2 誘惑 【フランボワーズソーダ】 ③

2-③


『そういうの』

つまり、旅行を楽しんだり、

プライベートな時間を、もっと共有する間柄ではないということ。



啓太の部屋を出て、電車に乗っている時間は、その日一番辛い時間だった。

スタートがこんなものでなかったら、私は啓太の『恋人』になれただろうか。

身体だけでいいなんていう、交渉を受け入れたために、

『それ以上の時間』を共有するという相手には、見られなかったのだろうか。



なんだか、汚れていると言われたみたいで、哀しかった。





園田さんに戻らさないとならない原稿は、今日もデスクの中にある。

明日かあさって、どちらかに時間を作らないとと考えていたら、

同僚の二宮さんから、1枚のメモを渡される。


「何? これ」

「何って、やだ、中谷さん忘れていたなんて言わないで下さいね」


『忘れている』というより、全く記憶が無い。

そう言い返すと、二宮さんは大きく首を横に振る。


「前に話をしましたよね、『花菱物産』の人たちと飲み会をすると」


二宮さんの話によると、彼女の大学時代の先輩が『花菱物産』に勤めていて、

以前から飲み会を開いて欲しいと頼まれていたのだという。


「行けばいいでしょう、二宮さんが、他の子誘って」

「言いましたよね。年齢層、結構高めなんです」


揃うメンバーは全員が30代だと言う。


「30代って言ったって。今どき7歳や8歳くらいたいしたことではないでしょう」

「総務の真理ちゃんは、婚約しましたし、営業の先輩は……」


声をかけようとしたメンバーは、

数名が行き先を決めてしまったと二宮さんは口をとがらせる。


「なにそれ。つまり、中谷さんは相手もいないからどうでしょうかってこと?」

「そうは言っていませんよ。もう、本当に忘れているんですね。
以前、編集部員数名で飲みに行ったとき、中谷さんの方から自分をメンバーに入れてねと、
私、何度も言われたんですよ」


ウソでしょうと言えないくらい、深酒をしたあとの記憶がいつもない。

二宮さんの言い方を聞いていると、私の方が間違っている気がし始める。


「あぁ、はいはい、わかりました。行きます。まぁ、参加するってことで」

「お願いします」


結局、押し切られて、飲み会に参加することになった。

どんなメンバーなのか知らないけれど、二宮さんたちが行くのだから、

若い子達が盛り上げてくれるでしょう。

啓太に旅行をあっさり否定されて、気持ちがどこか沈んでいることもあるし、

こうなったら、啓太よりもいい男を、見つけるつもりで。

私は、化粧室で自分の顔を鏡に映す。


目尻にしわ……前よりも目立つ気がする。


両肩を上下に動かしながら、大きく息を吐いた。





「中谷未央です」


お決まりの自己紹介から、飲み会はスタートした。

二宮さんの言うとおり、確かに男性陣の年齢は、こういった会にしては少し高い。

『花菱物産』なんて、日本の中でも大手中の大手。

おそらく聞くこともなく、大学もエリート名が並ぶだろう。

こんな飲み会をしなくたって、ついてくる女性は、たくさんいそうだけれど。


「中谷さんは、今、どんな担当をされているのですか」


ちょうど目の前に座っていた男性、『上村悠』さんにそう聞かれ、

私は主に女性向けの漫画や電子書籍部門での仕事が多いと、簡単に内容を語った。


「あぁ……電子書籍ですか、あれは便利ですよね」

「使われたことがありますか」

「はい。色々と仕事柄、調べないとならないことが多くて。
でも、専門書を書店で探すとなると、時間もかかりますから。その点、
電子書籍で雑誌を見たり、効率よく時間が使えます」

「仕事ですか」

「はい」


確かに、色々と雑誌も配信されている。

読み忘れもないし、人があとをつけたような残り物を、つかまされることもない。


「そうなんですか、電子書籍」


なんとなく、私の仕事とはずれている気がしたが、

あまり深く追求することはやめることにした。どうせ、この場限り。

二宮さんの顔が、つぶれなければ済むこと。

それからも色々な話題に笑ったり、そうですよねと相づちを打ったりしながら、

気付くと意外に早く時間が過ぎていた。


「今日はありがとうございました」


それなりに会場を出て、挨拶をする。

すると、私の肩を叩く人がいた。


「はい」

「あの……これ」


目の前に立ち、名刺を出してくれたのは、上村さんだった。


「あ、名刺なら先ほど……」


上村さんは、名刺のある部分を指で示す。

そこには、『080』で始まる彼の携帯電話番号が、記されていた。

私はとりあえず名刺をそのまま受け取っていく。


「楽しかったです。中谷さんがよければ、また、今度は二人でお会いしたいです」


他のメンバーたちが、2次会をどうするかと話している横で、

私は上村さんの、誘いを受けた。

上村さんは『では』と頭を下げてくれ、そのまま駅に向かう。


「中谷さん、どうします?」

「あ……私はここで」


2次会なんて最初から予定していない。それより、名刺を受け取ってしまったことが、

気になった。この次など、私には気持ちがない。

これは返さないと。


仲間の輪から外れ、横断歩道を渡る。

人の中に、上村さんを見つけた。


「上村さん!」


私は覚え立ての名前を呼ぶ。

彼はすぐに振り向いてくれた。


「どうしました」

「ごめんなさい、私、名刺、受け取ってしまって」

「受け取ってもらおうと思い、出したものですからどうぞ」


『私、こういう誘いを受けられません』と言おうとして、言葉が止まる。

そうだった。この飲み会を設定した、二宮さんの顔をつぶしてしまうかもしれない。

好きな男がいます。その男は旅行にも行ってくれない嫌な人ですがなどと、

こんなところで言ったら、あなたはこの飲み会にからかいに来たのかと、

言いたくもなるだろう。


「どうしました?」

「えっと……」


私は、こちらこそ、今日は楽しいお話を聞けましたと、軽く頭を下げた。

こうなったらどうでもいい。名刺はとりあえず納めておこう。


「僕、最初から中谷さんしか見ていなかったんですよ」

「エ……」

「ぜひ、また……」


この人、私を試していると、その瞬間考えてしまった。

別に美人と評判なわけではないし、注目されるような話の内容もないはずなのに、

『私だけ』となる理由が、どこにあるのかわからない。

上村さんが見えなくなってから、私は方向を変える。



それでも……



『あなただけ』という意味のセリフは、わかっていても、やはり心地よく、

もらった名刺は、とりあえずバッグの中に納めた。



2-④




コメント、拍手、ランクポチなど、みなさんの参加をお待ちしてます。 (。-_-)ノ☆・゚::゚ヨロシク♪

コメント

非公開コメント