35F 強くて哀しい決断 ③

35F-③


彩希は休み時間にチーフから、『拓也からの伝言』を聞いていたため、

仕事が終わると、まず携帯電話を鳴らした。

第3ラインでは、今、メンバー全員が必死に頑張っている。

自分にも事情があるとはいえ、その中に飛び込んで語れるほど、度胸はなかった。


『もしもし……』


受話器から、拓也の声がする。


「あの……江畑です。今、仕事が終わりました」

『……うん』

「何時頃なら、そちらに向かってもいいですか」


彩希は、広瀬さんの都合がいい時間まで待っていますとそう話す。


『大丈夫だ、小会議室にいる……』


拓也はそういうと、受話器を置いた。

目の前では何も知らない武やまつばが、図面をにらみながら最後の配置決めをしていて、

隣ではエリカが、イベントの招待状を送ったリストチェックをしている。

拓也はメンバーに何も告げないまま席を立ち、廊下に出て行く。

まつばや武はそれを気にするようなことはなかったが、エリカは顔をあげた。


『小会議室にいる……』


上司相手なら、言わない口調だった。

エリカは昨日、彩希が拓也のところに来たことを知っている。

今のは、おそらく向こうの仕事を終えた彩希からの電話だろうと思いながら、

またリストに目を向けた。



『江畑彩希が、『伊丹屋』に向くか向かないか、壊れるのかどうか、
それはやってみないとわからない』



エリカは、そう宣言した純の言葉を思い出すと、このままでいいのだろうかと、

拓也が歩いた廊下を見た。





拓也の待つ『小会議室』に彩希が着いたのは、5分後のことだった。

拓也は『お疲れ様』と彩希に声をかける。


「すみません、お忙しいのに」

「そんなことを言うな。話しがあったから昨日も来たんだろ。
逆に、何度も来させて悪かったな」


拓也は、そう言うと彩希を見る。


「決心……したのか」


拓也の言葉に、彩希の表情が固くなる。


「『伊丹屋』に行くことを決めた。だから昨日も来たのだろう」


彩希は『すみません』と謝りながら、深く頭を下げる。


「何を謝る必要がある。条件は向こうの方がいいことも認めているし、
何より、お父さんにつながる道が、作れる可能性が高い。そんなことがわかっているのに、
うちに残る意味がないことは、最初から言っただろう」


拓也は、彩希の判断は間違っていないし、謝罪する必要もないとそう話す。


「祖父と祖母が……」

「ん?」

「岡山から『彩』を買って戻った日、1つ祖父に食べさせたいと言いましたよね」

「あぁ……」

「あのときには、これは違うよと私に言っていたくせに、友達のところに行くからって、
嘘をついて外出許可をもらって、二人で、『和茶美』に行ったと……」


彩希は、昨日、『伊丹屋』の純から電話があり、彩希もその事実を知ったこと、

それまでは『大丈夫』だと思っていた気持ちが、一気に傾いたのだと話していく。

拓也は、目の前で下を向く彩希に、とにかく座れと言おうとしたが、

長々語らせてしまう気がして、その言葉は出すのを辞める。


「ほら見ろ。おじいさんも会いたいと思っているんだ。
お父さんにも、今は姿を出せない理由があるのかもしれない。
でも、調べることはだめなことではないだろう。江畑、お前が悩むことなどないんだ」


拓也は、『彩希の判断は間違っていない』ということを示すだけに集中する。


「イベント前で、忙しいところを申し訳ないという気持ちはわかるけれど、
お前の実力をせっかく評価してもらった。正々堂々と、『伊丹屋』に行けばいい」


拓也は立ち上がり、その場を動かない彩希に数歩近づく。


「秋のイベントが終わったら、お前は売り場に戻す予定だったし、
うちは契約社員を正社員にするシステムもなければ、可能性もない。
申し訳ないと思ってみても、お前の自己満足だ。
だからといって、お前の叶えたいことを、叶えてやれるやつは……うちにいない」


拓也は自分のことを含め、そう言い切っていく。

栗原純の力にはかなわないという言葉は、胸の奥にしまいながらも、

このチャンスを掴むべきだと、そこは強調する。


「もう一度言うぞ。誰に遠慮をする必要もない。正々堂々と、お前は運をつかめ」


拓也は、彩希が『自分のため』に動くことは間違っていないのだと何度も念を押す。


「江畑は十分『KISE』のために働いてくれた。これからは自分のために前を向けばいい」


拓也はそういうと、後のことは任せてくれたらいいからと話を終わらせようとする。

彩希は送り出そうとしてくれる拓也の言葉に『はい』と返事をした。

父の思いは気になるが、祖父母の気持ちを考えると、

やはり知らないふりをしている状態ではないという思いが、強くなっていく。


「江畑が、『伊丹屋』にきちんと契約してもらったことがわかったら、
俺がみんなに話す」

「広瀬さん……」

「8年前の俺の罪は、どんな形になっても消えるとは思っていない、でも……」


拓也は、彩希を見る。


「お前に見える景色が、そこから少しでも動いて欲しいと思っていることも事実だ。
江畑家が、昔の姿を少しでも取り戻せるのなら、そうして欲しいと、
心から願っていることは、嘘じゃないから」


拓也は、あらためて電話をしてくるようにと話す。


「色々と……お世話になりました」

「あぁ……」


拓也は、自分に向かって頭を下げた彩希を捉え続ける。

偶然売り場で出会い、その味を見抜く力に驚かされ、こうして仲間となったが、

自分の前から消えていこうとするその存在に対するさみしさは、

それだけではない重みがある気がして、届きそうな手を伸ばしたくなる。

彩希もまた、『KISE』のためという気持ちが、

いつの間にか拓也のためになっていたことに気付き、

もう二度と一緒に仕事をすることはないだろうという思いが、

涙に代わろうとしていく。


「……失礼します」


彩希は、これ以上ここにはいられないと思い、小会議室を出ようとする。


「江畑……」


拓也は、思わず彩希の名前を呼んだ。

彩希は、ドアノブに手をかけた状態で振り返る。


「いいか、負けるなよ。お前なら『伊丹屋』だって輝けるから」


拓也はそういうと、身勝手に走りそうになる両手に力を入れる。


「はい」


彩希は精一杯の笑顔を作ると扉を開けようとするが、その手は滑り落ち、

足は逆方向に動く。

彩希は『もう二度と会わない』という思いで、拓也に駆け寄った。

その彩希の動きに、拓也の手も自然に動き、彩希の体を自分の方へ引き寄せる。

『好きです』の言葉もないまま、ただ離れがたい気持ちだけが二人の中にあった。



本当に言いたいことは、言葉ではない気がして、

互いに『終わりの1秒』を、見つけないようにしようと目を閉じる。

『もう少し……』という思いが、ひと呼吸分の長さを生み出していく。


「お前の願い……俺なら叶えられると、約束したのにな……」


彩希は拓也の背中にそっと手を回す。


「こんな形になってしまって、ごめん……」


彩希は無言のまま首を振ると、掴んでいた手を離す。

拓也の顔を見ないまま、小会議室を出て行ってしまう。

『第3ライン』の前を通ることが出来ず、

非常階段を選び、彩希はそのまま駆け下りていく。

走り去る足音を聞きながら、拓也は一人、その場に立ち尽くした。



35F-④




コメント、拍手、ランクポチなど、みなさんの参加をお待ちしてます。 (。-_-)ノ☆・゚::゚ヨロシク♪

コメント

非公開コメント