9 愛する人へ

9 愛する人へ

夜の静けさが私達を包み、しばらく二人で互いの体温を感じあっていたが、

時計の針を確認した私は、先に起きあがり、すぐ横に落ちていた下着を身につけた。

ホックを止め、肩紐を直そうとした時、後ろの部分を広橋君にパチンと弾かれる。


「あ……やだ、ビックリした。起きてたの」

「うん」


何時間か前まで、すがりつくように抱きあっていたからか、

あらためて下着姿を見られるのがどこか恥ずかしく、私は彼に背を向け、

少し先にあったシャツを手に取り、すぐに着替えた。


髪の毛を軽く束ねてから、ベッドにいる広橋君の方を振り返ると、うつぶせのまま、

顔だけはこっちを向き笑っている。


「もう、帰らないと……終電に間に合わなくなる」

「うん……」


そう返事をしてくれたけれど、広橋君の動きは止まったままだった。

本当は私も、このまま一緒に朝を迎えたかった。

それでもそんな態度を出してはいけないと、年上の気持ちが動き、

本音を言えないまま、隠してしまう。


「ねぇ、お願いがあるんだけど……」

「何?」

「敦子って呼んでもいい?」

「エ……」


うつぶせのままそんな質問を投げかけて、またチラリとこちらを見る。

そんな視線がおかしくて、私は広橋君に近づくと、顔をのぞき込み軽く頷いた。


「そんなこと、あらためて聞くんだ。許可していない時から、
勝手に敦子さんって呼んでいたくせに」

「聞こうと思ったんだ。すごくいい顔していたから……。でも、聞けなかった」


私の中で、広橋君が黙っていた時間がふっと思い出された。

じっと顔を見たまま、長い息を吐き出したあの瞬間。質問をしようと思ったのは、

きっとこの時だろう。


「どうして聞いてくれなかったの?」


近づいた私の頭を、広橋君は左手で引き寄せ、そっとキスをした。

大切なものに触れるような、優しい口づけは、彼が男であることを、私に示す。


「敦子さんに、あんな顔で、もし、蓮……なんて呼ばれたら、
それだけで終わっちゃいそうだったから」


ドキッとするような言葉の後、広橋君は私に笑顔を見せ、束ねた髪に触れた。

ここで、私が応じてしまったら、本当に終電がなくなってしまう。

私は人差し指で彼の鼻先に触れ、後ろに回った手を軽く払い、ここで終了を合図する。


「はい! 起きてください……蓮!」


笑いながら言った私のセリフに、広橋君は嬉しそうに何度も頷いた。





着替えを済ませ、私に背を向けたまま、彼は玄関で靴を履く。

以前、引っ越しで来てくれた時と同じような光景だけれど、

今の私は、彼の体温も、胸の厚さも知っていた。


「また、ここへ来てもいい?」

「うん……待ってるから」


広橋君は立ち上がり、私の方を向く。まだ、少し疑っているような視線に向かって、

私はしっかりと返事をした。


「待ってるから……」


互いに1歩ずつ前へ出ると、時を止めてしまいたくなるような、長いキスを交わす。

この気持ちの震えを忘れないうちに、きっと彼はまた扉を叩いてくれる……そんな気がした。





映画館で会っていた時のように、蓮は伝言を残したりはしなかった。

廊下で会えば会釈をし、事務局で会っても、軽く会話をする程度。

そんなアプローチをしなくても、互いの心はきちんと見えていたし、

時間さえ合えば、私のマンションで過ごすことが増えていく。




3度目に来た時、蓮は初めて、隣で朝を迎えてくれた。





私はいつものように起きて、朝食の支度をした後、蓮の寝顔をじっと見つめた。

どこかあどけなさの残るような顔に、少しだけひげが伸びている。

片手でコーヒーカップを持ちながら、そんな寝顔を見ていると、

太陽がすっかり昇った頃、蓮はやっと片目を開けた。


「……おはよう」

「おはよう、蓮。そろそろ起きられる?」


子供を起こすような態度だと、蓮はうつぶせだった体を反転させ、天井を見上げると、

軽く頬を膨らませた。


「なんだよ、起こしてくれたらよかったのに」

「だって、とても気持ちよさそうに寝ているんだもの。かわいそうだなと思って」


蓮は上半身は裸のまま立ち上が、一度大きく背伸びをすると、そのままソファーに腰掛けた。

私はそばにあったシャツを取り、蓮に向かって投げてやる。


「ん?」

「着なさいよ、服」

「暑いからいいよ」


そんなことを言いながらTVのチャンネルを取ろうとした蓮の後ろに回り、

私はシャツをかぶせた。仕方なさそうに両腕を通し、蓮はこっちを見る。


「なんだよ、そんなに裸見ているのいやなの? 昨日も散々見たでしょうに」


私の全てを見抜くような視線と、そんなセリフに、昨日の自分が見せた、

思いのままの姿が浮かび、恥ずかしくなる。


「エ……何、その顔。おい、おい、敦子さんは27歳でしょ?」

「うるさい!」


年下のくせに、年下じゃないようなそぶりをしたり、都合のいいときだけ

年下を出してみたり、蓮と話していると、すぐにペースを取られてしまう。

私は赤くなった顔を見られたくなくて、背を向けたままカップやお皿を出した。


すると、TVのコメンテーターの笑い声に代わり、私の耳にピアノの音が響く。

この音を聞くだけで、どんなにとげとげしていた心も、スッと元に戻った。

蓮はそれを知っていて、私に曲を聴かせている。


本来ショパンの『革命』は、勇ましく戦いに向かうような曲かもしれないが、

私たちには二人を結びつけた、大切なメロディーだ。


「うーん……間違えた。ここのところ弾いてないから、指が動かないな」

「ねぇ、もう一度弾いて」

「もう一度?」

「うん、お願い」


父が奏でた鍵盤と同じ位置を、蓮が触れていく。そう思うだけで私の心は、

満たされ幸せになれた。CDで、有名な演奏家の『革命』をいくら聞いても、

父を思い出すことはないのに、蓮が奏でる音は、技術的には未熟なのにも関わらず、

すぐに私を思い出の中に揺らしてくれる。


「じゃぁさ、敦子」

「何?」

「キスして」


全く、蓮が何かを要求するときは、すべてそこに辿り着くのだと思いながら、

私は彼の隣に立ち、軽く頬に触れる。


「は? そんなのは問題外でしょう」


蓮はそう言いながら立ち上がると、人の腕をつかみ、またベッドへ倒れ込んだ。

男の力に任せ、私の上にまたがると、一瞬で身動きが取れなくなる。

得意げな顔をした蓮の唇が、逃げ道のない私の方へ降りてきた。


「蓮、蓮ってば、何するのよ」

「何って大人のキスでしょうが!」


唇が触れ、離れ、そしてまた触れた時、蓮は私の気持ちをさらに目覚めさせようとした。

首筋に蓮が触れた時、私の体は彼に応えようと、自然に準備を始めてしまう。

頭では否定しようとしているのに、心が勝手に言うことを聞こうとしなくなる。


「蓮、右手、右手!」

「ん? あれ? 今何してる?」

「もう! お昼になっちゃう……起きるって言ったでしょ……」


そんな心のままに生きられる時間が、私と蓮にはこれからも待っていると、

ひとかけらも疑うことなどしなかった。





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コメント

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幸せな気分…(〃▽〃)

あちらで、この甘々な二人の情景を読んでから…思い出しては幸せな気分に浸っていた一週間でした~(〃▽〃)

年上で姉さんぶっても、乙女らしい初心な一面を見せる敦子さん(*^^*)
甘えてみたり、男らしく迫ってみたり…もう女心をくすぐる蓮くん(//▽///)

二人ならではの世界をつくっている恋人たちが、本当に心地良かったです~♥

さて、次回から…二人が乗り越えなくてはならない試練が、始まるのね・・・ToT
前回からのももちゃんの予告に…私の小さな胸がふるえています~;;

お茶目な蓮君

eikoちゃん、こんばんは!


>年上で姉さんぶっても、
 乙女らしい初心な一面を見せる敦子さん(*^^*)
 甘えてみたり、男らしく迫ってみたり…
 もう女心をくすぐる蓮くん(//▽///)

お! 女心くすぐった? それは嬉しい。
ちょっと辛い回もあったから、この回は解き放たれた雰囲気を書きたかったんです。
蓮のイメージも、最初の頃の茶目っ気が戻ってるかなぁ……。


>さて、次回から…二人が乗り越えなくてはならない試練が、
 始まるのね・・・ToT

はい、この二人の本当の結びつきが、明らかになります。
そこには、もちろん越えないとならないものが控えているんですよ。

うぅ……小さな胸、またふるえちゃうかも。

試練が

いいな~~~年下の男の子。時々年上みたいに見えるけど。
ちょっとした所にやんちゃな顔が出て。ううーー食べちゃいたい!

>そんな心のままに生きられる時間が、私と蓮にはこれからも待っていると、

ひとかけらも疑うことなどしなかった。

私だってまさかあんなことが起こるなんて!

切なさ満開のももちゃん作品。これから泣かされるのね(TTT0TTT)

泣けるかな?

yonyonさん、こんばんは!


>いいな~~~年下の男の子。時々年上みたいに見えるけど。
 ちょっとした所にやんちゃな顔が出て。ううーー食べちゃいたい!

年下ってことだけで、結構色々なことが出来るものだと、
書きながら思ってました。


>私だってまさかあんなことが起こるなんて!
 切なさ満開のももちゃん作品。
 これから泣かされるのね(TTT0TTT)

……だと思います。

こんな時間も必要だよね

yokanさん、こんばんは!


>はぁ~、今回はお熱い二人を見せ付けられて・・・^m^幸せだね~

うふふ……。ちょっと切ない時間のあった二人だからね。
こんな甘いひとときも、必要な気がしました。


>これから試練が待ち受けてるの~(ーー;)次回は心せねば・・・

うーん……構えていてね。
サークルでも、みなさん驚いてくれてました(笑)

私もよくあります!

mamanさん、こんばんは!


>甘・甘ラブラブで幸せそう!!
 「敦子って呼んでいい?」~「~蓮」のとこなんてニヘニへして、
 他の人がそんな所みたら不気味だったかも・・・。

あはは……。確かに不気味かもしれない。
でも、私もそんなことよくありますよ、書きながら(笑)


>切ないの好きの期待と、
 辛いの可哀想だなの矛盾した気持ちで次回を待ちます。

はい、お待ちくださいませ。
よろしくお願いします!