30F 1万円札の行方 ①

30 1万円札の行方

30F-①


彩希は、騒がしい声を聞き出てきたスーツ姿の男性に頭を下げる。


「職人に会いたいと言うのは、あなたですか」

「はい」


彩希は、昨日、どら焼きを味わってみて、とても美味しかったので、

職人の方に直接挨拶したくなったと、そう説明した。

晶のことなど、話しても信じてもらえないと思い、あえて語らなかったが、

彩希と向き合ったオーナーの菅山は、そこまで思っていただけたとはと言い、

ありがとうございますと微笑んでみせる。


「美味しいと思っていただいて、職人に会いたいと言われるお気持ちは、
とても嬉しいのですが、それはご遠慮ください」

「……ダメですか」

「はい。『和茶美』では、職人の思いを全て商品に乗せています。
お菓子を褒めていただくのは嬉しいことですが、職人が前に出てくるのは、
商品自体を苦しめることになりますからね」

菅山は、有名パティシエなどと、職人が前に出てきてしまうと、

商品自体の魅力が、引き立たなくなるとそう説明する。


「お気持ちだけは伝えておきますので。どうかお帰りください」

「あの……一目、一目でいいんです」


彩希は、そう菅山に迫ったが、返事は戻らない。

最初は穏やかだった菅山の顔が、少し厳しさを増したことがわかり、

彩希もそれ以上、言えなくなる。


「あの……」

「はい」

「でしたら、手紙を渡していただけますか。私なりの思いを、書かせてください」


彩希は、どうしても何かを残したいと、そう菅山に訴えた。

菅山も、彩希が『伊丹屋』の栗原からつながっている客だとわかっていたため、

それならばと受け取ることにする。


「すみません、すぐに書きます」


彩希は手帳の1ページをすぐに破り、ペンを取り出すと、手紙を書き出した。

まず、『彩』というどら焼きがとても美味しかったこと、

食べている中で、昔、当たり前にあった楽しい家の光景が浮かび、

涙が出そうになったことなど、今の思いをそのまま書き記した。

そして、これからも素晴らしい物を作って欲しいので、

体に気をつけて仕事をしてくださいという言葉を付け加え、最後に名前を残す。



『『彩』という商品と同じ字を名前に持つ、江畑彩希』



「お願いします」


菅山は、彩希からメモを受け取ると、すぐに彩希の顔を見た。


「確かに……」


彩希はもう一度、『和茶美』を見る。


「失礼します」

「ありがとうございました」


菅山は、丁寧にお辞儀をする彩希の後姿をしばらく見送り、店の中に入る。

渡しますと約束したメモの中身を読むと、そのまま無造作にポケットへ押し込んだ。

歩いて、10分くらいあるバス停留所へ向かう彩希の後姿を、

工場の中に立っている、一人の若い男が黙って見送っていく。

そばに立っていた職人が、『聖』とその男性に声をかけた。


「はい……」

「どうした」

「いえ、すみません」


聖と呼ばれた職人は、持ち場に戻ると小豆の温度を確認した。





彩希が、岡山から東京に向かおうとしているとき、

純の前には、以前『和茶美』について調べさせた男性社員が立ち、

1枚の資料をおいた。

純は書いてある内容を見ながら、ある文字の部分を指で指し示す。


「山田数行は……と、これは本当なのか」

「はい……色々と手を尽くして調べました。『山田数行』という人間は、
すでに亡くなっていると」

「亡くなっている? でも、職人として登録されていると……。
ならば、山田の名前を誰かが語っているわけか」

「そうですね」

「いったい、どうしてそんなことを」


純は資料の名前をボールペンで軽く叩く。

『山田数行』という男は、和菓子職人としての腕は一流であったが、

金銭感覚がとにかくズレていて、『雫庵』にも相当迷惑をかけていたと、

そう記録に残されている。


「栗原さん」


社員の呼びかけに、純は顔を上げる。


「『和茶美』には、岩原社長の息子、聖さんが入っているようです。
これは調べている中で、社員の口から偶然に聞けた情報ですが……」

「『雫庵』の跡取りか」

「社長はそう思っているでしょうね。会長が前妻の娘に婿を取るより先に、
息子を跡取りにと。しかし、『雫庵』は味の決定を全てトップが行うというのが、
売りになっています。その味の力を鍛えるために、『和茶美』で修行をしていると」


男性社員は、『山田数行』は亡くなっているが、他の腕のある職人が、

跡取りの面倒を見ているのではないかと推測する。


「それはおかしいだろう。跡取りは別に、隠し子でもない。現社長の息子だろう。
どうして堂々と『雫庵』で修行をしないんだ。社長にしたら、そばで教えた方が……」

「栗原さん、実は、あくまでも噂なのですが……」


男性社員は、一歩純の方に近寄ると、『雫庵』のことについて、

情報を一つ押し出した。





『江畑彩希』

彩希は、自分の名前をしっかりとメモに残した。

それは、あの『和茶美』で和菓子を作っている職人の一人に、

もしかしたらいなくなった父、晶がいるのではないかという、淡い期待からだった。

『夢最中』を作った大谷喜助は、彩希の祖父新之助と、父晶の和菓子を見本にして、

商品を完成させた。今思えば、『和茶美』と『雫庵』、そして『ひふみや』の商品に、

共通点があるように感じたのは、『福々』が結びつくからではないかと、

そう思えてしまう。

可能性としては、とてつもなく低いこともわかっていたけれど、

それでも、確かめてみたかった。

父、晶でなくても、そこから何かにつながらないかと、彩希は何度も振り返る。

見えていた『和茶美』の屋根は、あっという間に見えなくなった。




『伊丹屋』から譲ってもらったどら焼きは、全部で5つ。




彩希がひとつを食べて、後は『第3ライン』と祖父に渡そうと思っていたのだが、

昨日、どうしても味わいたくなり、2つ食べてしまった。

残りは3つ。

本来なら、仕事のために出かけたのだから、全てを拓也に渡さないとならない。

彩希はどら焼きの包み紙に記された『彩』の文字を見ながら、発車のベルを聴く。

岡山から東京に向かう新幹線は、時刻どおりに駅を出発した。





「水原さん」

「あ……長岡さん、ねぇ、バタちゃんから、メール来たでしょ」

「うん」


その日の昼休み。彩希が突然、有給を取ったことを知り、

どうしたのだろうかと心配したまつばと恵那は、

互いに顔を見合わせ安堵の笑みを浮かべる。


「まさかね、お菓子を食べ歩く旅に出ていたとは」

「本当、本当……」


まつばは、今日の夕方には、『食料品第3ライン』に顔を出しますと

書いてあったことに触れる。


「私がちょっと話題に出した商品やお店も、バタちゃん色々回ったみたい」

「そうなの?」

「うん、なんだかんだ、結構数があったと思うけれど……」


まつばは『何を選んだのかな』と考え始める。


「昔からね、バタちゃんはお菓子のことに関してだけはすごいのよ。
1度しか聞いていない情報でも、自分の気持ちが動いたら絶対に忘れなくて。
どこのお店の新商品がいつ出るとか。後のことは大丈夫っていうくらい、
抜けていることが多いのに」

「エ……そうなの?」

「そうそう。混雑した電車に、傘だけ残したこともあるし。
改札で社員証かざして、ブザー鳴らすなんてことも、よくやるから」

「あはは……でもそうかもと思えるから、不思議」


まつばは『言いすぎかしら』と舌を出す。


「それなのに、なぜかお菓子がからむとビシッとするのよ。
お客様からの問い合わせとか、間違えたことがないもの」


恵那の言葉に、まつばはそれもわかる気がすると、頷いていく。

とりあえず、彩希が元気に戻ってくるとわかった二人の食事は、

いつもと同じように、楽しく進められた。



30F-②




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