34F 駆け引きの表裏 ②

34F-②


その頃、純は『雫庵』に向かった担当者からの連絡を待っていた。

『和茶美』が力をつけていけたのは、間違いなく『雫庵』の社長が後ろ盾となり、

業界の居場所を確保したからだった。


純が『伊丹屋』に入社したばかりの頃、

京都に『神様のような舌を持つ男がいる』という話を聞いたことがあった。


『岩原太一郎』


それは、今の社長、学の父になる。


昔は、ただ和菓子を作り、その場で売っていたという『雫庵』が、

太一郎を社長にすることが決まり、その経営力、そして職人としての存在を武器にして、

『絶対的なもの』を作り上げた。

その売り出し方法がうまくはまり、伝統だけではなく、店構えも大きく変わる。

和菓子といえば『雫庵』。

歴史と実力を兼ね備えた代表店として、名前を挙げられるまでに成長させた。

職人は数名いるけれど、最後の味を決め販売の許可を出すのは太一郎という構図を、

店の価値をあげていくために取るようになったことが、一番の成功ポイントだろうと、

純も同僚たちと話したことがある。

デスクの上に置いた電話が、鳴り始めたので、

純は迷うことなく握り、すぐに声を出した。

相手は、頼んで出張してもらった若手の男性社員になる。


『栗原さん……やはり雫庵には、色々あるようです』


京都に向かった社員は、『雫庵』で長い間仕事をした職人と会うことに成功し、

その内輪もめの原因を聞く。


「色々……とは」

『はい……』


調べを進めた社員が話したのは、今の社長、『岩原学』が数年前から病を持ち、

その薬や治療の都合で、『味覚』がおかしくなっているというものだった。

純は、以前噂として聞いた話とほぼ同じだと納得する。


「味覚か……それで?」

『はい。太一郎さんの時代に築いた、あの、トップが味の全てを決めていくという、
カリスマ的な方法が、取れなくなっているんです。
もちろん、作っている職人はみんな腕のある人たちですが、
その中でもベテランが1名、年齢から来る体調不良などもあり、
抜けていることも多いとか」


純は話を聞きながら、目の前のメモに、出てきた人物の名前を書く。


「まぁ、引き際も難しいところだな……」


純は名前を丸で囲み、太一郎、学の名前を見る。


「元々、部門ごとの職人なので、全ての工程を教えてもらえない状態になっていて、
その分、味に少しだけばらつきが出ていると……」


まぁ、そんなことを言っても、素人の客にはわからないですがと社員は付け加える。


「そうか……その内情が明らかにならないうちに、
跡取りの一本立ちを早めているわけだ」

『はい。一人息子の聖さんは、どちらかというとおっとりしているようで。
それに、会長の太一郎さんは元々、学さんと今の後妻との再婚を反対していましたし、
聖さんではない跡取りをとも考えているようです』


今の形を作り上げた太一郎は、学と前妻との間に生まれた娘に、

腕のいい職人を婿としてもらい、新しい形を目指した方がいいと思っているようだった。

その話も以前聞いたことがあると思いながら、純は、『山田数行』の名前を四角で囲む。


「『山田数行』の名前を使い、跡取りを指導している男は誰なのか……
『江畑晶』という名前ではないか、確認したか」

『すみません、話はしてみたのですが、そこは『和茶美』内のことになります。
『雫庵』にいた元職人も、山田さんが亡くなっていたことすら知らなかったようで』


純はその報告を聞くと、とにかく明日東京に戻ってから、

もう一度細かく話を聞くと、電話を切った。





その日の仕事を終えた彩希は、家まで戻ると、純に連絡を入れた。

お話しはとてもいいもので、自分にはもったいないくらいの好条件だけれど、

今は『KISE』のイベントを抜ける気持ちはないことなど、思いのままに話し続ける。


「色々とすみませんでした。
『和茶美』に行きたいなどわがままを通してもらったのに」

『いえ……しかし残念ですね、僕にとっては、あなたが必要だと言うことを、
これでも、精一杯述べたつもりでしたが』


純は、真面目な彩希らしい返事だとそう言ったが、

『でも……』と話の終わりを変えようとする。


『だからといって、簡単には諦められませんよ。
あと1週間、考えてもらえませんか』


純は、あと1週間だけ真剣に考えて欲しいと、彩希に言った。

彩希は、自分の気持ちは変わらないと話すが、純はだとしてもと譲らない。


『ただ、考えてくれと言うわけではないんです。
江畑さん、あなたにもこの転職話は、プラスになると思うから、伝えているんです。
実は、新しくわかったことがありまして……』

「わかったことですか」


彩希は、純が何を言うのかと、受話器を握る手に力が入る。


『山田数行を名乗るのは、東京で経営していた店をたたみ、
岡山に渡った男……だそうですよ』


受話器の向こうにいる純は、ゆっくりと丁寧に言葉を押し出した。

彩希は、経営していた店をたたんだということ、東京からということ、

その一言、一言に、晶を結びつけてしまう。



『その人には、本来、戻らないとならない場所があるそうです……』



『戻らないとならない場所』

彩希は、純の言葉に、何一つ言えなくなってしまった。

純は、『あと1週間、お待ちしていますから』と言葉を乗せ、会話を切った。


「ふう……」


純はメモを見た後、一度目を閉じる。

『山田数行』が『江畑晶』であるという確信は、まだどこにもないのに、

彩希には、そうとしかとれないという言葉を、あえてぶつけていった。

とにかく前にことを進めること。

純の頭の中には、それだけしかなく、不確定な文字を残していたメモをギュッと丸め、

そのままゴミ箱に押し込んだ。



『その人には、本来、戻らないとならない場所があるそうです……』



受話器からは、ツーツーという音しか届かなくなくなったのに、

彩希はしばらく握ったままだった。


『東京から』

『店をたたみ』

『戻らないとならない場所』


純の言葉、一つずつが父につながっていく気がした。

彩希の頭の中で、忘れようと思うことが、またグルグルと回りだす。

下から佐保の声がしたため、彩希は返事をすると立ち上がった。





「エ!」


まさかと思っていたことが現実になったことを知り、エリカは食事の手を止めた。

純は、驚くエリカの顔を見ると、『どうした』と冷静な顔で尋ねる。


「どうしたって、本気でそんなことを言ったの」

「あぁ、言ったよ。前から話していただろ、江畑彩希の味覚は本物だって。
『KISE』の売り場の隅で、動いているなんてもったいない。『伊丹屋』で、
もっと立場をあげてやろうと思ってさ」

「江畑さんには断られたでしょ」

「あぁ……」

「当たり前よ。言ったわよね、彼女の気持ちは……」

「そう、聞いたよ。広瀬拓也のために頑張るのが江畑彩希だと」


純はナイフとフォークを置くと、ワイングラスを持つ。

香りを鼻に受けながら、一口飲んだ。


「エリカから得た情報があるのに、僕がそのままぶつかると思うのか。
僕はそこまで抜けていない」

「……どういうこと」

「ここからは企業秘密だ。君が言ったことだよ、君と僕はライバルだからね」


純はそういうと、エリカを見る。


「手の内は一気に見せる必要などない。右か左か、その揺れる様子もおもしろい。
勢いで来なければ、気持ちも固まるというものだし」


純はそういうと、肉が柔らかいと満足そうに話す。

エリカは、何か企んでいるように見える純をじっと見る。


「ねぇ、純、もう一度言うわよ。あの子をからかうのは辞めた方がいい。
あのね、ライバルだからとかではないの。私が江畑さんを見て思っているの。
『伊丹屋』に彼女は向かない」


エリカは、『伊丹屋』のコンセプトと、彩希の力は結びつかないとそう話す。


「江畑彩希のあの舌の力は、彼女のものだけれど、それだけではないのよ。
無理な力をかけて、取り込もうとしたら……壊れるかもしれない」

「壊れる? それはまた物騒だな」

「ふざけているわけではないの。一緒に仕事をすればわかる。
彼女の力は、色々な要素が重なって出てきたものなの。人とか、場所とか、それに……」


エリカの抽象的な言葉を聞きながら、純は首を横に振る。


「純……」

「江畑彩希が、『伊丹屋』に向くか向かないか、壊れるのかどうか、
それはやってみないとわからない」

「わからない?」

「あぁ……」


純は諦めないという姿勢を示すと、エリカの冷たい視線を無視するように、

さらにナイフとフォークを動かした。



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