10F 商品と人の価値 ②

10F-②


「降ります、降りますから」


また、いつもの朝が始まり、彩希は満員電車の中から、必死に体を動かした。

扉が閉まりそうになったものの、なんとか外に出る。


「はぁ……もう。どうして毎日こうなるんだろう」


電車に乗ったあと、彩希は降りることを計算し、

なるべく入り口から近い位置に立つことに決めていた。

吊り輪もその場所をキープしたはずなのに、

気づくと座席の並ぶ奥の方へ押し込まれていることが多い。

なんとか人をかき分け車内から外に出ると、今日も無事到着したのだと心が感じ、

一度大きく息を吐いた。

彩希の電車が到着して5分後、

拓也と芳樹を乗せた電車が、同じホームの別番線に到着する。


「『伊丹屋』にですか」

「あぁ、この後行ってくる。『yuno』とかいう店は、『伊丹屋』にしかないらしい。
全く、面倒なことだが、挑戦を放棄するわけにはいかないし」


拓也は、乗るために人が待っているエスカレーターではなく、

階段を選び1段ずつ降りていく。芳樹もその動きに合わせ、隣を歩き始めた。


「大林、お前、知っていたか。日本なら『伊丹屋』にしか出さないと、
生意気なことを言う店が、世界にいくつもあるらしい」

「あ、はい」


芳樹の反応を見た拓也は、自分が知らなかったことを知っていたのかと聞く。


「『伊丹屋信仰』ですよね。それくらいは知っていますよ。
『yuno』ももちろん、知っています。フランスで有名なパティシエが、
日本に和菓子の勉強に来た時、『伊丹屋』の呉服売り場に偶然行って、
その見事な色彩の反物が並ぶセンスにほれ込んで……」

「反物?」

「そうです。『和柄』……市松模様とか、さくらの花びらとか、
チョコの模様として利用したらしです。
その縁で、唯一、店を出すことを許したのが『伊丹屋』だって、
当時、話題になりましたからね」


芳樹は、『yuno』という店だと、小さな焼き菓子が、

高級ショートケーキくらいの値段設定になっていると、説明する。



「高級ショートケーキの値段? なんだそれ」

「普通のケーキよりも高いということです。
外国から入ってきているというところもあるのでしょうが、とにかく高くて」


二人はそれぞれ階段を降り、定期をかざして、改札を出る。


「全くなぁ、菓子なんて生活に欠かせないものではないし、
元々好きなわけでもなかったから、なかなかやる気がみなぎってこないけれど……」


拓也は、こんな面倒なことになるのなら、

意地でも寝具売り場に残っていればよかったと言おうとしたが、

隣にいる芳樹と目が合い、その思いは飲み込むことにする。


「いや……うん」


確認していない段階では、確定とは言えないけれど、

チーフに頼んだ袋が、拓也の袋だとわかったうえで、

彩希が『yuno』という文字を書いた。

拓也の予想はこのような形で、彩希が、メモを書き加えた意味を探り、

拓也は、自分には実力があることを示してやろうと考える。


「よし」


拓也は、ぼやいていた口を自分で軽く叩いた。


「どうしたんですか。急に自分を叩くなんて。こんな季節に蚊でもいましたか?」

「いや……」


二人はそのままいつものコーヒーショップに入り、『ブレンド』を注文した。





彩希は制服に着替え、開店前の店に出ると、新しく入ってきた商品を並べ、

売れた商品の補充をし始めた。


「おはようございます」

「あら、おはよう……」


目の前にある『リリアーナ』には、ベテランの店員が到着し、

どこよりも広く取ってある売り場に、箱から出した商品を並べだした。

『KISE』に展開しているどの食料品のメーカーよりも歴史があり、

互いにライバルでも仲間でもある状態だったが、そのベテラン社員には、

ほとんどの販売員が、気をつかっていた。


「寒くなったわよね。もっと自宅の近くに勤務させてもらおうかしら」


彩希は、その女性の嘆きを聞きながら、自分の目の前にある、小さなスペースを見る。

元々、大量生産が出来ないので、『チルル』の商品があったのは、このあたりだった。

朝、『KISE』の扉が開き、オープニングの曲が流れている間に、

寄り道することなく『チルル』の場所に向かい、楽しそうに買い物をするOL。

前回、買ってみたらとてもおいしかったので、また来ましたと、

杖を持ったまま、笑っていた年配のお客様。

そんな顔が、浮かんでくる。


「バタちゃん、バタちゃん」

「はい」

「ねぇ……これ、重たいから運んで」

「わかりました、今やります」


彩希はそういうと、手を振って呼んでいる竹下のところに向かった。





芳樹に宣言したとおり、拓也は朝礼を済ませた後、『伊丹屋』の新原店に向かった。

『KISE』と同じように、食料品売り場は地下にあり、平日の昼間にも関わらず、

中は客で賑わっている。

『KISE』にもある馴染みの店、そして『伊丹屋』が動き出店を決めた店、

さらに奥へ進むと、目的になる『yuno』の売り場があった。

ワインレッドをメインカラーにし、シルバーの文字が掘り込まれている。

ケースの中に見えた焼き菓子を、数点選ぼうとした拓也の目が、

さらにもうひとまわり大きく開いた。

芳樹の話していた通りの値段設定がそこにある。


「これ、くださるかしら」

「はい……ありがとうございます」


指にしっかりとした指輪をはめた、いかにもお金持ちそうな女性が、

迷う拓也の横で、焼き菓子数点が入った詰め合わせを購入した。

樋口一葉を出しただけでは足りず、数枚のコインも財布から飛んでいく。

しかし、ハイセンスな包装紙に、独特なリボンのつけ方。

これを土産にすれば、間違いなく目を引くものであることは間違いない。


「お客様は……お決まりでしょうか」


別の店員に声をかけられ、

拓也は『チルル』で購入したものに似ている焼き菓子を数点選び、

財布が軽くなるという現実をあまり見ないようにして、会計を済ませた。





拓也は戻ってくると、『チルル』と『yuno』。

両方の焼き菓子をデスクに並べた。

包装自体は、『チルル』がシンプルなため、『yuno』の豪華さとは比較できないが、

その紙をはずしてしまうと、見た目はあまり変わらなく思える。

以前買ったナイフで、それぞれを半分に切る。

断面は同じようにきめ細かく、ふわりと香りがあがった。

エリカは、その様子を見ながら、ファイルを取る。

拓也はしばらく動きを止めていたが、『チルル』のお菓子を食べた。

エリカから見える拓也の表情には、それほど大きな変化がない。

拓也は、さらに『yuno』のものも、口に入れた。


「はぁ……」


口を動かし終えて拓也が時計を見ると、

あと10分ほどで休憩時間になることがわかる。

拓也は『チルル』と『yuno』の袋を両方持ったまま、部屋を飛び出した。

その様子を見ていた武と、まつばの顔が上がる。


「広瀬さん、また『チルル』のお菓子、食べていたけど、
『チルル』のこと、本当に復活させようと思っているのかな」

「今のところ、そう見えますよね。
大山さん、難しい事だって、言わなかったんですか?」


まつばは『リリアーナ』がまた文句を言ってくるのではないかと、心配する。


「言ったよ、俺は。地下売り場の店に関しては、色々と制約がありますって。
聞いていたのかどうかは、わからないけれど」

「それじゃダメじゃないですか」

「ダメって言われてもさ、あの人、一応『チーフ』だし。
俺、いざこざ起こすのも嫌だしさ」


武は、バレンタイン関連の見本商品が入ってくるからと言い、

その前にタバコを吸うため、喫煙所に向かった。



10F-③




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