36F 新しい朝 ④

36F-④


しかし、彩希に近づいたのは、一人の女性社員だけになる。


「おはようございます、中村です。デスクはここですので」

「ありがとうございます」


中村の指示通り、彩希はデスクにいつものバッグを置いた。

他の社員たちがどういう姿なのか想像できなかったので、とりあえずスーツで来たが、

見渡す限り、スーツではない社員はどこにもいない。


「社員証は、受け取られましたか」

「はい。受付で」

「そうですか、それならば結構です。まずはあちらへ……」


中村は、その扉の向こうに純がいると話し、すぐに行くようにと言った。

彩希は『はい』と返事をした後、一度襟元を整える。


「また、わからないことがあったら聞いてください」


中村はそれだけを言うと、仕事のファイルを手に持ちその場を離れた。

彩希は軽く頭を下げると、言われた扉の前に立ち軽く叩く。

中から純の声がしたため、『失礼します』と言いながら中に入った。

純はとにかく座ってくださいと、ソファーを指さす。

彩希は言われたとおり、静かに腰をおろした。


「戸惑うことなく、ここまで来られましたか」


純は、受付などスムーズに入れたのかと彩希に尋ねた。

彩希は、両手を膝の上に置き、少し緊張した面持ちで、『はい』と返事をする。


「最初に2ヶ月、試用期間があります。その中で、うちの洋菓子、和菓子、
店の看板商品に対する感覚を、身につけていただきたい」


純は、全売り場に話は通してあるので、

社員証を出してもらえば、会計なしに商品が購入できることを告げ、

まずは2週間という期限を設けたと話し続ける。


「2週間、その中で今の仕事をするわけですか」

「はい。でも、何から何まで食べているのでは、とても時間もかかりますし大変です。
『KISE』と同じ店舗は、とりあえず後回しにしていただいて、
まずは看板商品を味わってください。それから……」

「あの」

「……何か」


今までのように、どこか親しげな雰囲気を見せてくれた純ではなく、

機械的な対応をする姿に、彩希は思わず声を出した。

『伊丹屋』で仕事をしないと言っているわけではないが、自分がなぜここに来たのか、

一番の理由に気づいていると思っていたのに、触れないじれったさに、

気持ちが前に向かってしまう。


「栗原さん」

「はい」

「『山田数行』という人の名前を、私の祖母も聞いていたようです。
父がその人と会うためにメモを書いていたこともわかりました……それで……」

「江畑さん」

「はい……」

「ここは食事の場所ではありません。仕事の時は、仕事に集中しましょう」

「エ……」

「今、入ってきてお気づきでしょうか、
このエリアだけでも、20名以上の社員が働いています。
あなたが『伊丹屋』の一つのパーツになること、それをわかってもらうことが先決です。
組織というものは、私の感情だけで動かせるものではありませんから」


『まずは仕事だけを』と言われた気がして、彩希は言葉が出なくなる。


「すみません……私」

「なぜ僕が、あなたをここへとお願いしたのか、
それを他の社員にも理解させなければなりません。あなたの力をまずは見せましょう」


純はすぐに行動を開始して欲しいと、彩希に向かってそう言った。

彩希は下を向いたまま小さな声で『はい』と返事をする。

純はそれからすぐに会議があると建物を離れてしまい、

彩希は言われたメモを握りしめ、まずはどこから取りかかるべきかと考えた。





岡山、『和茶美』

定休日の今日も、聖の最後の訓練が続く。

『彩』だけではなく、その他のお菓子も、手際よく整えた。


「どうでしょう」

「うん……」


聖は『よかった』と言いながら、作業帽を取る。

晶は出来上がった袋を横に置き、安心したのか少しだけ微笑んでいるように見える。


「江畑さん……」

「おいおい、山田さんだろ」

「僕たちだけですし、もういいじゃないですか。
『山田数行』さんが亡くなったことも、実際、祖父はもう気づいていますし」


聖の言葉に、晶は無言になる。


「ここまで来ることが出来たことに、僕の中で、有り難さと申し訳なさが、
ずっと交差しています。年末に、祖父の前でこの『彩』をはじめとした和菓子を作り、
認めてもらえたとして、それを自分の手柄のようすにするのかと思うと、
間違っているという気持ちが抜けなくて……」


聖は、『3年ですよ』とつぶやいていく。


「まぁ、そうだな」


晶は、最初に家を出た日、

ここまで長くなるとは考えていなかったことを思い出す。


「聖……」

「はい」

「俺が職人として過ごした日々の中で、『憧れ』を持った人間は2人いる」


晶は左の指を2本立てる。


「憧れですか」

「うん。東京にいた頃、家族で『福々』という小さな和菓子屋を経営していた。
父親は元々、和菓子の店で修行をし、それから一人前の職人になってもその店に勤めた。
俺が中学になる頃、自分で店をやるようになって……
気づくと当たり前のように、自分の生活の中に、餅や餡があった」


晶は、一度もあとを継いでくれと言われたことはないけれどと笑う。


「それでも餅米をふかす時の音を聞くのも、香りを知るのも好きだったから、
学校を卒業して、当たり前のように店へ入った。
自分では、常に研究して味を作っている気がしていたのに、
父親にはいつも首を横に振られて。実際、店の看板商品の一つ、
『どら焼き』を1から作ることを、許してもらったことがなくてな」

「江畑さんがですか」

「あぁ……小さな和菓子屋のくせに、親父はとにかく味にうるさくて。
正確に分量をはかるというより、感のようなものを大事にする人だった」


晶は山田もそんな男だったと言いながら、聖を見た。

晶は小さな作業椅子を見つけ、そこに腰掛ける。


「『雫庵』に初めて来たのは、もう10年以上前のことだ。
京都に『岩原太一郎』という人がいて、そのカリスマのような存在感を知り、
どうしても味を知りたくて、娘と一緒に」

「娘さんと……」

「うん……自分は和菓子の道を志していると何度も手紙を書いたし、
もっと進歩をしたいという思いも、何度も伝えた。
太一郎さんは、その後、再び訪れた俺を、特別に工場へ入れてくれた。
そこで手を動かしていたのが山田さんだった」


晶の目の前で作業をしている山田の集中力は、見ているだけで震えが来たと説明する。


「俺はその仕事を見ながら、どういうことなのか、なぜなのかと、
メモを持って必死に聞くのに、山田さんは首を傾げるだけで、何も教えてくれなくて」


太一郎は『山田は体全体が職人なんだ』と笑っていたと言う。


「体が職人?」


聖は踏み台にしているプラスチックケースの上に、腰を下ろす。


「そう……理論ではなく、感覚とか、本能とか、
そういうものがある人だと言うことだろう。その話に親父の姿を重ねてしまってね。
この人にはきっと、一生かなわないのだろうなと思う気持ちと、どこか憧れがあって、
それからは長い間、山田さんと手紙をやりとりしていた。とはいっても、あの山田さんだ、
気が向いたときにしか返事をくれなかったけれど」


晶は10年近い付き合いなのに、返事は一桁だと笑う。


「ただ、山田さんは一つだけズレを修正できなかった。
元々、肺に持病があって、無理をしてはいけない体なのに、とにかく酒がやめられない。
タイミングと気持ちさえあれば、独立して店を持つくらい実力があっただろうに、
そんな夢は全く持たずに、腕で稼いだお金はとにかく飲んでしまって……。
でも、作業服を着て、『和菓子』に取り組むと、とにかく誰も並べないくらい、
才能を出す人だった」


晶は、ちょうど店を移転して潰れてしまったあと、京都から山田が現れ、

『助けてくれないか』と提案したことを聖に話す。


「『雫庵』のオーナーが、跡取りになる息子に実力をつけたがっていると、
そう言われて。初めて聖のことを聞いた。現社長の学さんは、
息子である聖に店を譲りたいけれど、職人としてはまだまだ実力が不足だと」


聖の父親、社長の学は、その頃すでに病に冒され、

『味覚』という職人にとって一番大事な部分を無くしていた。

しかし、『雫庵』を取り仕切るのは、昔から『岩原家』の人間と決まっていたため、

自分の舌代わりを、独立の予定もない山田と年配の職人佐野が、

実際には影で引き受けていた。



カリスマの二代目、学が全ての味を確認しているというように、世間からは見せ続け……



「祖父がそういうやり方を築いてしまったために、やらざるを得なかったと、
父はよく嘆いていました」

「うん……そうだった」


晶は山田のつぶやきを思い出しながら、何度か頷いた。





【 ご当地スイーツ紹介 】

各話のタイトルに使用している写真は、各都道府県の有名なお菓子です。
みなさん、味わってみたこと、ありますか?


【36】徳島   なると金時  (特産「鳴門金時」を使用した、黒糖風味の芋あんまんじゅう)



37F-①




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