1F 『KISE』に関わる人たちのこと ③

1F-③


「おはようございます」

「おぉ、バタちゃん。今日も元気だね」

「それだけがとりえなので」


彩希は商品を乗せた台車を受け取り、箱の確認をする。

見慣れた箱の中に、いつも月曜に納品されていた商品がないことに気付いた。


「『チルル』の焼き菓子、やっぱり取りやめですか?」

「あ……そういえば、入っていないかもしれないね」


彩希は一覧表を確認したが、そこに『チルル』の文字は入っていなかった。

お客様の中には、これを目当てで買いに来てくれた女性客もいたのにと、

つい、ため息が出る。


「『チルル』を入れるって聞いたときには、うちもなかなかおもしろいねと思ったのに。
名前のない店は、あっという間に切られるよ。なんだろうね、
どうも現場と本部の意見がかみ合っていないのか、声、届かないなぁ……」

「そうですね」


彩希は、ありがとうございましたと頭を下げ、台車を押し始める。

『チルル』というのは、『キセテツ』が続く東京の郊外に、

店を構えている小さな洋菓子店だ。

丁寧な仕事をし、大量生産をしないのが売りで、

店以外では『久山坂店』のみが取り扱いをすると、

扱い始めた当初はとても話題になった。

しかし、昔から『KISE』に店を出している店舗から、

商品が被り、売りにくいとの苦情があり、力関係を感じた販売企画部は、

『チルル』の評判の良さなど度外視し、撤退を決めてしまったと噂になっていた。

彩希にとっては、とある事情から全く知らない店ではないだけに、

騒動に巻き込まれているのは、心苦しく思っていたが、

こうして取引が本当に止まったことを知ると、さらに気持ちが下向きになる。


菓子売り場を担当する『食料品』の社員は、たまに電話をかけてくるくらいで、

駅を反対に動くだけなのに、ほとんど売り場に顔を見せない。

苦情や要望は、すべて売り場チーフである男性がまとめ、

上へあげることになってはいるが、彩希や恵那たちは1年ごとの『契約社員』のため、

目をつけられるのを嫌がり、発言するものはほとんどいなかった。


「しょうがないな、またお店まで買いに行こう……」


彩希は台車を押しながら、売り場へ戻った。





「どういう意味かな、広瀬」

「どういう意味も何もありません。課長の考えていることは、
もう遅れていると言っているだけです」


拓也は買ってきたコーヒーをテーブルに置き、半分くらい飲むと、

先日話した提案が許可されたはずなのに動いていないと、指摘した。

課長の『小川徹(とおる)』は、トラブルメーカーがまた余計なことを言い始めたと、

顔をゆがませる。


「広瀬、お前の言ったことがたとえここでOKになっても、
それはあくまでもここだけの話しだ。百貨店という組織の中で……」

「そんなこと、今更話さなくても結構です。色々な売り場で散々聞きました。
ものには順序がある、上に通して印鑑が押されて、初めてこっちに戻ってくると」

「……おぉ、そうだ、わかっているじゃないか」


小川は、得意げに指を出し、拓也に向ける。


「それがくだらないって、言っているんですよ」


小川の指の動きが止まり、フロア一体が、拓也の発言で凍りつくように静かになった。

現在、男性衣料の担当をしている芳樹は、奥の方から、対角線上にいる拓也の姿を見る。

何を言っているのかまで、ハッキリ聞こえてこないものの、

その前に座っていた小川が勢いよく立ち上がったのを見て、

また何かを起こしたのだろうと、頭を抱えた。


「……くだらない? 広瀬、君は俺の説明に対して、その言葉をぶつけているのかな」

「誰でもどこでもいいですよ。俺からしたら、無意味なことのために時間を使って、
チャンスを逃している人、組織、全てがそう見えます。
あ、そういう意味では課長もその中に入りますね」


上司の小川は、あげた指を下ろし、両手を震わせながら、デスクの上を見る。

何か手に持ち叩けるものはないかと、視線を動かすと、

机の右に、クリアファイルがあり、その中に書類の束があった。

これだけ厚みがあれば、多少の刺激には絶えられると判断し、

それを両手でつかむと、デスクにバンバンとたたきつける。


「広瀬! お前……」


小川が、課長という立場から、拓也に反撃をしようとした瞬間、

クリアファイルの中にあった数々の書類が、入り口が解放されている箇所から、

勝手に飛び出し始めた。


「あ……」


小川は、厚みだけを考え、ファイルの片側が、開いていたことを忘れていた。

まとまっていた紙は見事にバラバラとなり、目の前を歩いた別の社員に、

踏みつけられる。


「な……コラ! 何している」

「あ、すみません」


とばっちりを受けた社員は、怒りの小川課長の声に、

すぐ用紙を拾い上げると前に出す。

小川は、落ちてしまったことで、書類番号がバラバラになっていることに気付き、

慌てて数え始めた。

拓也はその騒動を横に見ると、これ以上ここで議論は出来ないと判断し、

自分の席へ帰り、足を組みながら残りのコーヒーに口をつける。


「まったくあの人は……月曜の朝からどうしてこうなるかな……」


芳樹はそういうと、拓也と同じようにコーヒーに口をつけた。





百貨店の地下食料品売り場が一番賑わうのは夕方だが、

今日は、午前中から出足が好調だった。


「バタちゃん、ちょっといい?」

「はい」


洋菓子のブースを持つ売り場店員から、彩希に声がかかった。

その店員は、お客様から以前、この店のチョコレートケーキを買ったけれど、

少し苦味が強かったので、もう少し甘みの強いものはないかと聞かれ、

困っていると言い始める。


「うちの商品でチョコレートは1種類しかないでしょ。他のお店の方が甘いのかどうか、
食べたことがないし、どうしたらいいのか」

「わかりました」


彩希はすぐにお客様に声をかけ、

『チョコレートケーキ』を取り扱っている店はあと5つあるという説明と、

どのような味が好みなのかを、もう一度確認する。

お客様は年配の女性で、昔からあるような懐かしい味が好みだと話した。


「かしこまりました。それでは一番奥にある
『candy』のチョコムースはいかがでしょうか。
苦味は抑えられていて、板チョコの味に近いと思います。
もし、ケーキにこだわらず、チョコのお菓子というくくりでよろしければ……」


彩希の説明に、年配客は満足そうにうなずき、その店の前に向かう。


「はぁ……ありがとう」

「いえ、大丈夫です」


彩希は持ち場に戻ると、時間ごとの売り上げを用紙に書き込む。

出だしは、洋菓子よりも和菓子の方が好調だった。


「ねぇ、バタちゃん」

「はい」

「そんなに動き回ることないのに」


竹下は、客が手に取り、場所が乱れたクッキー置き場を整理しながら、そう言った。

同じく隣にいた高橋も、そうそうと頷いていく。


「そんなに踏ん張ったって、お給料上がるわけじゃないし、疲れるだけよ」


竹下は、『KISE』の契約社員として働いているのだから、

他店舗の苦情まで引き受ける必要はないわよと、彩希の肩を軽くたたいた。


「ブースに来たお客様は、ブースでさばかないと」


彩希はそうでしょうかと軽く笑う。


「持ち場だの、会社だのというくくりは、私たちの都合です。
お客様は、せっかくここへいらして、
甘いものを買うことを楽しみにしていらっしゃるのに、がっかりされたくなくて」

「楽しみ?」

「はい。美味しそうな『お菓子』を見て、選んで、買って、食べる。
これは『心』を幸せにする大切なことです」


彩希は用紙のチェックを終えると、空いているダンボールをまとめ始める。


「『心』?」

「……と、祖父から言われたことがありまして。
えっと、これ、邪魔になるので、裏に運びますね」

「あぁ、はい、はい。よろしくね、バタちゃん」


竹下はそういうと、高橋と顔を見合わせる。


「『心』だって」

「ねぇ……そんなもの、どこにあるのかもわからないのに」

「うん」


竹下と高橋の二人は、揃ってお腹に手を当てると、

あとどれくらいここに立っていれば休憩時間になるのかと、数え始めた。



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