2 誘惑 【フランボワーズソーダ】 ⑤

2-⑤


「あ……ちょっと、今、明日の時間」


そう、明日はイベント出席のため、名古屋に行かなければならない。

新幹線の時刻を、確認しようとしていたのに。


「ホームに立っていたら、必ず来るよ」


啓太の声が、耳元から届く。

この優しい声色に、気持ちは一気に傾いてしまう。

私は何をするためにここにいるのか、これからどうしたいのか。

スカートの中に迷いなく踏み込んでくる大きな手。

まくしあげられたからなのか、スーッと冷たい空気が脚に触れる。

首筋を流れるように落ちる唇の動きに、肌の細胞が全て、

起立しているような気持ちがする。

私の身体の中を流れる血液が、一気に心臓を目指していく。

トントンという鼓動の音が、『もっと……』とあげる音を変えていく。

私は首を動かし、啓太の顔に触れる。

その目、その息づかいを、私だけに向けて欲しいから、

私の身体も心も、全てあなたの思い通りにしてほしいと、そう願ってしまう。


『愛されていない』とわかっていても、

私は啓太を好きになっていて……

同等だなんて約束したけれど、そんなもの思うだけで、

密かな時間が始まると、いつも忘れていた。



「明日から、3日くらい留守するから、終電乗り遅れるなよ」

「何、いないの? 出張?」


啓太が出張だなんて、今までにないこと。

数秒間の遅れがあって、『まぁ、うん』と中途半端な答えが返ってきた。


「……違うんだ」

「どうして」

「だって妙な間があったもの」


会っている以外の時間は、互いに拘束しないこと。

その条件からしたら、これ以上問い詰めるわけにはいかない。


「どっちでも好きに思えばいい」


啓太はベッドから抜け出すと、そのまま冷蔵庫の前に立った。

昔、美術館でこんな彫刻、見た気がする。


「あぁ、そうなんだ。私ではない女と会うわけだね。
啓太、私以外にもいるんだ……こういう相手」


自分の心の奥にある思いが、信号無視の状態で飛び出てしまう。


「別にいいけど……」


よくはない。でも、そう言ってしまった。

私は冷蔵庫前の啓太に、背を向ける。


「未央……」

「何?」

「お前、ちょっと風向き変えてないか」


『風向き』

私は、それはどういう意味よと茶化しながら返して見せた。

そろそろ帰らないとと話題をその場でちぎり、脱ぎ捨てた下着を身につけていく。

もう、これ以上、啓太に責められたくない。


「あ!」


ブラジャーのホックを止めようとして、思い出したことがあった。

啓太はどうしたんだと部屋に戻ってくる。


「やだ、私……」


そう、今日の昼間、コンビニで買い物をしようとして、財布を出すのが面倒になり、

パスモを利用した。そのとき、バッグではなくて、持っていた袋に入れた気がする。


「あれ? えっと……」


気がするだけで、戻していないだろうかと、

私は着替え終えると、バッグの中身を確認し始めた。


「何がないの」

「定期券。無いと困るのよ」


バッグに手を入れていることがめんどくさくなり、私はそのままひっくり返す。

化粧のポーチ、ハンカチにスマートフォンの充電器、飲み残したお茶のペットボトル。

当たり前だが重力によって、全て床に落ちる。


「あぁ……やっぱり編集部だ」

「置いてきたのか」

「うん……仕方がない、取りに戻ってから帰るわ」


時間を見ると、もうすぐ夜の11時になろうとしている。

これから戻って、すぐに駅へ動けば十分終電に乗れるはず。

出してしまった荷物を、バッグに戻す。


「ねぇ、啓太。自転車あったよね、貸してくれる?」

「いいけれど、大丈夫か」

「大丈夫よ、歩くより速いし」


私はそのまま荷物を持つと、

啓太から鍵を受けとり、編集部に向かってペダルをこぎ出した。

明日、名古屋行きがなければ、こんなことをしなかったかもしれないし、

啓太との会話が、妙な方向に進まなければ、こんなことをしなかったかもしれない。

『風向き』と啓太は言っていたけれど、私が『半年前の約束』から、

心を動かしてしまっていることに、気付いているから出た言葉だろう。



そして、答える気持ちなどないからこそ、切り返したのだろう。



悔しくて、悲しくて、情けないけれど、

それでも今、啓太を無くしたくない。


「はぁ……」


自転車を頑張ってこいだ後、今度は階段を上がる。

さすがに普段しないことをしたせいで息があがった。

我が編集部、この時間にもまだ残っている人がいる。

戻ってきた私のことを見ても、別に驚きもしない。


「お先です」


挨拶を交わし、また自転車で啓太のマンションに戻る。

自転車置き場の前に、しっかりと洋服を着た啓太が立っていた。

私は自転車を降りて、貸してくれてありがとうと礼をいう。


「未央、ダメだろう。これ、落としたら」



『花菱物産 海外事業部 上村悠』



「あ……」


『エリート』さんの名刺。


「『次にお会いできるのを、楽しみにしています』だって。ほら……」


啓太の手から、私の手に名刺が戻る。


「すごいな、『花菱物産』か」


啓太は駅まで送るよと、自転車の鍵を私から受け取るために手を出してきた。



3-①

《プレラブ プチ知識 タイトル写真》

2 【フランボワーズソーダ】

★カクテル言葉は『誘惑』

材料は、フランボワーズリキュール 45ml、ソーダ 適量 レモンスライス





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