32F 目の前のハンデマッチ ④

32F-④


『江畑さん、今、話していることですが、
色々と悩んで数ヵ月後に答えを出しますでは、正直、意味がありません』



彩希は、帰りの電車に揺られながら、純の言葉を何度も思い返した。

確かに純の言うとおり、伊丹屋で正社員として働くことが出来たら、

『KISE』の派遣社員でいるよりも、もっと給料も上がるだろうし、

腰が痛いのにパートを続けている母にも、もう少し楽をさせてあげられるかもしれない。

そして、手繰り寄せる糸さえ見つからなかった父、晶のことも、

『栗原純』という男の力があれば、手繰り寄せることが出来るかもしれないと、

そう考えてしまう。



『江畑……これ、食べてみろ』



彩希の脳裏に、拓也の顔が浮かぶ。

元々、売り場に立っていただけの自分のことを認め、新しい場所を与えてくれたのは、

間違いなく拓也だった。『福々』を潰してしまった過去があるため、

上司とどれだけ揉めようと、『お客様のため』という気持ちで、

仕事に取り組んでくれている姿勢が、『企画など無理だ』と思っていた彩希の心も、

販売員が入るという特別な状態に批判的なメンバーたちの心も、動かしてくれた。

純は転職に関して、『すぐに』という言葉を口にした。

それはつまり、『キセテツ味の旅』イベントの準備を見届けることなく、

『伊丹屋』を選べと言うことだった。

元々、拓也が仕事がしづらくなるのではないかと思い、

『和茶美』を訪れた後、退社するつもりだった。

しかし、それはあくまでも『キセテツ味の旅』を完成させ、責任を全うし、

お菓子の現場自体を離れる決意でいた。

『KISE』を辞め、『伊丹屋』に入るというのでは、あまりにも状況が違いすぎる。



しかし……



老人ホームに入り、どこか過去のことを気にしたままの祖父と祖母。

そして、愚痴など言わず、父はいまだに修行をしていると、娘の彩希に話す佐保。

『夢最中』を作り終え、これから残りの人生を楽しもうと思っている喜助。

洋菓子という別の世界にいながらも、

いつも江畑家を気にしてくれている『チルル』の白井。

父、晶のことがわかれば、その人たちの日々も、大きく変化するのではないかと、

そう考える。

悩みながら電車に乗っていた彩希は、改札を抜けても、視線は下を向いたままだった。





『江畑晶』


彩希から悩みの相談を受け、拓也からもその名前が頭を離れることはなかった。

通勤電車に乗り、吊り輪をつかむと、すぐに悩みの中に入り込む。

老舗などでは、職人同士の付き合いもあり、おおよそ話題になるような人は、

互いに知っていることが多い。

しかし、拓也はずっとこの業界と付き合いがあったわけではないし、

『KISE』のお菓子売り場で長い間力を持っていた『リリアーナ』とは、

現在緊張感のある状態が続いている。

朝のラッシュに揺られながら、昨日という日が、

彩希にとって『栗原純』との食事会だったことを思い出す。

彩希は疑問に思っていたことを純に語ったのか、

純は『和茶美』の職人についての情報を彩希に語るのか、

そんなことを考えながら下を向いていた顔を、なんとか上へあげる。


「……ん?」


電車は駅に到着し、拓也のあげた視線の中に、

元気そうに笑っている芳樹の顔があった。



「いやぁ……以心伝心ですね」


芳樹は、嬉しそうに笑顔のまま、隣の吊り輪をつかむ。


「広瀬さんの姿に気づきましたが、まだ少し距離があったので、
僕は心の中で『おはようございます』と挨拶しました。
そうしたらその瞬間、パッと広瀬さんの顔があがったんですよ。
まるで応えてくれたように。あぁ……なんだか朝から楽しくないですか?』

「……いや、全く」

「あれ?」


芳樹はあまり機嫌のよくなさそうな拓也のことを見た後、これ以上笑っていると、

逆に怒られるのではないかと思ったのか、急に表情を固くする。

拓也は、隣にいる芳樹の妙な緊張感を悟り、わざと足を踏みつけた。


「イテッ……何するんですか」

「何って、大林に気付いてもらおうと思ってさ」


拓也は悪びれず、当たり前のようにそう言った。

芳樹は自分の右足を、拓也から少し離す。


「気付いてもらおうって、それなら隣にいるんですから、
足を踏まずに、普通は声をかけるでしょう」

「人を探すには、どうすれば一番いいと思う」

「……無視ですね、今度は」


芳樹は、朝から『身勝手さが全開だ』と思いながら息を吐く。

拓也は以前、予想外に『夢最中』を知っていた芳樹の書道の集まりに、

そういう物知りはいないかと、人数が5名であることを知りながら、わざと言ってみる。


「うーん……いませんね」


拓也は『だろうな』と小さく嘆いた。


「そもそも、人を探すのには、警察か……」

「うん」

「テレビ局かと」


芳樹は『公開捜査』っていうのを募集しているテレビ局がないか、

考えてみるのはどうですかと、拓也に話す。


「うーん……」

「そんなことより、お姉ちゃん情報網があるじゃないですか、広瀬さんには」


足を踏まれたことを謝りもしない拓也に対して、今度は芳樹がわざとそうふっかける。


「お姉ちゃん情報網には、得意不得意がある」

「……はぁ?」

「当たり前だろ。彼女たちは夜の蝶なんだぞ。
昼間に動いている働きアリたちのことなど、わかるわけがない」


拓也は『竹ノ堂』など、『KISE』に出入りしている和菓子メーカーに、

声をかけてみるしかないかと考える。


「ちなみに、誰を探すんですか?」


芳樹は、その捜す人によっても、違うのではないかと言い返す。


「違うかな」

「そうですよ、たとえば腕のいい医者だとかなら、なんだかんだ言っても、
医者同士とか、病院関係者とか、業界に精通している人間とか……」

「精通……」

「はい。ほら、受験とかもよく言うじゃないですか。予備校の先生とか、
そういうものを知り尽くしている業界の人間とか、テレビに出たり……」


拓也は『精通』という言葉に、純のことを思い浮かべた。

『伊丹屋』の本社で、ある意味、デパートの顔とも言える食料品分野を仕切り、

イベント時には、経営者クラスの人間と、一緒に店を歩いていた。

年齢は自分とあまり変わらない様に見えたが、それこそ『業界』での存在感は、

大きく開きがある。彩希から初めて教えてもらった『夢最中』も、

純は自分より先に知っていたし、『チルル』という店の判断や、

『和茶美』など、その知識は全国に広がっている。


「まぁ、そう言われて見たらそうだな」

「で……探しているのは……」

「江畑の父親」


拓也は、それだけを言うと、ここは『自分が』と意地を張らずに、

会社の垣根を越えて、栗原に頼んだ方がいいのではないかと、考え始める。


「あ……そうですか」


芳樹は横に立つ拓也の表情が、どこか寂しそうな気がして、

それ以上、どう言葉をつなげていいのか、わからなくなってしまう。

くだらないいたずらをされたり、文句を言われたりする時間の方が、

この重苦しい時間よりも、よっぽど楽だと一度息を吐く。

話のやりとりが止まり、斜め前にいた女子高生たちの笑い声が聞こえ出した。

芳樹は、今見えている景色から、『久山坂店』のある駅までは、

あと10分近くはかかってしまうという現実を感じ取る。


「あ、そうそう、そういえばですが、小川課長って、なんだか知らないですけど、
うちの売り場にある商品の値段を、全部暗記してますね」


沈んでいくような空気が耐えられなくなり、芳樹は小川の話題を口にするが、

拓也からは何も返事がなく、また電車の音だけが耳に届き始める。

思いつくままに出してしまった名前が、どうして小川のことだったのかと、

芳樹は首を傾げた。


「まぁ……暇ってことですよね」


芳樹は、拓也の気持ちを明るく変えるのは無理だと、

お手上げ状態になりながら、車内刷りの方へ視線を向けた。



【 ご当地スイーツ紹介 】

各話のタイトルに使用している写真は、各都道府県の有名なお菓子です。
みなさん、味わってみたこと、ありますか?


【32】島根   源氏巻  (餡をきつね色に焼き生地に包んだ、カステラのような菓子)



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