9 好感を持って 【アンバサダー】 ③

9-③


「川口編集長が言ったのよ。次は急降下してくださいって」


眉村先生は、左手を下に動かし急降下を示している。


「川口がですか」


私は全くと思いながら、ため息をついた。


「俺は全体をまとめるだけだなんて言って、色々言うんですよね、あの人。
自分は見合い結婚のくせに」

「あら、そうなの? 編集長」


余計な情報を流してしまう、いけない部下の私。


「はい、そう聞きました」


私は原稿を読み終えて、封筒に戻す。

園田さんは、今日、お休みだろうか、姿がないけれど。

この間のあとだから、会わなくてもいいかなと思っていると、神様のいたずらなのか、

扉が開き、園田さんが戻ってきた。


「こんにちは」

「あ……」


園田さんは、またいつものように抑え気味だけれど、優しい笑顔を見せてくれた。

よかった、妙な空気が長引かなくて。


「中谷さん、すぐに会社に戻らないとダメ?」


園田さんの問いかけに、反射的に『いいえ』と言ってしまう私。


「それなら、少しお時間いいですか」

「あ、はい」


園田さんは先生に頭を下げると、私と一緒にまた外に出た。


「駅前に喫茶店がありますから、そこに」


私はとりあえず頷いたが、わざわざ外に来て話されるというのは、どういう内容だろう。

真っ白い扉を押すと、カランと高めの音がした。

園田さんと向かいあい、前には『アイスティー』がそれぞれ置かれる。


「ごめんなさい、この間は」


園田さんは、先日、編集部の廊下ですれ違った日のことを謝ってくれた。

私は『いいえ』と首を軽く振る。


「35にもなって、大人げないというか、何をうろたえているのかというか」


園田さんは、未熟な人間なのと言いながら、ふっと息を漏らす。


「3週間くらい前かな、並木通りの『コレック』で、私、中谷さんを見てね」


『3週間前のコレック』。

私はすぐにピンときた。そう、松岡さんと啓太と3人で、『コレック』で話をした。


「園田さん、あのお店に」

「うん……」


そうだった。前に話を聞いたっけ。

夜のファミレス、昼のファミレス。

夢を諦めない人たちが、同じ空気を持つ人をそこに見つけ、

ちょっとだけ勇気をもらう話。


「私にとっては、いつもの時間だったの。家族連れとかが減り始めて、
空気が変わってくる時間というのかな」


確かに店内には、そんな雰囲気があった。

会話が飛び交うというより、どこか場所を確保しているだけの人たち。


「最初はね、中谷さんに声をかけようと思ったのよ。でも……お仕事さんが来たから」



『お仕事さん』



「あ、ごめんなさい。私、何言っているんだろう」


園田さんは今のは『ナシ』と両手でバツを作る。

8歳年上の人に失礼かもしれないが、その慌てぶりはなんだか少しかわいらしい。


「『コレック』にいると、よく見かける人がいたの。その人はどうも従業員さんで、
ある日は、バイトが足りなかったのか、
お客様を案内したり注文の商品を運んだりしていたし、
またある日は、お店の隅で何やら計算機とかを並べて、色々仕事をしていて」


『お仕事さん』とは……


「あの……」

「そうなの。中谷さんの席の隣に、その方が座ったから、驚いて」



啓太のこと。



「お名前を知らないから、私はいつも、『お仕事さん』とそう呼び方を決めていたのよ。
まさか、中谷さんの……」



私の……



「大切な人だったなんて、知らなくて」



『大切な人』か……

まぁ、間違いはないけれど。



「あ、ごめんなさいね、色々と。でも、彼がコーヒーの機械の前に来て、
2つカップを取ってね、一つはブレンド、そして一つはカフェオレを入れていったの。
そうか、中谷さんの好みも、ちゃんとわかっているってことは、きっとそうだろうなって」


眉村先生の見事な絵を支える、素敵なストーリーを紡ぐ園田さんらしい。

人を観察する力を、今、しっかりと見せられる。


「もう一人男性が入ってきて、これはご挨拶なんてするような雰囲気ではないなって。
あ、何を話していたのかはわからないのよ、私、席が一番遠い、
あの……対角線だったし」


園田さんはそういうと、私の反応を見ているように思えた。

私は『そうだったのですか』と頷いていく。


「ちょっとトラブルがあって、それを回避するために3人で話をしていました。
啓太……あ、そうです。『お仕事さん』の名前は、『岡野啓太』と言います」


私は、園田さんに啓太のことを説明した。


「啓太さん……」


啓太の名前に『さん』がつく、丁寧な呼び方。


「はい」

「お付き合いして、どれくらいなの?」

「えっと……」


お付き合いをしていると言えるかどうかはわからないけれど、

でも、私は年末に出会ったところから、啓太の許可なくカウントする。


「そう、8ヶ月か、それは今、幸せ真っ只中だ」


園田さんは、プライベートなことを聞いてごめんなさいとそう言った。


「あのデッサン、あったでしょ。中谷さんも先生のところで見た……」



『デッサン』



「あ、はい」


眉村先生から、園田さんが書いたものだと見せてもらったもの。

男の人の背中が、魅力的に描かれていた……


「エ! もしかして」

「そう、あれもお仕事……いえいえ、啓太さん」


園田さんは、スーツ姿で、働く男性をじっくり見たことがなかったのかもしれないと、

啓太をモデルにした経緯を語ってくれる。


「大学を出て、一応、生命保険の会社に就職したのだけれど、
その数ヶ月後に先生の絵を見て、どうしてもとお願いしてアシスタントになって……で、
今まででしょ。先生のご主人が家に戻ってくるスーツ姿しか、見たことがなかったのよ」


眉村先生のアシスタントは、園田さんを含めて確かに全て女性だった。

家と仕事場を往復していたら、確かに働く男の姿など、見なかったかもしれない。

それにしても、あの絵のモデルが啓太だったとは。

どうしてなのか、初めてなのに見たことがあるような気がしたのは、

そういうことだった。



9-④




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