8 触れあう心

8 触れあう心

『広橋です』





体が自然に玄関へ向かい、右手がドアノブへ触れる寸前、私は動きを止めた。

ここを開けてはいけない。

そんなことをしたら、なんのために諦めようとしているのか、意味がなくなってしまう。


「帰って……」


ただ、その一言だけを口にした。

あれこれ言うと泣いてしまい、ウソをついていることがばれてしまう。


「失礼なことだとはわかっています。でも、どう考えても、これしか方法がなかったから……」

「オートロックなのよ……。どうやって入ってきたの?」

「裏の非常口部分の塀が低いので、乗り越えました」


無理だろうと思った場所へ、広橋君は簡単に入ってきた。

そんな無茶な行動が、戸惑いよりも、私の中で嬉しさに変わってしまう。

頭で必死に自分を止めていたが、気持ちだけは勝手に彼へ向かい、何かを掴んでいないと、

ドアを開けてしまいそうで、自分のシャツの裾をただ握った。


「開けてください……」


開けてはダメと叫ぶ自分と、開けてしまおうと叫ぶ自分がいる。

ここを開けてしまったら、私は自分の心を偽り続ける自信がない。


「帰って……、ここを開けるわけにはいかないの」


誰よりも会いたかったはずなのに、何よりも求めているはずなのに、心とは裏腹なセリフが、

プライドだけをがっちりと身につけて、口から飛び出していく。

ドアノブの側にいると、手が勝手に動きそうになり、私は背を向けた。


「帰って……」

「……」

「お願い……」


私は広橋君よりも年上だ。しかも、大学の職員なのだ。こうしているのは彼のためで、

自分は間違っていない。色々な理由を頭に浮かべてなんとか耐えようとする自分が、

ただ惨めだった。



私はいつから、こんな嘘つきになったのだろう。

広橋君が好きだと全身で表現する、滝川さんのようになれたら……。

彼の腕の中に、飛び込むことが出来たら……他に欲しいものなど、あるだろうか。


自分が気持ちを平気で偽る、かわいげのなさだけを身につけた女に見えて、鏡に映る姿に、

腹が立ち涙が出た。何秒かの沈黙の後、外から広橋君の声が響く。


「本当にそれで終われますか? あなたに迷惑がかかるのならと、
僕なりに気持ちを整理しようとしたけれど、何も変えられないどころか、
向かい合うと掴んでしまいそうで、近づくことすら出来なくなった」


沈めていた私の心が、その声に顔をあげた。

書類を滝川さんに任せて、事務局へ入らなかったのは、私を無視したのではなく、

そんな想いがあったのかと、このとき初めて知った。


「さようなら……の挨拶が、そのまま終わりを告げられているようで、
その返事すら、口に出すことも出来なかった。本当に迷惑なんですか? 
僕があなたを好きなことは、本当に迷惑なのか、それだけでも答えてください」


講堂で腕をつかまれた後、挨拶をしてくれなかったのは、

『さようなら』の言葉を言いたくなかったからだった。


「僕は……あなたが迷惑なのか、これが現実なのか、それだけが知りたい」


広橋君の声が少し震えている。

苦しかったのは私だけじゃなかった。彼もずっと苦しかったのだ。


「ここを……開けてください。僕に、心を開いてくれませんか?」


滝川さんに噂を指摘され、私は自ら広橋君を遠ざけた。

それは、彼を批判の目にさらしたくなかったからだった。しかし、その私の行動は、

本当は彼の心を無視し、ただ辛くさせ、追い込んでいるだけなのかもしれない。


私の視線の先には、テーブルの上に置かれたままの白い便せんがあった。


一つだけ取ることが出来るのなら、安定した仕事なのか、平凡な生活なのか……。

どうせ、仕事を辞めるつもりなら、大切なものだけは失いたくない。




『あなたを愛しています……』



広橋君はいつも正直だった。自分の気持ちを隠すことなく、私にぶつけてくれた。

強引に誘うくせに、ただ隣で黙っていてくれた。




私のほしいものは……たった一つ。




彼を悲しませているのは、くだらない噂や、体裁を気にする上司ではない。

自分の気持ちを封じ込め、目をそらした私だった。


これ以上ウソをついて、二人で苦しむ必要など何もなくて、今までの強がりはどこかに消え、

私はすぐにカギを外す。ドアノブが回され、気がついた時には、広橋君が前に立っていた。


「……ありがとう」


広橋君の言葉に、私は何度も首を振った。感謝などされるようなことは何もないのに……。

言わなきゃいけないのは、私の方だ。


私は一歩前に出ると、彼の首に腕を回し、伝えたかった言葉を、耳元でささやく。


「……愛してる……」


広橋君はその言葉を、しっかりと受け止めてくれた。

初めて抱きあった体を離すことが出来ずに、互いに顔をずらし唇に触れる。

何度か互いの気持ちを確認するように、キスを重ねていたが、その時間が少しずつ長くなり、

そして深くなった。


言葉を挟むことはしなかった。動きを止めた瞬間、自分がまた迷う気がした。

何かを考えた瞬間、扉を開けたことを後悔しそうで、私は彼の手の動くままに引き寄せられ、

さらに先へ進む手を自ら助けていく。

彼の手が、唇が触れた場所が、少しずつ気持ちを決め、私の迷いを消していく。

ベッドに横たわった時、私の全ては彼だけを待っていた。



私を愛していると言ってくれた日から、こんな想いの告げ方があることはわかっていた。

会えなかった時が、拒絶した日々が二人の気持ちをさらに高め、

触れあって汗ばんだ肌が、また熱を誘う。


彼の指と唇が、少しずつ私に触れる。


手のひらにおさまった膨らみを、ゆっくりと動かされると、自然に口から吐息が漏れた。

胸先に触れる舌の刺激に、シーツをつかむ手に力が入る。


以前見た彼の肩の筋肉が、私を支えるために動き、そのたくましさに、自然に手を添えた。

彼の指が私の想いを知るために、下へ滑ると、待ち望んだ表情を見られたくなくて、

私は自ら体を寄せ、全てを預ける。


互いに向かい合いながら、彼は私を支え、自らの想いを貫いた。

両脇を抱えられながら、動かされるたびに、あまりの悦びに涙が出そうになる。

意地を張るなんてことは無駄だったのだと、言い聞かされたようで、

私は自分の愚かさに、思わず両手で顔を覆った。


「……こんなふうにされるのは嫌?」

「違う……そうじゃないの……」

「じゃぁ、どうして泣くの?」

「わからない……」


それが決して拒絶の言葉ではないことを、彼はちゃんと知っていた。

想いを重ねたまま、背中にシーツが触れる。


私の目に映るのは、彼の顔しかなかった。

愛しい唇に触れ、少し荒くなっている息づかいを指に受け止め、心の震えを感じ取る。

見つめあった状態から動けないまま、彼への想いだけが、私の体を流れ続けた。


静かな時間の中に、身を置いたまま黙っていると、少し長い息が吐き出される。


「どうしたの?」


私の問いかけに、広橋君は少しだけ笑顔を見せた。耳に触れた指が唇に代わり、軽く歯が当たる。

驚いた私の耳に、彼の吐息が届き、何かを吹っ切ったように、さらに強く、深く、私に触れた。


荒くなる互いの呼吸の音が、私のどうでもいいようなプライドの殻を、また一枚めくる。

あなたを愛してどうしようもない、こんな私をもっと見て欲しくて、

恥ずかしさの壁を越えた私の想いは、幸せを与えてくれる男の動きに、自然と寄り添っていく。


目から流れる涙が、すれ違った時間への後悔だと気づき、彼の唇は、私の涙をそっと吸い取った。





広橋君の腕枕に頭を乗せ、私はその香りに顔を埋めた。

たった今押し寄せた感覚の余韻に浸り、まだ落ち着かない気持ちを、ゆっくりと静める。


「追いかけたの……」

「誰を?」


私は知らない男性を広橋君だと思い込み、走ってしまったことを話した。

同じような歳の男性を見ると、思いだし泣いたことも、電話番号も知らずに、

もう会えないのではと思ったことも、隠さずに語り続けた。


広橋君は時々、うん……と言葉を挟みながら、私の嘆きを聞いている。

全く、自分でも情けないくらい、彼を好きになっていた。


「私……仕事を辞めるから」

「敦子さん……」


埋めていた顔をあげ、彼の顔をしっかりと見た。

無理をしているのではない、はじめからこうすればよかったのだ。


「仕事なんて別にどうでもいいの。本当はずっとそう思ってた。
でもね、あなたに迷惑がかかるのは嫌だった。黙って目をそらしていたら、
きっと、諦められるって……」


広橋君の指が、私の髪に触れた。

そんな小さな動きさえ、また、私の心を騒がしくさせる。


「でも、そうじゃなかった。このまま、二度とあなたと話せなくなるんだって、
もう、一緒に映画を見て笑うことも出来なくなるんだって……。
滝川さんと一緒にいたあなたを見る度、落ち込んだりして……バカみたい」

「そんなふうに遠ざけたのは、あなたの方だ。
僕の気持ちは、同じ場所から一度も動いたことがないのに……」


その通りだった。広橋君の心を見ることもせずに、一人で頑張っていただけだった。

私はそう思いながら、何度も小さく頷き返す。

ずっと言いたかった想いが、年上だとか、立場だとかの鎧を打ち破り、彼に降り注ぐ。


「……そばにいて」


広橋君は返事の代わりに、私のおでこにそっとキスをした。

そして、目に、鼻先に、唇にキスを落とす。


「ずっと好きだったんです。初めてあなたを事務局で見た時から。
他の学生にも、同じように微笑むのだろうと思いながら、
いつか……僕のことだけを見て欲しい……そう思ってた」

「うそ……」

「うそじゃない。やっとここまで来られたんだって、今、結構、感極まってるんですよ」


私のそばで、のどぼとけが動き、広橋君の心の中が、少しだけ見えた気がした。


「……僕が眠ってしまっても、消えないでくださいね」


そう言いながら笑うと、広橋君は腕に乗った私の頭を自分の方へ引き寄せる。


「あなたも……」


このままずっと彼を感じていたくて、私は小さく体を丸め、その腕の中で目を閉じた。





9 愛する人へ へ……




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コメント

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心も身体も

年上だから自分が守らなきゃ!と自分で縛り付けてしまった。

世間体がなんだ!と言い飛ばせないけど、やはりここは素直になった方が二人の為。

蓮だって子どもじゃない、ちゃんと分かっていて、それでも求めずにはいられない。

心が触れ合い、身体が触れ合ったなら、後は二人で乗り越える。

感、極まってました~T▽T

はぁ~~

広橋君の心からの言葉に…やっと素直になれた敦子さん(〃▽〃)
あちらで読んでから…私も…広橋君と一緒に
…とっても感極まりながら、過ごしてました~☆^m^☆

やっと心が通じ会った二人…^^
とっても甘くて素敵な時間を、二人に与えてくださって、ありがとう~~!ももちゃん☆
しっとりと二人の情熱が伝わってきました~(*^^*)


広橋君は…
>「向かい合うと掴んでしまいそうで、近づくことすら出来なくなった」
そうだったのね…
それで大学ではつれない態度で…、滝川さんと一緒にいることで…自分の心を抑えていたのかぁ…。納得です。

う~~ん、これからが二人に本格的な試練の時間になるの~~?
ハッピーエンドを信じつつ…私も二人のいばらの道に付き合います!!

大切なもの

yonyonさん、こんばんは!


>世間体がなんだ!と言い飛ばせないけど、
 やはりここは素直になった方が二人の為。

はい、全てが解決出来ているわけではないけれど、
それでも……の二人です。

さて、ここからが本題にはいっていくのですけれど、
二人で乗り越えられるかどうかは、まだ秘密です。

これからさらに……

eikoちゃん、こんばんは!


>広橋君の心からの言葉に…やっと素直になれた敦子さん(〃▽〃)

あれだけ頑なだった心も、蓮の言葉に溶かされたようです。
二人の時間も、しつこく感じなかったのなら、
ほっとしています。

>う~~ん、これからが二人に本格的な試練の時間になるの~~?
 ハッピーエンドを信じつつ…私も二人のいばらの道に付き合います!!

はい、ぜひぜひ、お付き合いください。

やっと・・・

ふ~~、やっと素直になれましたね^^

好きという気持ちをむりやり押し込めようとしても辛いだけでしたものね・・
それも広橋君のことを思ってしたことだから、読んでいるほうも
少し苦しかった。
まだまだいろいろな事があって(ももんたさんのはいつも・・・)ハラハラしそうですね。

しっかりついていきます!

ここからなんです

yukitanpooさん、こんばんは!


>好きという気持ちをむりやり押し込めようとしても
 辛いだけでしたものね・・
 それも広橋君のことを思ってしたことだから、
 読んでいるほうも少し苦しかった。

うわぁ……ごめんなさい。
みなさんを苦しめるつもりはないんですけど、
『君に……』のシリーズは、切ないのが基本なんです
(って、自分で決めたのですが)

これから本題に入りますので、どうぞ、おつきあいください。

チャレンジしました

yokanさん、こんばんは!


>今回はももんたさんには珍しい文章に
 赤面してしまいましたが(笑)

うわぁ……ごめんなさい。
たまに、チャレンジしたくなるのです。


>このまま、幸せになってほしいわ~・・・
 てなことにはならないんでしょうね

もちろん、幸せに向かって進むんですけれど、実は、このお話の本題はここからなんですよ。
もうしばらく、お付き合い、よろしくお願いします。

切ない……好きですか?

mamanさん、こんばんは!


>ももんたさんの皆さんへのお返事見ると、
 これから先が大変みたいですね。

はい、ここまでは二人の気持ちを結びつけるため、あったようなものです。
ここからが『本題』なので、ぜひぜひ、お付き合い……

ん? 切ない……が好き?
うふふ、いいことですよ、それ!