18F 動き始めた心の行方 ①

18 動き始めた心の行方

18F-①


彩希の前には、小さな赤い屋根を持つ、『チルル』が見え始める。

半歩前を歩く拓也の足が止まり、彩希もそれに合わせ止まった。


「江畑さん」

「はい」

「君が教えてくれたよな。『伊丹屋』に出ている『yuno』のこと」

「はい」

「値段の高さに驚いた。それと同時に、あの味を、
この値段で食べられる菓子があるのなら、絶対にうちに入れておきたいと、
あらためてそう思った」

「はい……」

「最後は熱意だと……俺は思うよ」


拓也の言葉に、

彩希は、自分が参加することはずるいのではないかと言ったことを反省する。

拓也の目は、ここにはいないお客様に向いているのだと思い、

なんとか頑張ろうと前を見た。





「お願いします」

「私からも、お願いします」


『チルル』を訪れた拓也と、彩希に頭を下げられ、

オーナーの毅は、とりあえず店の中に入るようにと指示をした。

店番は、奥さんが担当し、二人は出された簡易椅子に座る。


「彩希ちゃんが来るとは」

「ごめんなさい。私も、『KISE』が『チルル』にしたことは、申し訳ないと思います。
もう二度と出さないと言われたオーナーの気持ちも、よくわかります」

「だろ……だったら」

「でも……私は『チルル』のお菓子を食べたいと、残念がっていたお客様のことも、
考えるんです」


彩希は、『チルル』がなくなってから、残念だと言われたことが何度もあると、

そう毅に訴えた。毅は作業帽を取り、ため息をつく。


「今までは、『KISE』の売り場でありながら、各店舗の力が強く、
不条理なことも起きたと思いますが、今回、上司が代わり、考え方も変えました。
売り場面積、場所も、色々と工夫させてもらいましたし、決して、前回のように、
失礼なことにはならないはずです」


拓也はあらためて契約の書類を前に出した。

毅は横目でチラリと紙を見る。


「もう一度だけ、『KISE』にチャンスをいただけませんか。
木瀬電鉄の路線上にある貴店にも、利点はあると思います」

「お願いします。広瀬さんは、本当にお客様のことを考えています。
もう一度だけ……」


拓也が頭を下げた角度を見た彩希は、正直な気持ちを言葉に乗せ、

なんとかお願いしますという思いを込めて、頭を下げた。





『チルル』を戻す担当の二人と違い、売り場の表示変更を任された寛太とまつばは、

移動を決めた店舗の図面を確認する。


「えっと……長岡さん。それ……」


まつばは右手に持っていたペンをデスクに置くと、大きくため息をついた。

寛太は、取って欲しいと言おうとしたが、自分が立ち上がり取りに行く。


「どうしてため息ついているんですか。広瀬さんが戻る前に終わらないと、
何していたって言われますよ」

「……荒木君、言ったじゃない。私にずるいって」

「ずるいとは言っていません」

「同じでしょ、そう思っていたんだから」

「突っかかりますね」


寛太は、決まったのだから精一杯やるだけだと言いながら、また書類に印をつける。


「もう……いい」


まつばはそういうと、ペンをデスクに置いたまま、部屋を出ていった。





まつばは、『第3ライン』を飛び出し、そのまま地下通路に向かった。

今まで、『KISE』の食料品売り場に顔を出したことは何度もあったが、

こうして地下を通ってくるのは初めてだった。

向こうからも販売員が歩いてきて、軽く頭を下げてくれる。

まつばも返礼をすると、そのまま売り場へ入った。

いつも、デスクの上に見取り図を置き、見ている売り場の面積は、予想以上に大きく、

まつばはその端から端へゆっくりと進む。

惣菜や生鮮食品を扱うスペースから、贈答品を扱うスペースに向かう間も、

期間限定で店を出しているブースがいくつかあった。

せっかく『KISE』に来たのだから買っておこうとする、

お客様のキラキラとした目が、まつばの視線に入る。

幼い頃、母親に連れてこられた百貨店の、品揃え。

欲しいと思うものは、なんでもあると思えるくらいの売り場面積、

そして、優しく微笑み、案内をしてくれる店員たち。

まつばは、電車に乗ってこういう場所に来て、いつも食べられないようなものを、

買って帰ることが楽しみだった。

就職の面接でも、『恩返しがしたい』と、言ったことを思い出す。


「いらっしゃいませ」

「あのねぇ……予算はこれくらいなんですよ」


メモを持った男性が、売り場にいた店員に声をかけた。

そしてアドバイスを聞いている。

この売り場からやってきた彩希は、長い間、こうしてお客様の意向を聞き続けてきた。

だからこそ、見えるものがたくさんあり、自然とそれが力になっていた。

まつばは、慣れない場所でも、仕事を頑張ろうとしていた彩希のことを考える。


「どうぞ、こちらに」

「はい」


そこに立っているのは、邪魔になる気がして、まつばはまた本社に戻ることにした。





「そうですね……」

「何を悩む必要がある」

「悩みますよ、ごほうびをいただけると聞きましたので」


拓也と彩希の熱意に、毅は『もう一度だけ』という条件で、取引を認めてくれた。

拓也は帰り道、彩希のおかげだからと礼を言い、何か褒美を渡さないといけないなと、

冗談交じりに笑った。

彩希は、それを実行してもらおうと、あれこれ考える。

拓也は楽しそうな彩希の横顔を見ながら、

財布にしまってあった1枚のチケットを取り出す。


「ほら」


彩希は、拓也の差し出したチケットを見た。

そこには『city eyes』の店名と、『3月開催』の文字が見える。


「これ……」

「『リリアーナ』に行った時、偶然店を見つけた。
で、あいつが落としたチケットが古いから、新しいイベントのものをもらった」


拓也は、チケットの隅に印刷されている番号が、冬馬の番号だから、

これを持ってイベント会場に行けば、彼のポイントになるだろうと、説明する。


「冬馬の……」

「あぁ……。まぁ、正社員への道は大変だろうけれど、応援してやりたいのなら、
してやればいい」


拓也はあらためてチケットを彩希の前に出す。

彩希は、そのチケットを受け取り、一度拓也の横顔を見た。

チケットが出てきたとき、彩希には一瞬、何が書いてあるのかすぐに理解できなかった。

というよりも、頭の中から、以前チケットを取り合ったことなど、消えていた。


「行けばポイントになるんだから、調子に乗って、フラフラ買わされるなよ」


拓也は、到着したら起こしてくれと言いながら、両手を前に組む。

彩希は、渡されたチケットを見つめながら、これがごほうびなのかと、

少しだけ肩を落とした。



18F-②




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