32F 目の前のハンデマッチ ②

32F-②


「ありがとうございました」

「いえ……どうぞ、ごゆっくりお買い物をお楽しみくださいね」


彩希は売り場を聞かれた女性に説明をし頭を下げると、台車の前に戻る。


「彩希」


声をかけられたので、その方向へ顔を動かすと、立っていたのは冬馬だった。


「冬馬……」


冬馬は、以前会ったときより高級そうなスーツに身を包み、自信満々な顔で立っている。


「仕事、何時に終わる」

「……どうして」

「どうしてじゃないよ、食事にでも行こうかと思ってさ」


冬馬は、彩希と食べに行きたい店があると、そう言いだした。

彩希は今日は純との約束があったため、無理だとそう返す。


「ごめん、今日は出かけないとならなくて」

「……誰と」

「誰って……仕事でお世話になった人」


冬馬は、彩希に1歩近付く。


「広瀬?」


彩希は、冬馬の言葉に、軽く首を振る。


「違う……」


二人の様子を、竹下が見ていることに気付き、彩希は申し訳ないけれどと、

その場を離れようとする。


「まぁ、そうだろうな、彩希にあんなことをしておいて、
のうのうと食事に誘っているのだとしたら、神経おかしいわ」


冬馬は、『それならは明日来るから』と、

彩希が断わる前に売り場から離れていってしまう。



『あんなことをしておいて』



彩希の耳には、冬馬の言葉が残った。

そのまま帰してはいけない気がして、後姿に言葉をかけようとしたが、

結局、言えないままになる。

自分を利用して、なんとか成績を上げようとしていた頃の冬馬に比べ、

服装も態度も堂々としていることは間違いなかったが、

基盤が作れないのではないかと思うくらいの速さで、この状態になったことが、

逆に不安を大きくさせる。


もっと大きなつまずきになることはないだろうか……


彩希は台車を押しながら、

昔、拓也が辞めたような企業にいると言っていた、

冬馬のことを考え、大きくため息をついた。





『里の四季』


純に指定された店の前に立つと、彩希は1度深呼吸をした。

イメージだけで決め付けていたが、店はフランス料理とか、洋風だと思っていたので、

純が決めてくれたのは、完全な和食の店だったことに正直驚かされた。

扉を開けると、すぐに女性が頭を下げてくれる。

彩希が『栗原純』の名前を告げると、こちらにどうぞと、奥へ彩希を案内してくれた。

廊下を挟み、両方に小さな個室がいくつもある。

彩希は、自分なら入らないだろうと思えるたたずまいの店に、

持ってきた財布の中身が、果たして追いつくのだろうかと心配になった。


「ここでお待ちください」

「はい」


案内された和室に入ると、畳の香りが鼻に向かってくる。

ただ、座っているだけで自然と落ち着いた気持ちになった。

彩希はテーブルの横にリュックを置き、とりあえず座布団に座る。

純が到着したのは、彩希が部屋に入ってから5分後のことだった。


「お忙しいところ、すみませんでした、色々」

「いえいえ、お役に立てたのならよかったですよ」


純はすぐに食事の準備をするようにお願いし、彩希にも楽な姿勢をしてほしいと話す。

彩希もすぐに『はい』と返事をした。


「あの、食事の前に、まずこれを」


彩希は封筒に入れた『和茶美』での買い物代金を、純の前に出した。

必ず受け取ってもらわないと、困りますと真面目な顔で訴える。

純は封筒を見た後、『受け取らないと言ったらどうしますか』と彩希を見た。


「受け取ってもらえないのなら……」

「はい」

「……なら、私は『彩』についても、他の商品に関しても、何も話しません」


彩希はそういうと口を強く結ぶ。


「料金を僕が受け取らないのなら、話さない」


彩希の真剣な表情のまま、黙って頷いた。

純は、彩希の顔を見ながら、数秒後に笑い出す。


「おかしな話ですね、それも。僕は感想を述べて欲しいから、お金を払いたいのに。
江畑さん、あなたはお金を払って、さらに情報を僕に話そうとしているわけですよ」


純は、矛盾していませんかと彩希に尋ねる。


「矛盾でもなんでも、私は払います。でないと、自分の旅になりません」


彩希は座っていた座布団から降りると、あらためてお願いしますと頭を下げた。

彩希の頑なな態度に、純は仕方がないですねと、封筒を受け取っていく。

それを見た彩希は、ほっとしたように笑みを浮かべる。

そこに、仲居の女性が顔を出し、コースの料理だと説明しながら、

おかずを数点運んできた。


「まぁ、とにかく、食べながら話しましょう」


純にそう言われ、彩希は『はい』と頷いた。

天ぷらや煮物、和え物など、和食の色々なおかずが、彩希の喉を通っていく。

最初は、とんでもなく高級なものが出てくるのかと思っていたが、

佐保が作ってくれそうな温かいお袋の味とも言えるラインナップに、

彩希の緊張感も、少しずつほぐれていった。


「どうですか、味」

「美味しいです」


彩希はそういうと、もっとピリピリした店かと緊張しましたと笑顔を見せる。


「ピリピリ?」

「はい。個室がたくさんあるし、私はあまりこういった店に入ったことがないので」

「そうですか。それなら思い切って、
獅子脅しがあるような高級店にすればよかったかな」


純は、お店が推薦してくれた日本酒に口をつける。


「いえ、それこそ喉を通らないので……」


純の意見を、彩希は両手を振って否定した。



「江畑さんの『舌』にかなう味ですか? ここは」


純は、エビの天ぷらを食べたあと、あらためて味の感想はと彩希に尋ねてきた。

彩希は純の顔を見る。


「あの……」

「はい」

「すみません、美味しいという感想はありますし、
調味料の判断くらいはつきますけれど……」

「……お菓子ほど、繊細には感じない」


彩希は純の言葉に、小さくうなずく。


「自分でも不思議なのです。電車に乗れば、すぐに乗り過ごすし、道を間違えたり、
失敗はあれこれあるのですけど、お菓子が絡むと、舌が感じ取ってくれるというか……」

「感じ取る」

「はい。説明はつかないのですが、小さい頃から、和菓子職人だった祖父と父に、
影響を受けたのかもしれません。実際、今回の旅で出かけた『雫庵』も、
昔、父が連れていってくれたことがありましたから」


彩希は、店が休みにならなくて、家族旅行などの思い出はないが、

父と出かけた『味』にまつわる旅は、忘れられないと話す。


「お父さん……が」

「はい」


彩希は、自分の実家が『福々』という和菓子店を営んでいたが、

土地や家が借り物だったため、慣れた土地を離れ、商売に失敗し、

その中で家族がバラバラになってしまったと、今までの流れを語る。


「そうですか。あなたの舌が特別だと言うのは、僕にもよくわかります」


彩希は純の言葉に、顔をあげる。


「『雫庵』のこと、そして『夢最中』のこと。江畑さんの味に関する鋭さは、
そうなると、引き継がれてきたものだということですね」


純はそういうと、日本酒の残りを飲み干していく。

彩希は、レンコンの天ぷらを口に入れた。シャキシャキと食感が楽しめる。


「江畑さん、僕からそんなあなたに提案があります」

「はい」


純は、今日はどうしても『和食』にしたかった理由があると言い、

横に置いてあったバッグから、風呂敷に包まれた小さな箱を取り出した。

彩希は、何が出てくるのかと、純の手元を見る。


「あ……」


目の前に現れたのは、『彩』だった。



32F-③




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