9F わからないことを悩む時間 ③

9F-③


彩希は視線を動かさず、箸だけを動かし続ける。


「あの時は、君を怒ったわけじゃない。ただ、間違っていると思ったから……」

「間違っている」

「あぁ、そうだ」

「そうですか。それなら、そういうしっかりとした人たちが、
仕事をしてくださればいいと思います。とにかく、私は……出来ません」


彩希は、そこから箸を置くことなく、どんどん食べ進める。

その強い拒否態度に、拓也も言い返すことをあきらめ、座っていた場所に戻った。

遠くになった彩希の姿をとらえながら、椅子を引き、とりあえず座る。


「……ったく、どうして、あぁいう態度になる」


拓也は芳樹の背中越しに、彩希を見る。


「彼女、この間のこと、相当怒っているんですよ。
広瀬さんが、しなくてもいいのに、人のプライベートに首を突っ込むから……」


拓也は、彩希に向けていた視線を動かし、芳樹を見た。

芳樹は、少し強く言ってしまったかもしれないと思い、湯飲みのお茶を飲む。


「そうだよな」


芳樹に戻ってきたのは、予想外の返事だった。


「俺もそう思うよ。別に、人がどんなものを買おうが、買わされようが、
知らないふりをしておけばよかったんだ」

「広瀬さん」

「あの日も、一瞬そう思った。あの子、また何か巻き込まれているんだって。
でも、そう思った瞬間、足が店に向いて。で、気付いたら文句を言っていた」

「はぁ……」


拓也は、また別の焼き菓子についていたビニールを取る。

そして、黙って口に入れた。

芳樹は、その様子を見続ける。


「わからないな……どうしてなのか」


拓也が去った彩希と恵那の席では、それなりに食事が進んだ。

どちらも黙ったままで、いつものようにくだらない世間話も、

タレントの噂話も出てこない。


「バタちゃん」

「何?」

「あんなふうに、強く拒絶するバタちゃんって、私初めて見たかも」


恵那は、いつもどんな面倒なことを振られても、

嫌な顔をせずに取り組む彩希しか知らなかったので、どこか新鮮だったと笑い出す。


「今だってさ、あの広瀬さん?
『チルル』をもう一度取り入れたいから動き出したのでしょ。
バタちゃん、『チルル』のこと、アンケートに書いたのかと思っていたけれど」


恵那は、そういうとテーブルの醤油を取る。


「あれだけハッキリ拒絶しちゃって……」


恵那の言葉に、彩希の箸が止まる。

冷静に考えると、確かに恵那の言うとおりだった。

元々、拓也と彩希が会話をするようになったのは、

彩希自身が冬馬の会社のことを話し、拓也は自分の立場で出来ることをしただけだった。

確かに、『ADB』という会社に問題があったことも事実で、拓也の指摘がなければ、

違った意味で、会社に迷惑をかけていたかもしれない。

彩希はあらためて箸を動かそうとするが、また動きが止まる。


「でもさ、私たちが書いたアンケートに、どんなふうに答えを返してくれるのか、
楽しみにもなってきたけれど」


恵那は、本部が真剣に取り組んでくれているのがわかってよかったねと、

箸を動かし続ける。

彩希は、箸を置き、ポケットからハンカチを取り出す仕草をしながら、

離れた場所に座る拓也の姿を確認する。

この間も一緒にいた男性と座る机の上に並んでいるのは、

確かに『リリアーナ』と『チルル』の焼き菓子だった。



『そうだ。他の焼き菓子と何がどう違うのか、食べてみたけれど、俺にはわからない』



『わからない』と言いながら、どこか自信ありげな拓也の口調を思い出す。


「食べ比べたのに、わからないのがおかしいの」

「何? 何か言った?」


つぶやきに反応した恵那が、そう問いかけたので、

彩希は首を振り、また箸を進めた。





『先日のアンケートについての返答 1』



アンケートを取ってから1週間後、彩希たちが使う更衣室にある掲示板に、

比較的すぐ対応できる問いに関しての答えが、張り出された。

採用する方向で動いているもの、どういう理由で無理なのかを書いたもの、

誰が意見を出したのかは発表されていないが、それなりに満足するものが戻り、

スタッフたちは、次の日には自分の問いに対する答えが出るだろうかと、

毎日その場所の前に立ち、話をするのが普通になる。

第3ラインの返答も、日を重ね『4』まで進んだが、

彩希は、自分が書いた『チルル』に関してのものはまだないことがわかり、

掲示板の前を通り過ぎ、そのままロッカー前に立った。


「あ、江畑さん、来た、来た」

「はい」


彩希に声をかけてきたのは、チーフの男性だった。

いつも特別なことなど言われないため、彩希は、何があるのかと身構える。


「申し訳ないけれど、開店したら、このメモに書いてある焼き菓子を買って、
レシートと一緒に、僕に戻してくれないか」


チーフから渡されたのは、封筒に入ったお金と、焼き菓子のリストだった。

『リリアーナ』のものもあれば、別の店舗のものもある。


「お客様のご要望ですか?」

「いや、本部の広瀬さんから頼まれてね」


『広瀬拓也』

彩希は、朝からまたこの名前が出たと思い、ため息をつくのと同時に、

あれだけ嫌だと断ったのに、今度はチーフを絡めて来たのかと考え始める。


「あの、別の方にお願いしてもいいですか、これ」

「別? どういうこと」

「どういうことと言うか」

「まぁね、江畑さんにと名出して言われたわけではないから、
無理だというのなら、それはそれでいいけれど。
広瀬さんから、この売り場のお菓子に対して、
しっかりとした知識がある人に頼みたいと、そう言われたものだから」


チーフは、彩希が一番適任だろうと思い、頼んだのだがとそう言った。

彩希は、拓也が自分を指定したわけではなかったことに気付き、

怒りの角を少しだけ引っ込める。


「すみません、大丈夫です。わかりました。やっておきます」

「あ、そう? いい? それなら、買い終えたら僕のデスクの上に置いてください。
後で向こうに持って行きますから。もう一度言うよ、勝手に持って行かないでね、
持って行くのは僕だからさ」

「はい」


チーフは『それでは』と笑顔を見せたまま、何やら知らない曲をハミングし始める。

彩希は、拓也の名前を聞き、冬馬と話をしている時や、

食堂でも、急に拓也が現れたことがあったため、

少し自意識過剰になっているかもしれないと反省する。

彩希は、チーフが離れていってから、あらためて焼き菓子のリストを見た。

『KISE 久山坂店』の売り場の中で、『焼き菓子』を扱う店を全て調べ、

『チルル』の商品と、見た目が似たようなものを並べている。

彩希は、拓也がこの間のように、食べ比べるつもりなのだろうと考えた。

彩希はリストを持つと、それをお金の入った封筒と一緒に、

エプロンのポケットに入れた。





拓也は、『チルル』の開店時間を過ぎた頃、また顔を出し、

以前、『KISE』が納品をお願いしていた焼き菓子を購入した。


「はい。1,330円です」


奥さんは、袋に詰めると、それをビニールに入れる。

拓也は、ありがとうございますと受け取り、財布をしまった。

最初はただのお菓子好きだと見ていたオーナーの毅も、毎日のように通い、

買い続ける拓也を不思議に思い出し、作業の帽子を取ると、工場から店に出た。


「あの……」

「はい」

「失礼なことをお聞きしたらすみません。
ただ、こう毎日のように来ていただくのが、少し不思議に思うものですから」


毅はそういうと、拓也に頭を下げた。

拓也は、毅の言うとおりだと考え、ポケットから名刺を出す。


「申し訳ありません。実は……」


毅は名刺を見せられ、明らかに顔つきを変えた。



9F-④




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