21F 秘密兵器の大事な日 ②

21F-②


「広瀬さん……二人は」

「今、楽しそうに並んで帰った」


5分程度だと思っていたのに、エリカもまつばもすでに部屋からいなくなっていた。

拓也はそろそろ行くぞと声をかける。

彩希は行くぞの声に『はい』と返事をしたあと、思い出したことがあり、

『待ってください』と拓也を止めた。


「なんだよ……」

「なんだよじゃありません。これ」


彩希はまつばたちに勘違いされ、

すっかり自分のものになってしまっているバッグを前に出した。

拓也はおかしなところはないだろうと言うような顔で、小さく頷く。


「売り場の方に、約束だと言えって」

「あぁ……」

「約束ってなんですか? 私、広瀬さんと何も約束……」

「勘違いされていると思ったからだ」


拓也は、『チルル』を復活させることに協力した『ほうび』のことを話し出した。

冬馬がくれたチケットではなく、そして今回の『ライナス』の食事会も、

自分がしたことではないからと説明する。


「人からもらったものとか、会社の仕事で行くイベントを、
自分が褒美として渡したように取られるのは本意ではないからな。
まぁ、今回は、そのバッグを江畑が熱心に見ていたと、
情報をくれた歯の弱い男がいたもので……」


拓也は芳樹のことを思い浮かべながら、そう話す。


「歯の弱い……」

「そこに引っかからなくていいよ。とにかく、今朝見たら、違う物を持っていて、
売り場に行ったら、まだあったからさ。
まぁ、熱心に見ていたのなら嫌ではないだろうと思って」


拓也は、時間に遅れるのは失礼だから行くぞと、あらためて彩希に声をかける。


「でも……」

「お前には、今までもあれこれ……」



『はい。あれは彼女の実家……』

『はい、そうですよ』



拓也は、『ひふみや』の喜助と、『福々』について話をしたことを思い出す。


「色々、無理を言ってきたからな」


拓也は、それだけを言うと、時計を見る。


「ほら、これでお前の褒美は終了。いいか、今日はこれからしっかり仕事をしてくれ。
商品を選ぶ……そこを忘れないように」

「……はい」


彩希は拓也が自分のために買ってくれたのだとわかり、

申し訳なさはあるものの、これを持ち、一緒に食事会に迎えるという嬉しさに、

すぐ一歩を出していた。





「『ひふみや』が?」

「そう……驚きでしょ」


拓也と彩希が『ライナス』の食事会に向かっている頃、

エリカは純と待ち合わせた店にいた。

純は、拓也が『ひふみや』を頷かせたという事実が信じられず、黙ったままになる。


「あなたのその驚きもわかるわよ。5月で店をたたむ気になっていた人が、
しかも、今まであくまでも趣味だからと、店を構えることもしなかった人が、
なぜか『KISE』のイベントに力を貸してくれることになったのだから」

「あぁ……そうだ。『ひふみや』の主人の思いは堅かったし、とても……」


純は、エリカから『ひふみや』の情報を知り、拓也よりも先に訪れた。

その時も、『伊丹屋』との取引を願ったが、全く受け付けてはくれなかった。


「また、あの江畑さんか」

「それはわからない。元々、『ひふみや』の情報は彼女からだったわけだし。
でも、今回の交渉には関わっていなかったみたいよ。広瀬さんの発表に、
彼女も同じように驚いていたから」

「なぁ、それならどんなふうに……」


そう問いかけようとした潤に、エリカは左手を前に出し、ストップをかけた。

純はそのままエリカの顔をじっと見る。


「あなたが『和茶美』とやらを広瀬さんに話したでしょ。
どうだ、『伊丹屋』はもっと色々手があるぞと見せるために。
だから私も『ひふみや』のことをあなたに語った。でもね、これ以上はダメ」

「ダメ?」

「そうよ。私は考えを変えたの。あなたのスパイになるつもりはないから」

「エリカ……」


エリカはここから先は、純と拓也の勝負だと笑顔になる。


「ごめんなさい……私も妙な気持ちなの。でもね、今、間違いなく、
私自身が、あの二人に期待している」

「期待? 広瀬と江畑さんか」

「そう」


拓也と彩希が絡むと、何かが生まれてくる気がすると言いながら、

エリカはフォークとナイフを動かし始める。


「最初はね、わけのわからない人だと思ったのよ、江畑さんのこと。
お菓子に詳しいのかもしれないけれど、
こっちを振り回すのはやめてほしいというくらいにね。
でも今は、女性として、応援できる気がするの」

「女性として?」

「そう……女として。だから今日も、かわいらしくメイクしてあげちゃった。
楽しい会になるといいねと思いながら……」


エリカは、何かを思い出しているのか、笑みを浮かべる。

純は、エリカのセリフを聞いた後、一度首を傾げ、

同じようにナイフとフォークを動かした。





『ライナス』の新作ケーキの発表と、創作の試食会は、

業界から関係者を集めて行われた。

始めにコース料理の紹介があり、そこに合わせたケーキも披露されると説明がある。

彩希は、メニューの隅に書かれたお酒の銘柄名を読みながら、

それを意識して出されるケーキがどういうものかと、気持ちが高ぶっていく。

4人がけのテーブルが、いくつか横に並び、それがまた縦にも並んでいる。

会場全体で30名ほどが招待されているようだった。

彩希は数名いる女性を見るが、全員、自分より年齢が高そうに見える。


「それでは、『ライナス』会長、中田明義より、ご挨拶をさせていただきます」


『ライナス』の会長の登場に拍手が起こり、食事会は静かに始まった。



前菜があり、スープが登場する。

透明のスープに、小さなクルトンが3つ浮いていた。

スプーンですくって飲んでみると、優しいコンソメの味がする。

もう少し濁りがあるかと思ったが、スプーンの形がはっきりわかるくらいの状態に、

彩希は、これが一流と言われる人の仕事かと、そう思う。

目の前の拓也は、表情を変えることなく、淡々と食事を口に運ぶ、。

ケーキの試食会がメインのため、普通のコースに比べると、量は少なめだった。

彩希は、拓也がどのような感想を持ったのか聞き出そうとする。


「感想?」

「はい。スープもとても美味しかったですし、メインのお肉も……」

「まぁ、うまかったかな」

「……かな?」


彩希は、美味しいのは当たり前で、どう思ったのか聞かせて欲しいと拓也に迫る。


「前にも言ったよな。俺は味に関して、全く自信がないって」

「聞きましたけれど、でも……」

「うまいというのはわかる。でも、どうしてうまいのかまで、考えたことがない」

「材料とか、調理法とか、考えないと言うことですか」

「あぁ……」


拓也は、自分が幼い頃から、

食事に楽しみを持っていなかったからだろうと、そう言い始めた。

拓也の両親は共働きで、学校から帰っても、ほぼどちらもいなかった。


「俺には、5つ上の兄貴がいるけれど、5つ違うと、活動の時間も仲間も違う。
だから、夕食はいつもお袋が作ってくれたものをレンジで温めて、
ひとりで食べていた。満たされたかどうかだけが俺の基準で、
その味に、興味を持ったことなど、正直ないんだ」


拓也は出されたワインを飲み干すと、グラスを横に置いた。

ウエイターがすぐにそばに立ち、いかがですかと声をかける。

拓也が軽く頷くと、グラスにワインが注がれた。


「そうですか」


彩希は、自分の家は商売をしていたので、食事はいつも家族揃って取っていたと、

拓也の複雑な感情には気づかないまま話しだした。



21F-③




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