35F 強くて哀しい決断 ②

35F-②


昨日、エリカに対して返事をすることなく流してしまった拓也だったが、

彩希の『伊丹屋行き』に対しての思いが、心の中から消えることはなかった。

このまま、イベントが終了するまで『第3ライン』にいて欲しいことは間違いないが、

伊丹屋の栗原にしてみても、こっちの事情を最優先に考えてからというわけには行かず、

ごねていては、わかるかもしれない父親の所在が、

また闇の中に消えてしまうのではと思い始める。

いくら彩希が頑張ってくれても、『KISE』のルールでは、正社員にはなれないし、

イベント終了後も今の場所を、与えられるかどうかも不明だった。

拓也は、『福々』と自分の過去を先に知り、どう伝えようか迷っていた中で、

彩希が人づてにその事実を聞いてしまい、辛い思いをさせたことを考え、

ここは自分から押し出してやるべきだろうと、気持ちを決め前を向いた。





「おはようございます」

「あ……広瀬さん。すみません、少し前に荒木君から連絡が入って」

「どうした」


まつばは寛太の祖母の容体が思わしくないため、

1日有給をもらいたいと連絡があったことを話す。


「忙しいのにすみませんって、荒木君、受話器越しに何度も謝っていました。
でも、かわいがってくれたおばあさんだから、どうしても会っておきたいって」


まつばは、寛太の仕事は自分と大山さんでフォローしますと、拓也に話す。



『はい。私も正直、栗原さんに色々と聞かされたときには、迷いました。
会えるのなら会いたいと思ったし、どういう理由があるにしても、
戻ってきて欲しいと思ったし……。でも、母の言葉を聞いたら、そうだと思えて』



拓也は、彩希が話した台詞を思い出した。

寛太が世話になった祖母を気にするように、自分に近しい人たちが、

いつまでもいてくれるわけではないことを考えたら、彩希が選ぶべき道は決まっている。


「よし、それなら荒木の分、しっかり準備をしておこう。
あいつが気持ちよく戻ってくるように」


まつばは『はい』と返事をすると、すぐに図面を持って、コピーを取り出した。





朝の打ち合わせを終えた拓也は、地下通路を通り、『KISE』の食料品売り場に向かった。

売り場に顔を出すと、数名の店員に挨拶をされ、返礼する。

拓也の存在に気づいたチーフが、様子をうかがうようにゆっくりと近づいた。


「おはようございます。今日は……」

「すみません、朝の慌ただしい時に」

「いえ……」


拓也は彩希に気づくが、その姿は、今日もいつもと変わらなく見えた。

チーフは、自分の制服に汚れはないかと、下を向きながらチェックする。


「江畑さんに話があるので、仕事が終わったら……
一度、私宛に連絡をよこしてから、ラインへ来るように言ってもらえますか」

「連絡……」

「はい。打ち合わせなどで、いない時間もあるものですから」


拓也はそれだけを言うと、売り場を離れようとする。


「あの、今、呼びましょうか」


チーフは、目の前にいるので、呼びますよと気をまわしたつもりで提案する。

拓也は、お客様を迎える準備を、一生懸命にしている彩希を見た。

『KISE』が大好きで、お菓子が大好きだと言っていた彩希の姿が、

ここから消えるのだと、そう考える。


「いえ、彼女の大切な時間ですから……今は……」


拓也はそういうと、あらためてチーフに頭を下げ、本社へ戻っていった。





『あゆみの丘』を訪れた佐保は、岡山から戻った新之助とカツノに会った。

新之助は、心配をかけて申し訳ないと佐保に頭を下げる。


「いえ、お義父さん。私たちこそ、色々とご迷惑ばかりをかけて」

「佐保さんの責任じゃありませんよ。晶が……」

「お義母さん」


佐保は、『和茶美』と仕事上の付き合いがある『伊丹屋』に、

彩希が転職することになりそうだと、純から言われた話は伏せたまま、話し出す。


「『伊丹屋』ってあの?」

「はい。彩希のお菓子に対する味覚の鋭さを、評価してくださったみたいで、
今とは違って正社員ですし、本人も……」


佐保は、彩希の決意した顔を思い出す。


「頑張りたいと、言っていましたから」


佐保は、『伊丹屋』の上司になる人が、『和茶美』との付き合いもあるので、

いずれ情報が入るのではないかと、二人に話した。

カツノは無言のまま立ち上がり、小さな戸棚を開けると、何やら探し始める。


「おい、どうした」

「いえ……」


佐保も立ち上がり、捜し物なら一緒に探しますと話しかけるが、

カツノは返事もしないまま、両手を動かしていく。


「……お義母さん」


カツノは小さなノートを取り出すと、ページをめくり出す。


「えっと……確か、書いていたはず」

「書いた?」

「『伊丹屋』って聞いて、なんとなく思い出して……」


カツノの手が止まったページには、小さな紙が挟まっていた。

それは『伊丹屋』の包装紙になる。


「メモって言われて、とっさに破ったんですよ、これ」


そのちぎった紙を開くと、懐かしい字が3人の前に現れる。


「あ……」

「これ、晶の字か」

「そうです、晶が電話をしていた時、急にキョロキョロし始めて。
メモを取ってと言われて、私、これを……」


『雫庵』と『山田数行』という名前がそこに書かれていた。

電話番号らしき数字も、横にある。


「あの子、お店がダメかもしれないという頃から、口数が前よりももっと少なくなって。
お父さんには言わなかったけれど、一人でお酒を飲んだ日に、言ったんです。
『俺も、他の場所できちんと菓子作りを覚えていたら、
もっと親父を尊敬出来たのかもしれない』って」


カツノは、店がうまくいかなくなった原因は、晶が自分にあると強く思い、

気持ちが沈んでいたこと、分量をきっちり覚えて作るやり方ではない、

父親の感覚的な和菓子作りに、嫉妬の思いが抜けなかったことなど、

つぶやいたことも話していく。


「『山田数行』って、もしかしたら、この人から電話があったのかね……」


カツノはその紙を見ながら、目に涙を溜め始める。


「晶さんがメモを……」


佐保は、初めて聞く話に、そう聞き返す。


「何が他の店だ。あいつには俺がちゃんと……」


自分のそばにいたから失敗したと言われたような気がした新之助は、

それが原因ではないと、つい、口調が荒くなる。


「そんなこと晶だってわかっていますよ。でも、だからこそ、
それが間違いないという証があの子は欲しかったんです。着いてくればいいという、
あなたの指導に、自分が応えていないのではないかと、ずっと……」


佐保はカツノの話を聞きながら、よく、寝室で晶が嘆いていたことを思い出した。

父、新之助が年齢を重ね、店から抜けるとなった時に、

小さな『福々』は、自分の腕だけで生き残れるのだろうかと、

続くことへの不安を、語っていた。


「お義父さん、お義母さん……。時を待ちましょう。
晶さんはきっと、私たちに会いに戻ってくるはずです」

「佐保さん」

「彩希が……『伊丹屋』と縁を持つことで、晶さんを……」


新之助は黙ったまま窓の外を見ていたが、カツノはその通りだと何度も頷いた。



35F-③




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