29F 旅の中で出会った味 ④

29F-④


午後8時。

彩希はあらためて『和茶美』の暖簾をくぐった。

扉を開け、すぐに女性に声をかける。


「あの……江畑彩希と言います」

「はい。江畑様ですね。『伊丹屋』の栗原様より、うかがっております。
少々お待ちください」

「はい」


店員はすぐに店の奥に入り、しばらくすると紙袋を持って現れた。

お願いしておいたどら焼きの他にも、あれこれ入っていると説明される。

彩希はその紙袋の中身を確認し、ここまで来た甲斐があったと考える。


「すみません、わがままでお願いしてしまって」

「いえ……」


店員は紙袋を手渡し、頭を下げてくれたが、すぐに別の仕事をしようとする。


「あの……すみません」

「はい」

「これ、全部でおいくらですか」


彩希は財布を取り出すと、レジのある場所の前に立とうとする。


「こちらのお支払いはございませんので」

「ない? いえ、それは困ります」

「代金は、全て栗原様よりいただいております」


店員は、『伊丹屋』の栗原から、代金は全てもらっていることを繰り返した。

そしてテーブルを拭き始める。彩希は、渡された紙袋の中を覗く。

頼んでいたどら焼きの『彩』はもちろんのこと、

それ以外にも店員の言うとおり、数多くの商品が収まっていた。

ショーケースの価格を何度か確認し、どう甘く見積もっても、

千円札が何枚も消えそうな金額に、

『これはもらえません』と袋をショーケースの上に置く。


「そんなことをしていただいたら、私は持ち帰れません。
栗原さんに返金してもらって、これは今、この場で支払いをさせてください」


彩希の声が聞こえたのか、別の店員が姿を見せる。


「いえ、それは出来ません。私の方こそ、言われていますので」


対応をした店員も、すべて終わっていることだからと譲らない。

彩希はさらに押し問答をするつもりだったが、

別の店員にどうしたのかと聞かれてしまう。


「お客様、私たちは指示に従っておりますので、どうか……」


今ここであれこれ言われても『決定権』がないと、店員に頭を下げられ、

閉店を迎えていることもあり、彩希は、袋を持ち、とりあえず店を出ることにする。

『和茶美』の敷地を出た後、純から聞いた携帯番号を回すが、

留守番電話になるだけで、本人は出てこない。

メッセージを残す人はという問いかけを待ち、彩希は大きく息を吸い込み吐き出した。


「もしもし、江畑です。今日、無事に『和茶美』で受け取りました。
色々と手はずを整えていただき、ありがとうございました」


まずは、してもらった御礼を述べていく。


「えっと……支払い金額を教えてください。
これは栗原さんに買っていただくものではありません。
私が自分のお金で買わないと意味がないのです。お店が閉店時間だったので、
あまりごねていられず、とりあえず受け取りましたが、必ずお支払いします。
よろしくお願いします」


彩希はメッセージを残すと、その日のホテルに向かうことにした。





「どうなの? 江畑さん」

「ん? 無事に買えたそうだ」

「ふーん……」


彩希が純に留守番電話を入れた頃、本人はエリカと食事の最中だった。

彩希からの『支払い』を連呼するメッセージを聞き、思わず微笑んでしまう。


「楽しそうね、なんだか」

「楽しいよ、彼女の反応も行動も、本当におもしろいからさ」


純はそういうと、受話器をポケットにしまう。


「さて、彼女の力を知る食事会は、いつにするかな」

「食事?」

「あぁ……江畑さんに条件を出したからね。『和茶美』の商品を買わせる代わりに、
僕と食事をしてくれるようにと」


純は、隣に座るエリカに、どんな店がいいかと尋ねていく。


「いいじゃない、純はあれこれ知っているでしょ。高級なお店も、美味しいお店も」

「うーん……思い切って『KISE』の最上階にある、店でも選択するかな。
広瀬が気付くように」


純はどうだろうかとエリカの目を見る。


「……悪趣味ね」


純の言葉に、エリカは一言そういうと、微笑みながらグラスに口をつけた。





ホテルに戻った彩希は、『彩』をひとつ出し、個別の包装をゆっくりと開いた。

つやのある皮の表面と、真ん中に挟まれている餡とのバランス。

まずは『雫庵』の時と同じように、皮と餡、それぞれを味わってみる。

餡をずっと口に入れている中で、彩希の気持ちに、疑問符が浮かび上がる。

小さなナイフで4つに切り、口の中に納めた。

かみ締めながら浮かぶのは、自分が幼かった頃の光景で、

そばには、笑顔で大福の餡を丸める、晶の姿があった。

その横で、祖母のカツノが包装紙をまとめていて、新之助は伸ばしたもちを、

丁寧にカットしている。

5つ買えたどら焼きは、ひとつを自分で食べて、あとは持ち帰るつもりだったが、

気付くともう1袋を開けていて、丸のまま一口噛んでいた。



『こら……彩希。つまみ食いばっかりするな』



懐かしい声が、彩希の耳に聴こえ、少しずつ目が潤みだす。

彩希は無言のままどら焼きを味わうと、包み紙の『彩』の字をじっと見た。





「大山、これ、業者に確認を入れてくれ」

「はい」


江畑家を訪れた次の日、拓也は、それまでのもやもやを振り払うように、

精力的に仕事を進めた。

どうしたらいいのかと迷っていた中で、佐保と話をし、

彩希が『何かのため』に動いていることがわかり、その報告を今は待つべきだと考える。

戻ってきたときに、どんなものをお土産とし、意見を述べるのか、

楽しみだと思いながら、彩希の席を見た。


「長岡」

「はい」

「設計図、これを届けてくれないか」

「はい」


まだ、彩希の現実を知らないまつばが、少し落ち込み気味なのを見て、

拓也はすぐに声をかける。


「何、ボーッとしているんだ。イベントの準備まで時間がないぞ。
お前がしっかりしていないと、江畑が戻ってきたときに、きちんと指示を出せないだろ」

「……広瀬さん」

「ほら、頼むぞ」

「……はい」


まつばは行ってきますと頭を下げ、書類を抱えたまま外へ向かった。





彩希の旅、最終日。

その日はホテルから出ると、東京に戻るため、駅に向かう予定だったが、

彩希の足はまた『和茶美』へ向けられた。

開店時間まで時間はあったが、ホテルで待っている気にはなれず、

開店したらすぐに飛び込むつもりで、待ち続ける。

京都で味わった『雫庵』は、昔の味を残している気はしたが、

父に連れて来てもらい食べた時の方が、明らかに味は上だった。

餡も砂糖も高級品であることには変わりないが、

あれならば『KISE』で扱っている商品でも、並ぶことが出来る気がしてしまう。

『雫庵』には部門ごとに職人がいるらしいが、最終的な味の選定と決定は、

現社長である『岩原学』が行っていると記されてあった。


彩希がまだ学生だった頃、父と旅行のように訪れた時には、

今は会長職になっている学の父、『岩原太一郎』が味の責任者だった。

もちろんレシピはしっかり残り、伝統を引き継いでいるのだろうが、

『感覚』そのものを完全な形で残していくのは難しい。

大阪で味わったものも、見に入ったデパートも、それなりの成果はあった気がするが、

そんな色々な体験も、『和茶美』のどら焼きを食べたときに、全てが吹っ飛んでしまった。

何も証拠などなければ、確定だと言えるデータもない。

あえて意見を言うとすれば、彩希の忘れられない味がそこにある気がした。



3年前から連絡の取れない父、晶を感じさせる『福々』の味。



開店15分くらい前に、

昨日、店頭で彩希に袋をくれた女性が、店の前を通ろうとした。

彩希はすぐに立ち上がり、すみませんと声をかける。


「はい」

「昨日は、ありがとうございました」

「はい、あの……何か不都合でもありましたか」


女性は、何か和菓子に問題があったのかと、心配そうに尋ねる。


「違います。お聞きしたいことがありまして」


彩希は、『どら焼き』を作っている職人に会えないだろうかと、そう尋ねる。


「職人に……ですか」

「はい。昨日ホテルに戻ってから食べてみました。とても美味しかったです。
で、それを作っている方に、ぜひ、直接お礼をと……」

「すみません、そういったことは……」


店員は、職人のいる場所は外部の人間は立ち入り禁止の場所だと、頭を下げてくる。


「お願いします。今日、東京に戻らないとならないので、その前に。
和菓子を作っているところを、見せて欲しいわけではありません。
ただ、『彩』を作った人を……」


彩希の懸命な頼みに、女性は少しお待ちくださいと言いながら、店の中に入る。

やがて店の暖簾がかかり、開店を待っていた客たちが中に入っていく。

20分以上待った頃、彩希の前に一人の男性が現れた。





【 ご当地スイーツ紹介 】

各話のタイトルに使用している写真は、各都道府県の有名なお菓子です。
みなさん、味わってみたこと、ありますか?

【29】奈良   三笠山  (三笠山の形に似ていると言うことで、名前がついたどら焼き)



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