10F 商品と人の価値 ①

10 商品と人の価値

10F-①


その日の帰り、彩希は電車に乗り、読みかけの本を取り出した。

挟んでいたしおりを取ろうと思ったが、手が止まる。

チーフに言われて、頼まれたものを購入し、

それをテーブルに乗せればよかったのに、

拓也がメモに書いたラインナップを見ているうちに、

『yuno』を思い出し、店名を書き入れてしまった。



『そうだ。他の焼き菓子と、何がどう違うのか、食べてみたけれど、
俺にはわからない』



拓也は『リリアーナ』と『チルル』の焼き菓子をいくつか比べ、

大手にはない、小さな洋菓子店のいいところを探そうとしているように思えたが、

彩希は、『チルル』の味と作りの良さを知ってもらうには、

比較対象は『リリアーナ』ではない気がしていた。

丁寧な仕事をしている意味を、感じ取った方が早いのではないかと思い、

見た目が変わらないお菓子が、どれくらいの評価を得ているのか知ってもらうため、

世界的に有名な『yuno』を出した。

『yuno』の看板とも言えるものと食べ比べても、『チルル』の商品は劣らないし、

価格を比べたら、ものすごくお得感もある。

『味』だけではわからないと言った拓也でも、

『金銭』というもう一つの物差しがあれば、

何かしらわかることがあるだろうと思った彩希は、本を読むことなくバッグに戻した。

外はすっかり夜になり、街頭と家々の明かりが自然と目に入る。

うたたねしているサラリーマンや、部活に疲れた学生を乗せた電車は、

また次の駅に向かって、走り出した。





荒い息づかいと、汗ばむ背中。

エリカは純の体にしがみつくようになりながら、その感覚を受け入れる。

長い吐息の後で、見つめあったまま、二人は唇を合わせた。

エリカは、体を横に向け、しばらく純の顔を見続ける。


「忙しそうね」

「どうしてそんなことを聞く」

「純が私を誘うときって、いつも忙しいから」


エリカは、左の人差し指を純の頬に当てる。


「どういうことかな。こうして会っているのに、責められている気分だ」

「責めているわけじゃないわ。戦いの中にいる男は好きだもの」


エリカは頬に当てた指を、純の鼻に動かそうとする。

純は、それを左手で軽く払った。


「まぁ、忙しいよ、確かに。
『伊丹屋』も老舗だとあぐらをかいている時代ではないし」


純もエリカと向かい合うように横を向く。


「ねぇ、『yuno』のことなんだけど」

「『yuno』? あぁ、うちに出店しているあの店のこと?」

「そう」

「それが何? もしかしたら『KISE』も店を出させようとしているとか?」


純は、軽く笑いながら、それは難しいだろうなとエリカに告げる。


「わかっているわよ。あの店がどれくらいわがままで、
色々厳しい条件を出してくるのか。うちはそんなこと、考えていないわ。
『伊丹屋』の後追いをしたって、意味ないでしょう」


エリカは、純に向かって、そう言いきった。


「それはそうだね。だったら、どうして『yuno』のことを聞くの」

「今日、話題に上がったの」

「話題に?」

「そう……ねぇ、純。『チルル』って小さな洋菓子店、
『キセテツ』の北住路線にあるのだけれど、知っている?」


エリカは『チルル』という店がどこにあって、

どういうものなのか説明しようとしたが、純はすぐに手を出し、発言を止める。


「『チルル』だろ、そこなら聞かなくてもわかるよ。もちろん、場所も。
『KISE』が契約を打ち切ったと聞いたからね、正直、狙っている」


純は、『チルル』の焼き菓子は、レベルが高いと、そう評価した。

最初は楽しそうに商品の説明をしていたが、その言葉が急に止まる。


「純、どうして話すのをやめたの?」


エリカは、黙った純の顔をじっと見る。


「それって……広瀬という男が動いている……その話なのか。
『チルル』と『yuno』と、食べ比べて」

「どうしてそう思うの?」

「……そこに来たかと、正直思ったからさ」


エリカは純の様子に、横に向けていた体をうつぶせにする。


「そこに来たって言い方をするということは、つまり……
純は、この2つを比べている意味があると思っている」


エリカはそういうと、純を見る。

純も、その視線に気付き、エリカを見た。


「なんだよ、ずいぶん探りを入れるような話し方だな。何が言いたい」

「聞いているのはこっち」

「いや……。よし、そっちがはぐらかすのなら……」

「はぐらかしているわけではないわ」


エリカは、あらためて体を純の方に向けた。


「私にもよくわからないの。だから聞いている」

「よくわからない?」

「そう……この間、通販で人気のある羊羹を食べ比べた話をしたでしょ。
まぁ、老舗だけにこだわらず、人気のある店を取り入れて入ったらどうだという、
あちこちの後押しがあって。で、そのとき、食料品売り場で販売員をしている女性に、
広瀬さん、羊羹の味を確認させたの」

「販売員」

「そうよ。『木瀬百貨店』が半分経営している派遣会社の女性。
私は、どうしてそんなことをしたのかわからなかった。
でも、彼女、相手方が、羊羹に『和三盆』を使ったと表示していたのに、
それはどうなのかと見抜いたの」


エリカは、出された羊羹は最高級とは言えないけれど、

決して質の悪いものではなかったと、そう話す。


「見抜いたって、何? 材料の違いを食べてわかったということ?」

「そう。目を引くために、『和三盆』の表示していたらしいけれど、
実際には本当に微量混ぜているだけで、とても表示までして、
使っているとはいえない商品だった。羊羹の大きさは、角砂糖ほどよ、
それを食べただけで、わかる?」


エリカは、拓也が食品売り場のチーフに、

参考となるようなお菓子を買ってきて欲しいと頼んだ袋に、メモを入れたこと、

そのメモに、別の人間が『yuno』の文字を手書きしていたという話をした。


「お菓子の袋を持ってきたのは、確かにチーフだった。
でも、『yuno』の文字を書いたのは、チーフではないわ……
あれは絶対に女性の字。おそらくあの時、羊羹のことを言い当てた女性が、
広瀬さんが『チルル』の復活を考えていることを知り、
『yuno』の文字を書いたと……私は考えた」


純は、その話を聞き、余裕のあった表情を変える。

エリカの言うとおりの話だとしたら、どんな人間なのかと自然に興味もわく。


「売り場に詳しい店員っていうのは、どこにもいるわよ。
『新原店』にだっていたし、そう、『伊丹屋』にもいるでしょう」

「まぁな」

「そうか……あの2つを比べることには、やはり意味があるのね。
私には、どういうことなのかわからなかったけれど、純の言葉を聞いていたら、
あの人、ただの販売員じゃないのかもしれないって、そう思えるようになってきた」

「どんな人なんだ、その人」

「江畑彩希。年齢は……」

「江畑彩希?」


純は、すぐに『チルル』へ来た彩希のことを思い出す。


「あぁ……」

「エ? 何、純、知っているの?」

「『チルル』の前で会ったよ。いや、彼女と最初に会ったのは、
『ADB』っていう会社を調べに行った時だったけど……あの人か」


純は、知らない街の中で、目をキョロキョロさせていた彩希のことを思い出す。


「あの人がか……」


純は、『チルル』の前で再会した時の、彩希の顔を思い出し、軽く笑みを見せる。


「あの人、そんな才能を……」

「ねぇ、純。どうして『チルル』と『yuno』で食べ比べる意味があるの?」


純は、そう聞きだしたエリカを見る。


「聞きたい?」

「もちろん」

「それなら、ひとつ約束をしてくれないか」

「約束?」

「あぁ……」


純はそういうと、横にいるエリカを引き寄せ、もう一度唇を重ねた。



10F-②




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