30F 1万円札の行方 ③

30F-③


「すみません、色々と失礼なことをした後なのに、
また、こんなふうに呼び出して、失礼を重ねています」

「いいよ、そんな言い方しなくても」


拓也は、頭を下げた彩希の横に、いくつかの袋があるのを見る。

佐保が言っていた通り、本当にお菓子を食べに行く旅だったとわかり、

ほっと息を吐き、口元が緩む。


「で、どうだったんだ。うまいものめぐりは」

「どうして知っているんですか」


彩希は、そういえばまつばにメールをしたことを思い出し、

そこから流れたのかと一人で納得する。


「いや……昨日、お母さんにお会いした」

「母? うちに行ったということですか」

「江畑が、急に有給を取っていたと、長岡が騒いでさ。
近頃元気がなかったって、そう言っていたから。まぁ、俺にはそのわけがわかるし。
どうしても、この職場にいるのが辛いと言うのなら、
それは仕方がないことなのでと、言いに行った」


拓也は、佐保から、食べたいものを食べる旅だと聞いたことを話す。

彩希は、拓也が家を訪ねていたとは思わず、

また、自分が怒りのままに土下座をさせてしまった光景が、蘇った。

彩希は、ここは空気が重くならないように、

なんとか軽く笑うくらいのセリフを出そうと思うのに、一言も出て行かない。


「『和茶美』のこと、『伊丹屋』の栗原に頼んだのか」

「あ……はい。注文予約でないと買えないと、そう聞いたので。
3週間待ってくれと言われましたが、とても待てないなと……」


彩希は、『KISEを辞める』という言葉を言わないまま、そこで止める。


「まぁ、気持ちが前のめりになっているのに、3週間は確かにな」


彩希はテーブルの上に、『和茶美』の袋を置いた。

紙袋の中には、3つのどら焼きが収まっている。


「栗原さんに頼んで、その日の予備に残しているものを、
閉店後5つ買うことが出来ました。ホテルに戻って、ひとつ自分で味わって、
後は『第3ライン』のみなさんとと……そう」

「うん」


拓也はそれでいいのではないかと、頷いてみせる。


「でも、もうひとつ食べてしまいました。さらに、この中の1つ、
持っていきたい場所があって」


彩希はそういうと、拓也の顔を見る。


「どうしてなのかわからないんです。全然、証拠もないですし、あの……
根拠とか、確信とか、よく広瀬さんが言うような、そういったものも全くなくて。
ただ、食べてみたとき、すぐに浮かび上がった景色が、全く消えることがないから」


拓也に訴える彩希の目は、どこか潤んでいるようにも見えた。

拓也は、彩希が急に真顔で訴えだしたことに驚き、どう反応していいのか迷ってしまう。



「『福々』で食べていた味を、思い出してしまって。もしかしたら、父がと……」



彩希の言葉は、そこで止まった。

拓也は、『和茶美』のどら焼きが包まれている袋を見る。



『彩』



普通ならば、味見をしただけでわかるものかと、言ってしまうところだが、

彩希の味への感覚、そして、包み紙に記されている『彩』の文字を見ると、

何もかも間違っていると、否定しきれなくなる。


「職人のこと、店で確認したのか」

「会えませんでした。今朝、職人さんに会わせてもらえないかと、そう、
お願いしたんですけど、ダメだって」


彩希は、このひとつを祖父に食べさせたいと、拓也に頭を下げる。


「私の感覚だけではなくて、祖父に食べてもらおうと思って。
いなくなった父が、今でもどこかで和菓子の修行をしていると、
そうじゃなくてもきっと、和菓子に関わる仕事をしていると、
3年も家を出てから経っているのに信じている母の言葉が、こう……どんどん迫ってきて。
すみません、本当に身勝手ですが、許可していただけますか」


彩希はそう言いながら、頭を下げる。


「それを言うために、ここへ俺を呼んだのか」

「はい。ラインの皆さんは、私の事情を知りませんし、
何を言っているのかと思われるのも、また心配されるのも嫌で。
でも、広瀬さんなら、わかってもらえるかと……」


彩希は、どうでしょうかという表情で、拓也を見る。

拓也は、あえてコメントを出さずに彩希の顔を見ていた。

その返事がどう来るのか、そこが不安なのか、彩希の眉は何秒かの間にピクリと動き、

また元の位置に戻っていく。


「……ダメですか」


拓也は『彩』をひとつ手に取り、包み紙の上からその大きさを感じ取った。

別に甘いものが好きなわけではないので、あえて買うことはないが、

おおよその大きさは手に取ればわかる。

他の商品と比べて、すぐにわかるような特徴もない。

『和茶美』の商品が、それほど個性的な姿をしているようには思えない。


「おもしろいな、お前って」

「……おもしろい?」

「そんなこと、わざわざ報告しなくても、江畑の好きなようにすればいいんだ。
元々、『和茶美』へ行って、これを食べてみたいと思ったのもお前自身だし。
証拠がなくても、おじいさんに食べて欲しいと思うのなら、そうすればいい。
確かに、『伊丹屋』が採用を決めたものだから、
興味がないと言えばそんなことはないけれど、俺たちにはこの味を、
細かく分析できるだけの……いや、少なくとも俺には、この味を分析できる舌はない」


拓也は『彩』を袋に戻す。


「あの『福々』で、地域の人から愛されたどら焼きを作っていた、
江畑のおじいさんが、確かにどう思うのか、少し聞いてみたい気もするし。
気が済むのなら、そうすればいい」


拓也の言葉に、彩希は嬉しそうにうなずいていく。

彩希は、祖父母の分だとどら焼きをひとつ、別の袋へ入れた。


「それにしても、食べ物の味って、それほど違うものなのか」


拓也は、彩希が他にも買ってきたお菓子の袋を見ながら、そう言い始める。


「父のことは、100%に近いくらい思い込みなのでしょうけれど、
それが絶対に違うとわかるまで、心が諦め切れなくて」


彩希は、『和茶美』の紙袋をじっと見る。


「あ、そうだ」


彩希の顔が、急にあがる。


「ん?」

「そうだ、どうしてすぐに思わなかったのかな。
栗原さんなら、この『彩』を作った職人のこと、ご存知かもしれないですよね」


彩希は、あらためて純に連絡を取ってみようとそう言い始め、

どうして今まで気付かなかったのだろうかと、今度は楽しそうに笑いだした。


「そうだ、栗原さんに直接聞けば……」

「あいつに会うのか」


彩希のプライベートだと思いつつ、拓也はそう聞いてしまう。


「はい。お菓子の旅に出たいとお話したら、ぜひ、その感想を聞かせて欲しいと、
お食事に誘っていただいたので。それに、『和茶美』のお菓子代。
実は、栗原さんが先払いをしてくださったので、それも払わないと」

「何? これ、あいつが払っているのか」

「はい。『和茶美』に行ったら、目的の『彩』以外にも色々と入れてくれていました。
私は何度もその場で支払いをしますと、お店の方に話したのに、
絶対に受け取ってもらえなくて。だからというわけではないですが、
食事のときの話しのタネにでもなればと思って、
大阪の『伊丹屋』にも顔を出してきましたから、その話もしようかと。
スタイリッシュな感じは、東京の方が上だと思いますけれど、
エネルギッシュな雰囲気は、あの場所独特だと思えて、また楽しかったです」


彩希は、自分があれこれ商品の写真を撮り、

その感想などを書いた手帳をテーブルの上に置く。

広げてみたページには、確かに『伊丹屋』で扱う商品のことが記されてあった。


「おもしろいものも、結構見つけました。あ、そうそう、知らないおばちゃんから、
『あめちゃん』もらったりして……」


彩希は、駅地下の売り場でも、美味しそうなものを買ってみたと、袋の中をのぞく。


「まだ、みなさんいますよね」

「ん? あぁ、うん」


拓也は、自分の許可を得るためにここへ来たはずの彩希が、

純の名前を出し、そこから話題が広がっていくことに、妙な違和感を持つ。

拓也は、ポケットから財布を取り出すと、彩希の前に2万円札を置く。


「何ですか」

「これで払って来い。今からお前が持っていくもののお金を、
あいつが出したものだと思うと、菓子が喉につかえる気がする」

「いや、でも。私が払うものですし、こんなにはしませんよ」

「いいから、多すぎると思うのなら、お前の頑張り代金にでもしろ。
いいか、これで絶対に払って来いよ。お前は『第3ライン』の仕事で行った。
仕事で必要とされるものだから、支払ってもらう必要はないって、
あいつにちゃんと念を押せ」

「……念」

「そうだ、絶対に払いますと、叩き付けて来い」


彩希は、拓也が寄こした2万円を一度手に取るが、

そのままありがとうございますと頭を下げ、お金を戻した。








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