5F やるにしてもやらないにしても ③

5F-③


小川はそこに書かれた中身を見たが、以前とは違う内容に慌て出す。


「あの……いや、益子部長、これは」

「どうしました小川課長。こちらの希望も伺って、私なりに結論を出したつもりですが」


益子は木村課長から、小川課長がどう思っているのかを聞いているのでと前置きする。

つまり、小川としては拓也がここからいなくなることを望んでいるのだから、

文句はないなと、釘を刺した。


「いや、異動に関しては、何も……しかし、これは」

「どういう待遇で異動をさせるのかまで、聞いていたわけではないからね。
新しい組織側が、待遇を決めたらいいことだろう」


そういうと、小川から紙を取り、あらためて益子は拓也に声をかける。


「広瀬……」

「はい」

「色々と手間を取らせて申し訳ないが、
君にはこれから『食料品第3ライン』で力を発揮してもらいたい」


拓也の前に置かれたのは、異動のことが書かれた正式の用紙だった。

『食料品第3ライン』への異動。

益子の発言に、拓也はまた小川の嫌がらせかと顔を見るが、小川は違うと首を振る。


「入社5年で、4つの担当とは、なかなかな経歴だよ。
しかし、どこでもいい企画を出し、それを実現してきたという実力に、
僕自身がほれ込んだ。新しくエリアを定めたために、私を含め、
担当者もみんな駆け出しに近い。だからこそ、君のような新しい力が必要だ。
これでどうだろう」


拓也は視線を紙に戻す。


「は?」


そこに書かれていたのは、異動のことだけではなく、

拓也が『チーフ』として中に入るという事実だった。

拓也は目の前に立つ益子の顔を見る。

冗談だと言うにはあまりにも大掛かりで、あまりにも状況が突然過ぎる。


「君にこれを納得してもらうこと、そこから私の挑戦が始まるんだ。
さぁ……受け取ってくれ」


拓也と小川、そして益子の『三角関係』を、同じフロアの端にいる芳樹も、

懸命に見つめ続ける。もう、ないだろうと思っていた異動が、また目の前に現れ、

拓也がどう反応するのか、他の部員たちも少しずつ注目し始めた。

エリカはひとり、その騒動に背を向けたまま、仕事をする。


「益子部長」

「うん」

「このように評価をしていただき、ありがたいことだと思います。しかし……」

「しかし?」

「はい。俺は食料品には向きません」


拓也は、自分があまり食に対してこだわりがないこと、

ラインの人たちがどういう仕事をしているのか、少し知ったことで、

馴染むのは難しいのではないかと思ったことを、素直に話す。

益子はその話を、腕を組みながら聞き続けた。

小川は拓也から見えない場所で、『こうなったら、行け、行け』と念じ続けている。


「食に対するこだわりか……君らしい真面目な考えだけれど、
君になくても、他のものにあればそれでフォローが出来る。
そもそも、組織というものは、互いの力を結集していき、出来上がるものだ。
君にはまとめ役になるチーフを頼みたい。誰にその力があるのか、
どうすれば力が出せるのか、そこを考えればいい」


益子は自信満々にそういうと、さらにどうだろうかという顔をする。

拓也は返事をしないまま、口を結ぶ。


「佐々木部長から私に担当が変わるのだから、下の人間の考えも、
もちろん変わってもらう。私が欲しいのは実行力だ。強く思い、やり遂げる力なんだよ。
君を誘っていることが間違っているとは、思えないけどね」


益子は、そう言い切ると、困っている拓也に笑みを浮かべ、

あらためて異動の用紙をデスクに置いた。


「広瀬……君はサラリーマンだ。最終的には決定事項にしたがってもらう。
嫌だというのなら……出て行くしかないが」


益子はそういうと、拓也を見る。

『退職も構わない』というような益子のセリフに、拓也は当然身構える。


「……なんて、脅かしたほうがいいのか?」


益子は、待っていると拓也の肩を叩き、そのまま部屋を出て行った。

拓也の視線が小川に動く。


「木村が入院だなんて……あぁ、大丈夫かなぁ……」


小川は、拓也の視線を感じ、木村の家に連絡をしようとつぶやきながら、

部屋を出て行ってしまう。拓也は益子が残した辞令の用紙を握りつぶそうとしたが、

それは思いとどまった。益子の言っていた通り、最終的には人事に従わなければならない。

気に入らないというのなら、サラリーマンが取れる行動はひとつしかなかった。

それでも落ち着かずタバコを確認すると、そのまま喫煙所に向かう。

拓也の動きを察知したエリカも、席を立った。





『食料品第3エリア』



数多くある商品の、味すら満足にわからない自分が、担当するだけではなく、

そのリーダーを勤めるというのは、正直無謀だと思えた。

現在の担当者がいるので、とりあえず仕事が止まることはないだろうが、

『いい』と『悪い』の判断を、出せるかどうかの自信がない。

持ってきたライターをカチカチして火をつけようとするが、なかなかつかない。

すると、横から女性の手が動く。


「どうぞ」


火を差し出したのは、エリカだった。


「どうも」


拓也はエリカから火をもらい、タバコを吸い始める。

同じようにエリカもポケットからタバコを取り出すと、火をつけた。

エリカの出したタバコは、細身のメンソール系、

互いの煙が、ためらいながらも上へ伸びていく。


「私も異動させてもらいました」


エリカの言葉に、拓也は顔をあげる。


「益子部長は、『木瀬百貨店』の中でも改革派の方よ。他企業から来たから、
今までのやり方とか、伝統なんて、あまりこだわらないと思うの。
これまでにうんざりしているあなたも私も、ここは、チャンスだと思うけれど」


エリカは、結局、洋服も食べ物も、変わらないはずだとまたタバコを吸っていく。


「そうだろうか……」


拓也はその意見を否定した。エリカの視線がまた動く。


「食べるもの……特に、嗜好品と言える部類は、そんなものじゃない。
味、それから人……生活の中に絶対必要なものではないからこそ、難しい」



『そんなもの新しい場所でやればいいんだよ』

『でも、約束が』

『約束? 誰がしたんだ。俺はした覚えがないぞ』



「ひとつ狂うだけで、全てが狂う……」


拓也のつぶやきを聞きながら、エリカはその横顔をじっと見続けた。





「えぇ……大変残念なことだが、うちの……そう、うちの広瀬が、
このたび、『食料品第3エリア』に異動となった」


益子の訪問から3日後、結局、拓也は異動を受け入れることになった。

小川は、『寂しい』などと、思ってもいない言葉を並べ、

精一杯悲しそうな顔をしようとするが、口元がゆるみっぱなしになる。


「いいですよ、課長。そんな思ってもいない、どうでもいい話しは」

「思ってもいないだと、何を言うんだ。どうでもよくなどないだろう。
お前は、うちのエースとして……」

「少なくともエースではないです。こうしてトレードされるんですから。
巨人が他チームに菅野を出しますかってことですよ」


拓也はそういうと、机の中からものを出し、まとめていく。


「いやいや……」


結局、小川の挨拶は、最後までしまらない状態で続き、

拓也はメンバーに軽い挨拶をした。



5F-④




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