31F 職人に魅せられて ③

31F-③


きめ細かいスポンジ部分が、彩希の舌の上を動く間に、

固体からあっという間に姿を変える。

一口食べると、またもう一口をすぐに運びたくなった。

彩希は結局、無言のまま一切れを食べ終える。


「これ、ものすごく美味しいですね」

「でしょ、美味しいは美味しいんだけどね」

「舌の上に残るような甘さではないので、
この甘みは、全て野菜や果物の素材から出ているのだと思います。
うちにもこの手のものはいくつかありますが、保存を考えると、
どうしても匂いがキツイものも多くて。これは確かに日持ちはしませんが、
お客様のうけはいいはずですよ」


彩希はそういうと、作っていたのはどんな方なのかと、武とエリカに尋ねた。

エリカは、会ったのは大山君でしょうと武を見る。


「違いますよ。売り込んできたのはご主人ですから。
俺が会ったのは本人じゃないわけで」

「あ、そうか」


武が、そんなことを言いながら考えていると、益子と拓也が話しながら入ってきた。

エリカは二人にわかるよう、軽く手を振ってみせる。


「出勤早々、すみません」


エリカの声に、二人が顔を向ける。


「驚きですよ、今朝になって飛び込みです」

「飛び込み?」


益子は、どういうことだとエリカに尋ね、武が今朝からの動きを説明した。

拓也は、残りのスポンジケーキの種類を、楽しそうに見ている彩希の顔を見る。


「江畑」

「はい」

「その顔は、すでに食べたのか」

「はい、食べました。とても、非常に、ものすごく美味しかったです」


彩希は、朝から幸せな気分ですねと笑い、また、ちらしを折り始める。


「飛び込み」

「はい。うちに出入りしている業者の奥さんがということで……
第1ラインからです」


武は、すでにイベントへ参加する店も出揃い、

スペースの割り振りも、ほぼし終了しているとそう話した。

益子は、武がもらった店とパティシエの資料をすぐに見る。


「オープン店舗か……」

「そうなんです。だからやはりこの秋に無理やり埋め込むより、
半年の実績を見て、それで好評なら地下売り場に仕入れできるよう、
話をしたほうがいいのではないかと」

「まぁ、普通はそうだよな。相手にそう提案してみたらどうだ」


拓也はそう言い返す。


「そうなんです、それは言いました。
でも、『キセテツ味の旅』だから出たいのだと、そう思っているようでして」


武は、地域のみなさんが協力するイベントだからこそ、『地域を愛する』気持ちに、

自分たちも乗りたいのだと、アピールされたことも話す。


拓也は武の意見を聞きながら、袋に入っているケーキを取る。


「江畑……」

「はい」

「素材のメインは野菜?」

「はい。甘さも上品でした。本当に素材を生かした商品なので、
これなら、小さな歯が生えたばかりの赤ちゃんでも、食べられます。
ご年配の方が喜ぶベジタブルなものは『KISE』の中にも色々とありますが、
この包装紙なら、若いママたちが、ちょっとした友達への手土産という
選択肢もありそうです」


『見送り』に向けようとする武やエリカの意見を聞きつつも、

彩希の頭だけは、広がる可能性に向かって動いてしまう。

拓也は、ビニールの包みを取り、ケーキを半分にすると、まずは鼻を近づけた。

そして口に入れ何度か噛む。

彩希が、拓也の感想を聞きたそうな顔をするので、残りの半分を渡す。


「残りはお前が食べろ。俺に感想を聞こうとするな」

「でも……」

「でもじゃない。俺がこれを食べてズバッと言えるのなら、
そもそもお前の仕事がないだろう」


彩希は拓也から半分を受け取り、口に入れた。

少し前に食べたものと同じように、舌に乗ったスポンジは、

軽くかむだけで、すぐに消えてしまう。


「あぁ、こっちも美味しい。丁寧に作ってあるのだとわかりますよね。
これだけ香りが残るのは、空気の混ぜ方とか、あと色の出し方とか……
これ、マーブル模様でしょ」


楽しそうな彩希の顔を見ながら、拓也は首をかしげる。


「わからないんですか、広瀬さん」


彩希は、『何をしているのだ』というような口調で、拓也を責めた。


「美味しいなとは思う、思うけれど、
俺は、お前みたいにこれを食べて楽しそうには出来ないな」

「どうしてですか。これには『夢』が詰まっているんですよ、きっと」

「『夢』?」

「はい……歴史を引き継ぎ、これから頑張るぞって夢です」


彩希はそういうと、武と話をしている益子に向かって『すみません』と手をあげた。


「何?」

「あの……どんなふうにこのスポンジケーキが出来るのか、
私が、見てきてもいいでしょうか。
イベントの売り場がほぼ埋まっていることもわかっています。
簡単に入り込めるものではないでしょうが、たとえば……」


彩希の脳裏に、昔、階段の隅に店を出した『福々』のことが浮かぶ。


「正規のスペースでなくてもいいと思うんです。期間も、2週間全てではなくて、
1週間でも5日でも。ここに参加し、ここで頑張れたということが、
きっと、次のステップにつながる気がします。
今回は『木瀬電鉄』の沿線に、とことんこだわってのイベントですよね。
実績を作って次回というのも正論だと思いますが、同じようなイベントが、
次、いつになるかはわからないですし……寄り添えるのなら、
寄り添ってあげたいなと……」


彩希の前向きな言葉に、益子がそうかもしれないねと笑顔を見せる。


「部長」

「江畑さんが言っているのは、以前作った遊びのスペースだよね」

「はい。あと、階段前でもいいと思いますし……」


彩希は、ブースを取れなくても、商品を入れてもらうだけでもどうだろうかと、

食い下がった。武は、益子の顔が否定的ではないとわかり、とりあえず笑って見せる。


「ありがとうございます。少し見てきます」


彩希はそういうと、すぐにリュックを背負い飛び出していく。


「あら、あっという間に出て行ったわね」

「あぁ……」


拓也は、彩希の味への感覚を見込み、自分の仕事を手伝わせようとつれて来たが、

ここで仕事をしていくうちに、その範囲が広がっていることに気付く。

自分が企画を立て、彩希に味を認めさせるという展開を考えていたが、

自分を抜きにして、一人立ちしている気がしていく。

『過去の日』を知ったショックで、

ラインの仕事を辞めてしまうのではないかと思っていたが、

本当に佐保の言うとおり、『前向き』になってくれたのだと思いながら、

拓也は席に座り、見なければならない書類を手に取った。





思いがけない味に出会い、『第3ライン』を飛び出した彩希の歩みは、

横断歩道を渡り、駅に着く頃、半分くらいの速度に代わった。

飛び込みという予想外の展開に、自分自身明るい気持ちになったのは本当で、

出発するまでは何も疑問符がなかったのに、急に現実が押し寄せてくる。



『KISEを辞める』



そもそも有給を取り、それなりの時間を取ったのは、この決断のためだった。

これからを信じ、『夢』への1歩を出そうとしている店を自分が見に行って、

意味があるのだろうかと、あらためて考える。

自分の求められていたのは、味の確認だけで、

決定権があるのはあくまでも拓也たち『ラインのメンバー』になる。

彩希は、出すぎているので遠慮しますと言うために戻ろうとするが、

それ以上に『知りたい』という気持ちが、また足を1歩前へ進めてしまう。


「このお店で最後。そう、最後にする。ここまで関わればおしまい」


自分自身にそう言い聞かせると、彩希は駅の改札を目指した。



31F-④




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