛しはじめていた。





広橋君は事務局に顔を見せる時は、何事もないかのように振る舞った。

ただ挨拶をし、書類を提出する。お願いしますと手渡された紙を、

私は隅から隅までじっと見なければならない。


「もう、いい加減にやめて!」

「どうして?」

「あの書類は、私だけが見るわけじゃないのよ。学生に証明書を渡した後も、
保存書類として残さないとならないの」

「ちゃんとチェックするんでしょ?」

「するけど……」


彼は提出する書類に、必ず私宛に言葉を残した。

それはその日によって違っていたが、『好きです』『水曜日が待ち遠しい』など、

他の人に見られたらまずいような内容ばかりが並んでいて、その鉛筆の文字を見つけては、

消しゴムで丁寧に消す。


「大丈夫ですよ、事務局印と記されているところか、一番下の空欄しか書きませんから。
敦子さんが真剣に仕事をしているのを見ると、つい、書きたくなるんですよね、
不思議なことに……」


両手を頭の後ろに回し、軽く笑った顔で、私の方を見た。

いたずらっ子が次の作戦を練っているような表情は、彼の仕草と一緒に、

また私の心の扉を、一つ開く。


「全く……25のくせに、やることは子供ね」


そんなことを言いながら、私と広橋君とは、映画館で会うことが続いた。

耳元に語りかける仕草に紛れるように、キスを交わし、

互いに横に置いた手は、自然に触れ、そして絡まるようになった。


会場に明かりがついた時に、見つめ合う時間が長くなり、

別れの言葉を口から出すことが、日々、辛くなる。


もし、今、広橋君が私の腕を掴んだとしたら、その先の道を歩む準備は、

すでに私の中に出来ていた。



しかし……。





「おはようございます、これ」

「これ?」


そんな日々の中、滝川さんから、1通の手紙が手渡された。

一人で読んでくださいと言われ、昼食を終えた後、立ち入り禁止の屋上へ向かい封を開く。



『あなたのやっていることが、どれだけ常識外のことなのか、わかってるんですか?
蓮をたぶらかすようなことは、やめてください。彼はこれから就職活動もしなければならないし、
余計な噂に振り回される時間はないんです』



その内容を読みながら、私の目には自然に涙が浮かんだ。

滝川さんの手紙からすると、いつなのかはわからないが、

私と広橋君が、映画館から出てくるのを見かけた学生がいて、

彼は事務局の年上の女に手を出したのかと、からかわれているらしいのだ。


映画館で会うたびに何も言わず、私の話を受け入れていた広橋君が、

そんな立場に追い込まれているとは、全く気付かなかった。


自分が勝手に素敵な人だと思っているだけで、私に迷惑だと、

彼は噂を流した学生に言ったらしいが、この先、もっと深い関係になればいいと

願っていた自分の愚かさに、私はその場から動くことが出来なかった。


私は事務局の人間で、彼は学生だった。


こんな単純なことをすっかり忘れ、社会人として、常識外の行動をしていたことに、

重たくなった頭をなんとかあげて、座ったまま空を見る。

眺めていた雲がぼんやりとにじみ、私の目からだけ、雨が降った。





どうしたらいいのかわからない気持ちを、誰かに知って欲しくて、

気がつくと私は、雪岡教授の部屋の扉を叩いていた。


「広橋?」

「はい……」


広橋君と、映画館で会うようになっていたこと、滝川さんから手紙をもらい、

学生達が噂を流し始めたのを聞いたこと、私は父の代わりに信頼している教授に、

自分はどうしたらいいのかと、問いかけた。


「そんな噂が流れ始めたのは、この間、聞いたな……」

「じゃぁ、本当なんですか?」

「あぁ……」


いつも明るく笑ってくれる教授の表情は硬かった。

その後当然と言われるセリフが、私の耳に届く。


「立場を考えたら、広橋にも敦子にもいい流れじゃない」


流れ……という微妙な言葉を選んだ雪岡教授だが、言いたいことは明らかだった。


「あいつは優秀だが、年齢が25だ。就職先を紹介したいという教授達もいるが、
こんなことが耳に入れば、プラスにはならない。それはわかるよな」

「はい……」


そうだった。自ら働き、そして入学した彼にとって、就職は大変なことなのだ。

私とのことで、妙な噂を流され、一生の選択にしくじることがあれば、

私は彼の顔を二度と見られない。


「私が、甘かったんですね」

「そうだな……」


教授に頭を下げ、私は廊下に出た。講義が終了し、大勢の学生が階段を下りてくる。


「ねぇ、蓮ってば」

「しつこいな、菜摘」


その声に思わず階段の隅に隠れ、広橋君と滝川さんが通りすぎるのを待った。

今、顔を合わせることは出来ない。

立場も状況も飛び越えて、きっと私は彼の前で泣いてしまうだろう。





その日からの水曜日は、私の特別な日ではなくなった。





6 強がりの代償 へ……




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コメント

非公開コメント

諦められられない…よね!

ももちゃん こんばんは^^

あちらで次のお話が水曜日にUPされる前に、こちらで火曜日に読んで復習~
そんな楽しみが習慣になってきました~^m^

どんどん想いは広橋君に引き寄せられていくのに…
大学という閉鎖的な社会の中では、うまく愛を育めないのかしら…vv
でも、きっと彼はもちろん、敦子さんももう自分の想いを止められないと思います。

広橋君は、大学や映画館で逢えないなら…
彼女のお部屋に行くんじゃないかな~?
ちゃんと知ってるもんね^^

頑張れ!広橋君!!

先に読むのは間違いか?

本当に小さな楽しみなのに、閉鎖的社会ではなかなか認められないのかな?
教師と教え子という間では無くても、同じ様なことなのかしら?

蓮はどうするのだろう・・・ってもう知ってるけどプー!(*≧m≦)=3
さきにサークルで読んでしまうのは間違いかなv-12

心についた火

eikoちゃん、こんばんは!
復習までしていただき、ありがとう。


>でも、きっと彼はもちろん、
 敦子さんももう自分の想いを止められないと思います。

そうですよね、心についた火は、そう簡単に消せないはず。
どんなふうに二人が動くのか、これからもお付き合い
お願いします。

うふふ…お部屋に行っちゃうのかな?
そうそう、蓮は知っているからね。

それは秘密です。

こっちでもあっちでも

yonyonさん、こんばんは!


>蓮はどうするのだろう・・・って
 もう知ってるけどプー!(*≧m≦)=3
 さきにサークルで読んでしまうのは間違いかな

yonyonさん、サークルで読んでくれているのだから、こっちにまでコメント、残さなくて大丈夫ですよ。大変じゃないですか……。

どこで読んでも自由、何を書いても自由……です。

敦子の心

mamanさん、こんばんは!


>今更ですが、敦子さんて何かを引きずってる(囚われてるかな)
 気がしますが、それは何?おとうさんのこと?・・・
 私の勘違いかな・・・。

まだ、敦子も蓮も、詳しい部分は出てきてないんですよ。
これから徐々に明らかになります。
じっくり進んでますが、ぜひ、おつきあいくださいね。

突き落とされた敦子を、蓮は救うのか……

試練の中

yokanさん、こんばんは!


>ちょっと、これはつらいね(ーー;)蓮君が大学を卒業してしまえば、
 問題は解決なんだけど・・・

そうなんですけどね、そこまで一気に飛ぶことは出来ないので、
二人に頑張って解決してもらいましょう!
いつも、コメントありがとうございました。