37F 壊れそうなガラスの心 ①

37 壊れそうなガラスの心

37F-①


学の父、『雫庵』の会長という地位に名を残していた太一郎は、

息子の病には気づかないままだったが、聖の職人としての成長が遅いことと、

元々、後妻となった菅山の姉が気に入らず、跡取りについて心配し、

色々と意見をし始める。

前妻が連れていった娘の詩を、昔からかわいがっていたこともあり、

こうなったら、腕のある職人を婿に取らせたらどうかと考え始めた。


「姉が好きだということもありますが、元々、祖父は叔父が嫌いなんですよ。
『雫庵』で修行していた頃から、どちらかというと、経営の方に興味があったし、
叔父の縁で母は父と出会い、後妻になりましたから」


叔父である菅山は、いい意味でも悪い意味でも頭がいい人だからと聖は言い、

母は父を奪い取ったようなものなのでと、下を向く。


「聖がそんなことを思う必要はないだろう」


晶は肩を落とす聖に触れる。


「すみません……。子供の頃、『聖は自由になりたくないか』って、
祖父に言われたこともあるんです。今思うと、
あとを継ぐなと言いたかったのかもしれませんが……」


会長である太一郎の心変わり。

それに危機感を募らせたのは、聖を産んだ学の後妻を姉に持つ菅山だった。

数年間『雫庵』で職人修行をしたものの、太一郎の読み通り、

自分は作るよりも動かす方がいいと、『分家』とも言えるような店、

『和茶美』を『岡山』にオープンさせた。

素人に近い菅山が、うまく経営を続け、新しい形の『和菓子店』を作れたのは、

やはり『雫庵』の社長、義理の兄になる学の力が大きい。

前妻の娘が力を持ち、学から聖へと続くラインが途切れてしまうのは、

金銭面のバックアップを考えると何よりも困ると思い、

生活に問題があっても、腕だけはある山田に『お金』を渡し、

『3年』で聖を一人前にしろとそう迫った。

それが晶への『助けてくれないか』につながっていく。


「世話になった会長の考えと、現社長の考えがズレてきたことで、
山田さんはますますバランスを崩してしまった。元々、腕はあるけれど、
気持ちはそれほど強くない人だから、自分が聖の教育係を引き受けたけれど、
それでいいのかと、不安になったって言われてね」


山田は、東京で和菓子職人から離れてしまった晶に、

『自分の博多に残した母の具合が少し悪いから、一度田舎に戻ってくる』

と、そう話をした。


「店も潰れてしまったし、もう和菓子作りはいいと思っていたのに、
山田さんに、自分と一緒に、基礎部分だけを聖に教えて欲しいと頼まれた時、
俺は、この話を引き受けたら、『この人の技をもう一度この目で見ることが出来る』って、
そう考えたんだ。現状も、何もかも頭から吹き飛んでしまって……」


晶は、自分の気持ちだけで、数日だろうという思いだけで、

『岡山』に向かってしまったと、3年前のことを振り返る。


「聖に教えるのは数日だと言われていたのに、
出かけた山田さんがなかなか戻ってこなかった。社長のこともあるから、
世の中には知られないようにする修行ということで、外とは連絡は取れなかったし、
急な展開に、自分自身が怖くなってきて、とにかく山田さんの携帯を鳴らして。
でも、3日目から呼び出しもされなくて」


『和茶美』の菅山も、慌てて山田の状況を調べ始めた。

すると、山田の話に出てきた、親の見舞いというのはまるっきりの嘘で、

実はホステスと駆け落ちしていたことを、そのあと晶も知ることになる。


「本当にそうだったのですか」

「あぁ……菅山さんが現地にまで行ったから間違いない。山田さんは、
ホステスと逃避行をしている途中で発作を起こし、入院することになったけれど、
結局、1ヶ月足らずで亡くなった」


山田は、聖を一人前にするという仕事の条件を受け、

給料とは別に200万円のお金を受け取っていた。

そのお金は、一緒に逃げたはずのホステスが、持っていったのではないかと晶は語る。


「警察の人からさ、山田さんが、安らかな顔をして亡くなっていましたよと聞いて、
数日で戻ると言ったのにと、もちろんだまされた腹立たしさはあったけれど、
途中からおかしくなってな」

「おかしかったんですか」

「あぁ……この人は、これだけの腕があるのに、俺が憧れるほどの腕があるのに、
人生、こんなふうになるのかって。そんなことなら、
俺にその腕だけでも、残してくれたらよかったのにって……」


努力をして、必死に実力をつける人間と、感覚を身につけ、

さらりと上へ行く人間と、職人にも色々あると晶は笑う。


「山田さんが受け取ったお金の始末と、
父と祖父が『雫庵』の体裁にこだわって、揉め始めたことのツケを、
江畑さんが背負ったと言うことですよね」


聖は、ほんの少しの旅が、こんな時間になってしまったと、下を向く。


「確かにな……ふらっと出て、帰るつもりだった。
自分が店を潰しておいて、和菓子に未練があるのかと思われたくなくて、
家族にも言わないままだったし。でも、だんだん……」


晶は、山田が亡くなったあとのことを思い出す。

『東京』に戻りたいと菅山に言ったものの、聖を指導する山田が消えてしまったら、

この先が続かないと言われ、誰か代わりが見つかるまでは、

残って仕事をして欲しいと提案された。

聖を指導したのは晶と、もう一人、『雫庵』で学の片腕と言われた、

年配の佐野という男性になる。



『あなたが身代わりを引き受けたからだ』

『私は身代わりを引き受けたわけではないです。ただ……』

『山田がどういう人間か、全く知らなかったわけではないだろう』

『山田が、あなたなら数日でも任せられると、そう言ったんだ』



晶は、『東京』へという主張をしたが、

どうしても今の状態を崩せないと言う菅山と、何度も言い合ったことを思い出す。


「家族のことも気にはなっていた。でも『和茶美』の工場の中に入って、
あの音と、匂いと、感覚に触れて、もうシャッターを閉じたはずの自分の心が、
まだ作りたい、まだ感じたいと叫んでいることに気づいてしまった。
口では『東京』と言いながらも、ここで、聖と一緒に色々と追求して、
もう一度何かをつかみたいと思って……」

「江畑さん……」

「感覚ではなくて、一つ一つを手探りで覚えていくお前を見ていたらさ、
親父や山田さんを見て、憧れて、どうにかしようとしていた自分を見ているようで、
気持ちが離れられなくなって……」



『会わせてください』



晶の耳に、ここまでやってきた新之助とカツノの声が戻ってくる。

『彩』と作品名をつけたのも、自分の和菓子をいつも楽しみにしてくれていた娘、

彩希を思ってのことになる。

そして、自分がいなくなったことで、一番自分を責めたはずの佐保のことも。


「でも、そのために俺は……大切な人たちを傷つけてしまった。
父親として、息子として、男として……大切な家族に対して、
許してもらえるはずもない時間を、積み上げてしまった。
3年だ……今更元には戻れない」


晶はそこまで言うと、下を向く。


「江畑さん、それは、父が言ったからですよね。
祖父や姉に、山田さんがここから逃げて亡くなったことを知られたら困るから、
だから、身代わりになっていろと言われて……」


聖は、立ち上がり、晶が悪いのではないと訴える。


「叔父が言っていました。指導をしてくれないのなら、
山田が持って行ったお金を返して欲しいと。計画通りではないことに、
みんながイライラして。江畑さんに罪はないのに、山田さん、江畑さんだけにだけ、
『田舎に帰る』と宣言して出て行ったから」


聖は、犠牲者は江畑さんですと下を向く。


「まぁ、そういうことが全くなかったとは言わないけれど、
それでも帰ろうと思えば帰れたはずなんだ。連絡だって取れた。
いくら秘密だ、隔離だと言っても、鉄格子があるわけではない」


晶は、これはあくまでも自分の責任だと、3年間を振り返る。


「山田さんが東京に来たときに、聖を一人前にすることは自分の最後の仕事だと、
そう言っていて……」


晶は、色々なものが積み重なって、3年が経ってしまったと振り返る。


「これは……江畑さんのものです」


晶は『彩』をじっと見る。


「これは、江畑さんが作り上げたものです。江畑さんは山田さんの代わりを、
もう十分してくれました。僕から叔父に話をします。『東京』に戻って……」


聖はそういうと、晶に向かって深々と頭を下げる。


「このまま、江畑さんが僕の犠牲になってしまったら、
この3年間が、僕を育てるためだけのものになってしまったら、
僕は、申し訳なくて、『雫庵』で前を向き仕事が出来ません」


聖の訴えを聞きながら、晶は帽子を握りしめる。


「どんな形になるのかはわからないけれど、もう一度、和菓子を作ってください。
僕は、どんな力にもなります。何度も頭を下げて、ご家族に謝りますから」

「聖……」

「謝りますから」


聖はそういうと、『和茶美』の看板商品となった『彩』を両手でつかみ、

お願いしますと頭を下げた。



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