17F 部分的計算の法則 ③

17F-③


「どうした」

「久山坂店に行ってきてもいいですか」

「は?」


拓也は、どうして今、向こうに行くのかと彩希に尋ねた。

まつばは、朝から身勝手なことばかり言っていると、

あからさまに表情を不機嫌なものに変える。


「『雫庵』は無理ですけれど、一部、それらしきものを買ってきます」

「それらしきもの?」

「はい。もちろんここにそのものはないですから、再現は無理ですけれど、
近いものは『KISE』の和菓子店舗にあります。今、話していたことの、
雰囲気でも感じてもらえたら……」


エリカは、彩希のセリフを聞き、どういうことなのかと尋ねる。


「『雫庵』のことです。どら焼きの皮は、『竹ノ堂』のもので十分並べると思います。
しっとりとした食感も、口に入れたら溶けてしまうような感覚も、
似ている気がしますし」

「『竹ノ堂』って、『節羊羹』のところ」


拓也は、以前、彩希が店の名前を出したことを思い出す。


「はい。あのお店は和菓子の店として、本当に力がある店です。
CMなどはしていませんが、固定客も多く、みなさん長く食べているので」


彩希はそういうと、すぐに買ってきますと立ち上がる。


「待て! 俺も行く」


拓也はそういうと、資料を持ったまま、彩希と一緒に部屋を出た。





本社の階段を降り、そのまま地下通路を通る。

彩希は、仕事でお菓子が食べられるのは幸せなことですねと、笑顔を見せた。


「なぁ……」

「はい」

「本当に『雫庵』を知っているのか」

「はい。最後に食べたのは中学生くらいだったと思いますけれど、
でも、味は忘れていません。ここに勤めて『竹ノ堂』のどら焼きを食べたとき、
そうだ……って思い出しましたから。ただ餡が違いますけど」


彩希は、『KISE』にある和菓子の店や、売り物のことを考えながら、

何か近いものがなかったかと、あれこれ思い浮かべる。

『大判焼き』や『きんつば』。そして『羊羹』まで、餡を使ったお菓子は数多くあるが、

どれも『これだ』という気持ちまでは、届かない。

彩希と拓也が地下通路を半分くらい歩いてきた時、

上から『ド-ン』という強い音聞こえ、瞬間的に揺れが起きた。

彩希は何が起きたのかわからず、その場で耳を塞ぎ、うずくまる。


「なんだ、どうした……」


うずくまった彩希のすぐそばにいた拓也は、彩希の体を庇うように体を寄せた。

互いに呼吸が届きそうになるくらいまで近付くことになり、彩希は思わず顔をそらす。

あまりにも大きな音だったが、その後は不気味なくらい静かに変わり、

それがより一層、不安をかきたてる。


「何が起きた……地震か?」

「わかりません」


彩希は拓也自身に覆われるようになりながら、静かな数秒間を過ごす。

それから後は、何も起こる気配がなかったので、拓也はその場で立ち上がった。

拓也の体が離れたので、彩希もゆっくりと立ち上がる。


「とにかく向こうへ行こう。上にいけばわかるだろう」


拓也はそういうと、また『KISE』に向かって、早歩きをし始めた。

彩希はその背中を見ながら、黙ってついていく。

大きな音がした時、彩希は怖くてその場で足が止まった。

何も考えることなどできずに、自分を守ろうと小さくなるだけだったが、

そこには拓也がいた。ぶつかったとか、つまずいたとかではなく、

拓也は明らかに彩希を庇う体勢を取っていた。

彩希は、あらためて前を歩く拓也を見る。

当たり前だが自分よりも背が高く、体型もしっかりとしている。

あんなふうに咄嗟に女性を庇うことなど、当たり前くらいに思っているのだろうが、

今までに、されたことがない行動を目の当たりにして、彩希は一人、

落ち着かない気持ちを抱え、『KISE』へと向かった。



「脱線ですか」

「そうらしいです。回送電車が脱線だとかなんだとかで」

「回送……」


大きな音の原因は、回送電車が引き込み線の方に向かうときのカーブで、

先頭車両が脱線をしたため、急ブレーキをかけたためのものだった。

お客様もいなかったし、車両を移動させるために使った線路なので、

多少ダイヤに影響を出すものの、全線ストップという最悪の事態は免れる。

その影響だろうか、いつもの平日より、店内は混雑していた。

寄り道をする予定がなかった人たちも、駅の混乱が収まるまで、

『KISE』にいる方がいいと判断したのかもしれない。

彩希は『竹ノ堂』を目指し、一人で進む。


「あら、バタちゃん。今日はこっち?」


彩希を見つけ、すぐに声をかけてきたのは、高橋だった。


「いえ、今日も向こうで仕事中です。ちょっと試してみたいものがあって」


一緒に来た拓也は、売り場のチーフに、脱線した車両の話しを聞いていたため、

彩希はお目当ての『どら焼き』を先に買うことにする。


「ねぇ……バタちゃん」

「はい」


高橋の声に反応したのか、同じパートの竹下がそばにより、

二人揃って、どんな感じなのかと、彩希に問いかけた。


「どんな……って?」

「あら、あの人のことよ」


高橋は拓也に背を向けながらも、彩希にだけわかるように指を出す。


「いつも一緒でしょ……噂によると、彼に引き抜かれたって言うし」

「引き抜かれた? いえいえそんな」

「ご謙遜を。みんなで言ってるのよ。
バタちゃんは、本社のエリートに気に入られて出世したって。
シンデレラなのよねぇ……」


竹下は、本社での具体的な仕事はどういうことなのかと、

興味深そうに聞きだそうとする。


「雑用です。色々とやることがあって。まだまだ何もわからないし」

「エ……そうなの? 彼の秘書とか?」

「そうよね……秘書。なんだか意味深な響き」

「うふふ……」


刺激の少なくなった世代の二人は、

ちょっとした出来事に、目いっぱいの空想と妄想を結び付けようとする。


「違います」

「またまた……」


竹下がそう言いながら、彩希のひじをつついたとき、チーフのそばから離れた拓也が、

『竹ノ堂』の前にやってきた。竹下も高橋も、頭を下げるとその場を離れていく。


「はい。630円です」

「いいよ、俺が払うから」

「いいです。私が払います!」


竹下と高橋にからかわれてしまい、すっかり冷静さを失った彩希は、

拓也の申し出を断り、自分の財布を出す。


「何、イライラしてるんだ」


拓也は、彩希の横からすぐにお金を出し、一歩前で会計を済ませてしまった。

彩希も、お金を出そうとしたが、すでに店員はレジに向かってしまう。

だからといって、そうですかと財布を引っ込められなくなった。

目の前のショーケースには、以前、『和三盆』が話題に上がったとき、

彩希が名前を出した『節羊羹』が並んでいる。

その時、彩希の脳裏に、ある『お菓子』が思い浮かんだ。


「あの……これ、ください」


彩希は『節羊羹』を購入し、出していた財布でお金を払った。



17F-④




コメント、拍手、ランクポチなど、みなさんの参加をお待ちしてます。 (。-_-)ノ☆・゚::゚ヨロシク♪

コメント

非公開コメント