32F 目の前のハンデマッチ ③

32F-③


「これ……」

「はい。『和茶美』の『彩』です。昨日、打ち合わせに出かけた社員に、
持ち帰らせました。今日、江畑さんに会うことがわかっていたので」


純はそういうと、『彩』を一つ彩希の前に置く。


「感想を伺うこと、それが僕の1つ目の目的です。
すでに食べているのだからわかるのでしょうが、どうせなら、今ここで食べてもらい、
その報告をしてもらいたい」


純の言葉に、彩希は押し込めていた思いが、またわきあがってくるのを感じた。

新之助に話し、食べてもらったが、父、晶の味ではないと否定された。

しかし、口から離れたはずのあの味が、目の前にあることを考えると、

忘れそうになった感覚が、また戻ってくる。


「どうぞ、遠慮なく」


純の言葉に、彩希は袋を開けた。

そして、真ん中で半分に割ると、口に入れる。

一口、そしてまた一口と進むたび、『やはり』という思いが強くなっていく。


「皮と餡、どうでしょうか」


純の問いかけに、彩希は『彩』を半分食べ、お茶を飲んだ。

心に届く思いは、やはり一度の偶然ではないと考える。


「皮のしっとりとした雰囲気は、他の店と生地の膨らませ方が違うのだと思います。
中に入る空気が、断面を見てもわかるように、本当に均一です。
そのため、妙な後味にはなりませんし、真ん中には餡がありますが、
その餡のない端の部分の皮に関しては、ほんの少し強さがあって……」


一つのどら焼きなのに、食感も味も、変化があるとそう分析した。


「でも、かみ締めたときには、皮と餡、それが一体となります。
パサついたところはないですし、甘みがしつこく口に残るようなこともありません。
餡だけを考えると、じっくり丁寧に砂糖を溶かしているので……」



『彩希……』



彩希は、やはりどうしても確かめたいという思いで、前に座る純を見る。


「あの……」

「江畑さん、『伊丹屋』に来ませんか」


純の提案に、彩希の言葉は瞬間的に心の底に押し込まれた。

純は、彩希の舌の力があれば、『伊丹屋』の社員として受け入れられるとそう話す。


「私が、『伊丹屋』にですか」

「はい。以前から、売り場と本部の架け橋が必要ではないかと、そう考えていました。
『KISE』と違って、『伊丹屋』は売り場と本部が同じ建物の中に存在します。
しかし、距離以上に存在が遠い。どこかに出かけると、
その場所を知っているという人材が、必ずいるでしょう」


純は、彩希に『ヴァンドゥーズ』として、活動してもらえないだろうかと提案する。


「『ヴァンドゥーズ』?」

「そんなに堅苦しく考えなくていいですよ。お菓子のソムリエ……のようなものかな。
商品に関する知識を持ち、販売に生かしてもらう、そんなことです。
もちろん『KISE』でもそうしていますと言われるでしょうが、
『KISE』では、本部の仕事を手伝いながらも、実際は売り場に籍があるでしょう。
だから、週のうち数日ずつ勤務をしている。となると、正式な社員待遇ではないはずだ。
イベントが終われば、企業の都合ですぐに戻される。それでは、あなたの……
江畑さんの舌の力がもったいない、生かしきれない」

「栗原さん」

「それに……」


純は自分の分の『彩』を、彩希の前に出す。


「こういった協賛企業との交渉ごとにも、
『うちの社員なら』参加させることができますよ」


純はそういうと、彩希を見た。

彩希は、純の言い方に、『自分の言いたいこと』を読まれている気がしてしまう。


「あの……」

「はい」

「実は、『和茶美』でこの商品を買って、ホテルで味わった後、
次の日、もう一度店に行きました。それは、この『彩』を作った職人さんに、
お会いしてみたいと思ったからです」

「はい」

「でも、ダメだと断られました」


彩希は、『父、晶』のことは言わないまま、そう話す。


「まぁ、お店によって対応は色々ですが、職人は店にとって宝ですからね。
手の内を見られる気がして、嫌だと言うのは確かにあると思います。
『和茶美』はイメージをとにかく大事にしています。ですので、通販などは応じませんし、
職人がテレビに出て、技を披露するような番組も受け入れていないのです。
それは……」

「お店の方に言われました。『商品が顔』だと」

「……僕も、それはそうだと思っています」

「でも……」


彩希は、思わずそう叫んだ後、『すみません』と謝った。

長い間、行き先もわからない父に対しての思いが、なぜかこの味から、

湧き上がってしまう。

心の中をどう表現したらいいのか迷っているように見える彩希に、

純は自分から一歩前に出る。


「江畑さんは、『山田数行』という人をご存じですか?」

「山田数行……いえ、知りません」

「そうですか。実は僕もあなたと同じで、
『和茶美』の謎めいた部分を知りたいと考えた一人です。
『彩』を作り出したのはその職人だと、噂に聞きました」

「そうですか」


彩希は、『山田数行』という知らない名前の登場に、

職人は父ではなかったのかと、軽く肩を落とす。


「『雫庵』で修行した経験を持ち、腕はとにかく一流の男だそうです」


純はそういうと、彩希を見る。

下を向いた彩希の表情は、『やはり』という切なさが出ている気がした。


「そうなのか、それほどの男なのに、
今まで名だたるコンクールなどで名前を聞いたこともないなと、
懲りずに調べていたら……実は、『山田数行』という人間は、
すでにこの世の中にいないことも知りました」


純は、数年前に東北のとある場所で、発作を起こし亡くなったと説明する。


「どういう意味ですか」

「『山田数行』という職人は、実際にはもういないのです。
しかし、彼の名前を必要としている人間がいて、偽名として残っている……
そういうことです」


純は、情報を小出しにしながら、彩希の反応を確かめているように思えた。

純の何かを知っていると言いたげな台詞に、

彩希は思いを明らかにするべきか、どうなのか迷いだす。


「江畑さん。江畑彩希という人物が、ただ和菓子を買いに行き、
味に感動したから職人に感想を述べたいと訴えも、それは壁を越えられません。
しかし……」


純は残った『彩』を持つと、それを裏返しにする。


「『和茶美』の菅山社長は、今回のイベントをきっかけに、
『和茶美』の名前を、全国に広めていく計画があるはずです。
『伊丹屋』なら、いや、この僕なら、あなたの知りたいその先を、
探ることは出来ますよ。確実に……」


純はそういうと、彩希を見た。

彩希は、そこまで見せていた純の優しい顔つきとは違う、

勝負のかかった表情を見る。


「『山田数行』という偽名を使い、この『彩』を作り出した本当の職人。
それを明らかにさせることが出来る……」


自信を持っているような純の言葉に、彩希は、もしかしたら『和茶美』の職人が誰なのか、

知っているのかもしれないと思い始めた。


「栗原さん……あの……」

「江畑さん、今、私が話していることですが、
色々と悩んで数ヵ月後に答えを出しますでは、正直、意味がありません」


純は、『決断』を迫るようなことを言い、彩希は黙って前を見続ける。


「『KISE』も今、大事なイベントを前にしている。
ですから、厳しいこともわかっています。しかし、それだけの思いに、
僕は応える自信がありますから……」


純はそういうと、もう一つの『彩』も彩希に渡す。


「これは、ぜひ、ご家族の方にでも……」


彩希は、思い込みではなく、『山田数行』と名乗る職人が、

本当に父なのかもしれないと、押さえていた鼓動がどんどん速くなるのを感じてしまう。


「栗原さんは……『山田数行』さんのことについて、すでにご存じなのですか」


彩希は気持ちが抑えきれなくなり、そう聞いてしまう。

純は、彩希がまっすぐ自分を見ていることに気づき、軽く息を吐く。


「知らないかもしれないし、知っているかもしれない……」

「エ……」

「僕は『伊丹屋』の人間であることを、あらためてお話ししておきます」



『伊丹屋』



彩希は、『KISE』ではなく『伊丹屋』の中に入ればという声に聞こえ、

そこから何も言えなくなる。


「江畑さん、これから台風が近付くそうですよ。気をつけないと」


純はそういうと、少しだけ口元をゆるめ、笑みを浮かべてみせた。



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