episode1 『その呼び方、なんとかなりません?』

episode1 『その呼び方、なんとかなりません?』

高校の体育教師になって、4年が過ぎた。

1年生の担任を持ち、毎日忙しく仕事をしている。

今日も帰りのホームルームを終え、全ての生徒が教室を出た。


職員室へ戻るルートは2つ。教室を出て、すぐの階段を降りること。

そして、もう一つ……。


2階の一番奥にある音楽室。中から彼女の演奏が心地よく響いてくる。

遠藤百合先生。音大を卒業し、うちの高校にやってきて2年。

そう、すっかり惚れてしまったのだ。


「遠藤先生、今度食事でも行きませんか?」


食事でも行きませんか? 行きませんか? 行きましょう。……行こうよ!

そうやって、やっと……


「今度は私が作ります」


そういう間柄になれたのだ。あぁ……長かった半年。俺は音楽室の前で、足を止め、

百合の『華麗なる大円舞曲』に耳をすます。

クラシックなんて興味もなにもなかったし、金管楽器の音に耳を塞いでいた俺だけど、

必死で勉強したんです。


……まずい、止まった。


教室の方へ目を移すと、扉を開けようとしている百合のおっかない顔が目に入った。

次の瞬間、ガラガラ……と開けられた扉。


「杉原先生、立ち聞きはやめてください!」

「……立ち聞きって」


はい、職員室へ帰ります。百合を怒らせると、あとが面倒なことも、

この半年で学んだことの一つ。俺はそのまま階段を降り始める。

それにしてもさぁ。彼氏に『杉原先生』はないんだと思うんですけど……。


そう、それは振り返れば2ヶ月前のこと。





放課後、音楽室にいる百合の元へ行き、彼女のピアノに聴き惚れている俺。

学生もいないし、ちょっとしたデート気分。


「それ、なんていう曲?」

「これは、愛の歌よ。知らないの?」

「知らないよ。俺、クラシックなんて詳しくないもん。百合のさぁ……」

「遠藤先生と言ってください。学生がいるんですよ、杉原先生!」

「……はい」


それでも、今よりは距離も近くだったんだよね。冗談言って一緒に笑ったり。

しかし……。


「ヒュー、ヒュー、杉っぺ、百合先生口説いてんじゃないの?」

「……おい! お前ら部活だろうが……」


出たな。吹き出物だけは立派な男子学生ども! 

そうここは、恋愛模様に興味津々な男女共学の高校。

教師が二人なんかでいると、必ず学生がこういった冷やかしを入れてくるのだ。

去年も実習生と廊下で話していただけで、あれこれ騒いでいたっけ。

まぁ、適当にあしらって……。


「あなたたち、杉原先生と私は、合唱コンクールのことで話をしてるの! 
何言ってるの?」

「……」


おーい……百合! そのいきなり立ち上がって、宝塚のような立ち振る舞いは

逆に怪しいって……。もう、不自然極まりない。


「遠藤先生に失礼だろ。俺は嬉しいけど……」

「……」


百合は驚いた顔でこっちを見る。ほらほら……目が大きくなってる! 

だから、軽く受け流せってば……。


「そうだよね、百合先生に杉っぺはもったいないよなぁ……」

「そうそう、杉っぺなんて林先生で十分!」


おい、古典の林先生は今年45だぞ。いくらなんでも、それはないだろう……。

独身だけど……。


「北村、お前早く行け。足立先生に言いつけるぞ」


俺は学生に向かって、軽く足を上げ、蹴りを入れる格好をする。


「百合先生、もし、杉っぺが襲ってきたら、そこの窓を開けて、
北村君! って叫んでくださいね。陸上部エースの俺が、すぐにかけつけます!」

「……アホか、お前」


襲ってきたらって……襲ってなんかないぞ。

毎回、毎回、ちゃんとキスして、しっかりムード盛り上げてますので、ご心配なく。


「そうね、そんなことされそうになったら、北村君を呼ぶから……早く行きなさい!」


呼ぶ……って、呼んでどうするんだよ、百合。

こいつらを呼んだ方がよっぽど危ないぞ。なんせ、あれこれ妄想族なんだからさぁ。


悪ガキどもは、なんだかんだふざけて、百合に投げキッスを送り、音楽室から出て行った。

俺は……。


「杉原先生、これからはここに入らないでください!」

「……は?」

「こんなこと。また言われるのイヤなんだもの……」


……といういきさつがあり、今や音楽室の前で立ち止まることも許されない。





仕方がないので、寄り道せずに職員室へ帰り、スポーツテストの結果を見ながら、

書類を書き写す。


職員の中でも、俺たちがつきあい始めたことを知っている人は、

おそらくいないんじゃないかな。


百合の席は斜め前。右足をグイッと伸ばせば、綺麗な足に触れることが出来る距離。

まぁ、こんなところでそんなことする必要はないですけど……。


「遠藤先生、今度ルッセンが来るのご存じですか?」

「あ、はい……。演奏会に行きたいなとは思ってるんですけど、
チケットと時間がとれるかどうか……」


ふん……チケット取れ、取れって泣いたでしょう、この間。

電話の前にかじりついて、こっちは必死だったんだけど……。


「僕の兄が協賛企業に勤めてるんだけど、チケット頼んであげようか?」

「……」


コラ、松居! お前、去年の実習生にも同じ手を使っただろう。

あの時は巨人戦だったけど、お前の兄さんはどんな優良企業に何人いるんだ!

百合、断れ! 断ってついでに、そのネクタイ趣味が悪いってそう言ってやれ!


「ありがとうございます。でも、自分で取ります……」

「……そ、そう?」


自分で取りますじゃなくて、杉原に取らせました! じゃないの?


ボンボン松居の下心攻撃をかわし、席へ着く百合。

しばらくすると、俺の携帯が鳴り出した。ジャージのポケットから取り出して、

メールを開く。相手は、すぐ斜め前に座っていらっしゃる音楽教師。



『ねぇ……今日、泊まりに行ってもいい?』



なんだよ、さっきあんなに怖い顔して人のこと追い払ったくせに! 『お泊まり?』。

いつも、忠犬ハチ公みたいに、待っていると思うなよ!

たまには上から目線で、メールを送り返してやる。



『今日は大学の仲間と飲み会だから、何時になるかわからない』



送信!


たまには、こんなこともいいんじゃないの? 

百合はそのメールを受け取り、また指を動かしている。



『いいよ、待ってるから。楽しんで来てね……』





……かわいい。





あいつらとの男くさい飲み会なんて、急病人になってすっぽかしてやろうか……。





「乾杯!」


結局急病人にはならずに、大学時代の仲間二人と、久しぶりの飲み会に出かけていく。

彼女が出来て、付き合いが悪くなると、あれこれ言われるからね。


「なぁ、GPSって知ってるか? あれ、大変だぞ」

「GPS?」

「携帯の番号を入れると、その人がどこにいるのか分かっちゃうんだ」


枝豆を食べながら、友人の高原は自分の携帯を取りだした。


「一日中、見張られているようなもんだ……うん」

「そんなの、いやだって言えばいいだろうが」

「言えたら楽だけどね、杉原!」


イヤなものはイヤ……くらい、百合は許してくれるけどなぁ。

むしろ『お願い!』をするのはいつも俺の方で……。


「どこにいるのか、知られたくないからイヤなんでしょ! 断るなんて言ったら、
そう言いかえされるぞ」

「はぁ……」

「女は独占欲が強いんだよ、覚えておけ」


なんだよ。そんなこと言いながら拘束されることを楽しんでいるように見えるぞ、高原。

まぁ、君たちのルールならそれもいいでしょうけど。

GPSか……。そういえば、百合、ちゃんと俺の家に着いたのかな。

いつも、電車をずらして、距離を少し開けながら、

それでもひとりで家に来させたことなんてなかったはず。


誰かに、後ろから着いてこられたら……。

百合は神経質だけど、変なところが抜けてるし……。

カギを開けた瞬間が、一番危ないんだよな……。



『いひひ……』

『キャー! 杉原せんせ~い!』



余計な想像力が、酒の力を借りて、全開モードに突入する。あぁ、どうしてだろう。

百合を襲う男の顔が、なんだかボンボン松居に見えてきた。


俺は二人に見えないように、携帯を開き、百合にかけてみる。

ちゃんと居場所を確認出来れば、安心するんだけど……。




出ない……。出ないってどういうことだ?



神よ……なぜ僕は百合をGPSに入れなかったのでしょう。


「なぁ、杉原……、おい、おーい。どうしたんだよ、ボケっとして」

「……ごめん、母親が泡ふいて倒れたので帰るわ」

「……は?」


あきれ顔の友人を二人残し、俺は店を出て行った。

ダメだ、こんなにも心配になるとは思ってもみなかった。

変に格好なんかつけずに、今日は百合と過ごせばよかった。

それか、来ちゃダメだって……言っとけば。


駅を降りて、駐輪場に止めてある自転車に飛び乗り、急いで家へ戻ってみる。

……暗い……。まだ、来てないんだ……。どこにいるんだ?

携帯電話を取りだし、何度も番号を回す。

毎度同じトーンで『電源が切れております……』を連発する電話会社。

メールを打っても、全然返事が戻ってこない。


……それから1時間、家の前でウロウロするしかない俺。時計は11時を回っている。

やみくもに自転車で走り回っても仕方がない。そうは思うのだが、

家と駅の間を、波のように行っては帰る……。

その時、横から急に聞き慣れた声がした。


「早いのね、杉原先生!」


俺は慌てて自転車を止め、振り返る。


「……遅いんだね、百合……」


機嫌のよさそうな彼女の手には、今、流行っている映画のパンフレットが握られていた。

ひとりで映画を見て、ここへ来るつもりだったとケラケラ笑う百合。


「ごめんね。映画館から携帯切ったままだった。でも、子供じゃないんだから、
ちゃんとひとりだって来られるわよ」

「子供じゃないから心配なんだって……」

「……もう、杉原先生ったら」


俺がやきもきしていたことを知り、嬉しそうに体を寄せてくる百合。

だから、その『杉原先生』っていうの、どうにかならないかな。

まるで、学生と問題を起こしている教師みたいじゃないか。


「ねぇ、この映画の犯人、意外な人なんだよ……知りたい?」

「……」


ここで知りたくないなんて言ったら、

その後が続かなくなることは目に見えてるでしょうが。


「うん、知りたい……」

「うふふ……教えない!」

「……」


……まぁ、いいか……。これはいつものことだ。

機嫌のいい君に、唇を寄せていく……。


「ダメ!」

「……どうして?」

「杉原先生、お酒臭い……」


だから、『杉原先生』っていうの、辞めようよ!

神よ、今日も私は、彼女に振り回されて1日を終えるのでしょうか……。


「どうしても、ダメ?」

「じゃぁ、この人のコンサートチケット取ってくれる?」


エ? また、電話に貼り付くの? それともネットでクリック攻撃?


「頑張ります!」


笑顔で頷く君にキスをする。あ……百合ちゃん、今日は案外積極的じゃないの? 

もしかして、あなたの方が、酔っぱらってない?




……あぁ、至福の時。




百合は何事もなく、わが家にお泊まりし、素敵な余韻に浸る俺だったけど、

次の日、『ダースベーダー』の着信音にのって、携帯から母の声が響いてきた。



『……泡ふいて倒れた母ですけど……。ウソつきの息子はおりますか?』



……ごめん。アドリブのきかない息子で。





杉原、これでも結構いいやつなんですよ……

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コメント

非公開コメント

大好きヨン

キャー大好きな"杉っぺ”^^

いじらしいほど百合先生に夢中。何だかんだ言いながらじゃれ付いてる姿が可愛い。

時々シリーズ(勝手につけた^^;)でたまにしか会えない杉っぺ、早く百合先生と
幸せの鐘を鳴らしてね。

すぎっぺファン

yonyonさん、こんばんは!


>キャー大好きな"杉っぺ”^^

すぎっぺファンを、堂々と声に出してくれるのは、yonyonさんくらいだよ。
なぜかこの作品は、こっそりブロメの感想が多かったの(笑)

時々シリーズ(いいね、そのネーミング、もらった!)はね、結構書くのが難しいんですよ。
オチを作るのが大変で。

すぎっぺと百合ちゃんの幸せの鐘かぁ……
しばらくは授業開始の鐘を、聞いてもらいましょう。

また、余裕が出来たら、書きますね!

杉原の苦労

mamanさん、こんばんは!


>惚れた弱みで百合ちゃんのいいなりの杉原せ・ん・せ・い!おもろい。

はい、これはおもしろい! と思ってもらうためだけにあるものです。
大きな事件もなければ、切なくなるようなこともなく、
ただ、杉原の妄想、空想のみで進みます。

また、出てきたら笑ってやってください。

笑いは難しいです

Tokihimeさん、こんばんは!


>思わず「ぷっ」って笑っちゃった、テンポがよくて続きが楽しみ~。

ありがとうございます。
結構軽いノリなんですが、作品的には一番頭を悩ませるものなんですよ。
笑いっていうのは、難しいものですね。

また、出てきたら笑ってやってください。

杉原の妄想力

yokanさん、こんばんは!


>そして、杉原先生の心の声が面白くて爆笑してました^^

はい、この話は杉原の妄想、空想のみで進みますからね。
百合ちゃんに翻弄されながら、頑張り続ける彼を、また、応援してやってください。