32 甘いささやき 【ピカドール】 ⑤

32-⑤


「あぁ、はい」

「ここをこれで」

「わかりました」

「すみません、ギリギリの訂正で」


電話で言い合うと、本当に伝わっているのかわからない。

私は写真を少しずらし、文字数を減らすこと、

相手先の電話番号が、1つずれたことを説明する。

さすがにベテランの職人らしく、こちらの指定の飲み込みも早く、

あっという間に、本印刷へ入っていく。

大きな機械がガチャガチャと動く音を聞きながら、

その油が混じったような匂いに、少し気分が悪くなった。





その週末、私は中谷家へ向かうことにした。

新潟の実家ではなく、同じ東京にいる兄の家だ。

義姉になる千波ちゃんが、秋に流産してしまったことを知り、

どんな顔をして会えばいいのか、なかなか気持ちがまとまらなかったが、

一つ年齢をあげた甥っ子の和貴が『幼稚園』に入園し、

時間が出来た千波ちゃんから、『遊びにおいでよ』と連絡をもらった。

タイミングは逃すべきではないと思い、私はその誘いを受け入れる。

千波ちゃんとは、最寄り駅の改札前で待ち合わせをした。


「未央ちゃん」

「うん」


よかった、思っていたよりも元気そう。


「ごめんね、買い物付き合ってくれる?」


私はいいよと返事をし、一緒に駅ビル内に入る。


「今まで、常に和貴が一緒だったでしょ。駅前にはおしゃれなお店もいろいろあるのに、
5分も見ていられなくて」

「そうだろうね、カズ、じっとしていないもん」


千波ちゃんは、入園当初も、泣きっぱなしだったと教えてくれる。


「泣いたの? あのカズが」

「うん、もう大泣きよ。嫌だ、嫌だって。
私も初めてだから、いざそうなったら少し気持ちがオロオロしてしまって。
でも、先生はプロ。はいはい、大丈夫ってサッと連れて行った」


千波ちゃんは左手を右から左に動かし、素早かったのよと表現する。


「へぇ……」

「でもそんなのは3日くらいだった。お友達がいるのが楽しくて、
今じゃ、自分で靴下も履くし、マンションの前でバスを待っていても、
道路の向こうを見て、まだかなって……」


子供の順応性は本当にすごいよと、千波ちゃんは明るく話してくれる。


「そのおかげで、こうして自分の時間が取れるようになったの。
買い物しなくても、見て回るだけで、目の保養だし」

「うん」


それから二人で喫茶店に入り、お茶を飲み、スーパーで食材を買い込むと、

マンションに向かう。

私は、和貴の入園式の写真を、見せてもらった。


「うわぁ……このお母さん、若そうだね」

「あ、うん。22歳だって」

「エ!」


22歳で4歳の子供。私は頭の中で簡単な計算式を思い浮かべる。


「驚いちゃうけれど、この子のおばあちゃんもまだ42歳だって言っていたもの」

「ほぉ……」


世の中には、私が知らないことが多いのだと痛感する。

42歳、眉村先生はいくつだっけ?

千波ちゃんは、私の前に紅茶のカップを置いてくれる。


「未央ちゃん」

「何?」

「ちょっと、痩せたね」


千波ちゃんは、仕事が大変なのかと、心配してくれる。

私は、それほどでもないのだけれどと言いながら、

本来なら私の方が気を遣うべきなのにと、思ってしまう。


「私ね、自分ではそれほど自覚がなかったのに、ストレスに弱いみたいなの」


4月になり、啓太が大阪へ行ってしまったこともあるだろうと、

自分なりの分析を付け加える。


「そうか、大阪に」

「1年だけど。ほら、彼の部屋が職場の近くだったから、いつでも行ける距離で、
結構重宝していたの。その場所がなくなってしまったという、なんだろう、
環境の変化?」


こんな言い方で正しいのかわからないけれど、分析すればこうなってしまうから。


「私の方こそ、ごめんね千波ちゃん」


悲しいニュースを聞いてから、電話もどうしたらいいのかわからなくて、

連絡すら出来なかった。


「そんなふうに気を遣うから、ストレスためちゃうんだよ、未央ちゃん。
私は大丈夫。それはもちろん悲しかったけれど、
あらためて奏樹と結婚してよかったと、思えた日々だったし」


千波ちゃんは、兄が一緒に泣いてくれたことが嬉しかったと、

涙混じりの声で、そう教えてくれる。


「この人となら、これからもずっといろいろなことを受け止めていけるって、
そう思ったの」


兄の話。

私は、その通りだと思い、頷いていく。


「千波ちゃんと話をすると、そんなにお兄ちゃんっていい男だったかなと、
勘違いするわ」

「エ?」

「子供の頃なんて、人の漫画を無くしても黙っていたんだよ」


その漫画は今でも書店に並んでいて、

そのタイトルを見ると『8巻』だけがないことを思い出すと笑ってみせる。


「そうなんだ」

「そうそう」


千波ちゃんの笑顔を見ながら、啓太の言うとおりだとそう思えた。

相手を信頼し、そばにいられることを嬉しいと思えていたら、きっとまた、

喜びは自らやってきてくれるはず。

その日は、千波ちゃんと一緒に和貴のお迎えに行き、

夕食までごちそうになって、部屋に戻ってくる。

お風呂に入ると、和貴が幼稚園で習ったと歌ってくれた子供の歌を、

自然と自分が口ずさんでいた。





『明日、東京に戻るよ』



5月のゴールデンウイークが終わった次の日。啓太が帰ってくることになった。

経過報告をするために本社へ立ち寄るから、

私の部屋に来るのは午後だと言っていたけれど、

久しぶりに会うのだから、明日は美味しいものを作らないといけない。


「すみません編集長、宛先のリスト、いいですか」

「ん? おぉ、すぐに見る」

「1時間以内にお願いしますね」


私は戸棚の前で何やら捜し物としている編集長に声をかけ、席に戻ると、

書類にサインを入れた。



33-①

《プレラブ プチ知識 タイトル写真》

32 【ピカドール】

★カクテル言葉は『甘いささやき』

材料はテキーラ 1/2、コーヒーリキュール 1/2





コメント、拍手、ランクポチなど、みなさんの参加をお待ちしてます。 (。-_-)ノ☆・゚::゚ヨロシク♪

コメント

非公開コメント