37F 壊れそうなガラスの心 ②

37F-②


彩希が『伊丹屋』に入社をした日。

その日の昼休み、『KISE』では食料品売り場のチーフから

『第3ライン』のメンバーに対して、大きなビニール袋が届けられた。

当然、受け取ったのはエリカになる。

お客様が購入し、好きなようにお菓子を詰めて持ち帰れる袋は、

導入以来とても好評になっていて、その中でも一番大きな袋は、

彩希のメモを見たまつばによって、メンバーの前で開かれる。


「うわぁ……」


その中に入っていたのは、『KISE』の1階で、

毎日お菓子売り場を盛り上げてくれている、

全ての店の商品の中から、彩希が色々選んだ状態で入っていた。



『イベント、期待しています。楽しい経験をさせていただき、ありがとうございました』



彩希の手書きのメモを、まつばがつかむ。


「江畑さんが、この商品を詰めてみなさんにと、チーフにお願いしたそうよ」

「ここには……バタちゃんが大好きだった『KISE』が詰まっているんですね」


メモを見ていたまつばの声が、最後、少しだけ涙に混じる。


「『竹ノ堂』もあるし、『candy』もある。『かもと』の煎餅とか……」

「『リリアーナ』と『チルル』も、袋の中では喧嘩しませんね」


お菓子を見た寛太が、そうつぶやく。


「うまいな……お前」


武は『リリアーナ』のお菓子をつかむと、まつばの前にある空いている席を見る。

拓也は、この袋が『KISE』を愛し、

頑張って仕事をしていた彩希自身であるような気がしてしまう。

エリカはまつばが下においたメモを、拓也に渡す。


「私は……やっぱり間違っていると思う」


エリカはそういうと、『第3ライン』を出ていってしまう。

拓也は、メモを受け取ると、江畑の気持ちだから、みんなで食べようと声をかけた。





『伊丹屋』に入社した彩希は、わからないことだらけでありながらも、

大きな失敗もなく1週間を過ごした。

毎日、純から言われた通り、売り場に行き商品を購入し、

商品の味を確認し、それをメモに書き出すことを続けていた。

与えられた場所に座り、仕事さえこなしてくれたら、

自由に動いていいと言われていたものの、そばに座っているのは女性が2人だけで、

他の人が何をしているのかも、よくわからない。


「あの……」

「はい」

「何か、他にやることはありませんか。ここにずっと座っているのも、なんだか……」


話をしていた女性2人は、『どうします』というような視線を、互いに合わせる。


「部長に言われたことは、終わりましたか」

「……部長? あぁ、栗原……」

「栗原部長です」


女性社員は、明らかに上から言葉を送りだし、彩希のコメントを遮った。





彩希は、『KISE』の第3ラインに入ったときも、

最初は、混乱していたまつばがこんな調子だったことを思いだし、

あまり出過ぎないようにしようと考える。


「すみません……」

「いえ」


女性社員は席を立つと、どこかに内線電話をかけ始めた。

彩希は少し体を動かそうと思い、部屋を出ると、行く当ても決めずに歩き出す。



『江畑……』



聞こえるはずのない拓也の声が、彩希の耳に届く。

喫煙所に行けば、タバコを持つ拓也がいるような気がして、

彩希の足は自然とそちらに向かった。


「あのさぁ、なんだっけあの人……ほら、『KISE』にいたとかいう……」

「江畑さん?」

「そうそう……」


伊丹屋の喫煙所は、曲がり角の向こう側にあったため、

話し声が少し漏れてきた。彩希は自分のことだと思い、顔を出す前で立ち止まる。


「味覚が人より優れているとか、入社の理由がそんな話らしいけれど、いいわよね、
お菓子を食べてふらふらしていたら、お金がもらえるなんて……」

「何、それ」

「何それって、栗原部長の推しで、そういう人が入ってきたのよ……」


彩希は、伊丹屋に暖かく出迎えてもらえるとは思っていなかったので、

今は仕方が無いと思い、席に戻ろうとする。


「本当は、あの子の実力なんてどうだっていいらしいわよ。
栗原さんのそばにいる江上さんが言っていたもの。あの子がいなくなれば、
『KISE』の力がそがれるって」

「そがれる?」

「そう……あの子がずいぶんイベントに関わっていたとか」

「エ……今度の『キセテツ味の旅』ってやつ?」

「そうみたい」


販売員が関わるって、どういうことよと女子社員は二人、ケラケラと笑い出す。


「まぁ、『KISE』だもの、そんなレベルなのでしょう。
とにかくうちがプラスというより、相手をマイナスにしただけよ。
女子社員のひとりくらい遊ばせておいても、どうってことない。
栗原さんは、そう考えているって……」



『『KISE』の力がそがれるって……』



「うちはさ、世界的なメーカーとも堂々と渡り合える企業なんだもの。
ド素人の舌なんて、本来、どうだっていいのよ。価値はお客様が、
作り上げてくれているしね……」


彩希はそのまま振り返ると、自分の席に向かうことなく、また売り場へ向かった。

頭も体も動かしていないと、余計なことばかり考える気がしてしまう。

何を言われても、しばらくは我慢するしかないと、階段を降りながら考える。

扉を開けると、重苦しい空気とは別世界が、目の前に広がった。


『KISE』と同じように、『伊丹屋』も、午後になるとお菓子売り場に客の数が増す。

『リリアーナ』、『千波庵』など、今まで『KISE』にいたときに、

味わったことがある店は、もちろん『伊丹屋』にも存在した。

しかし、『yuno』のように『伊丹屋』だけという店も数店あるため、

1週間では、まだ何もわからないと言った方が気持ちに近い。



『バタちゃん、ねぇ、あちらのお客様なの……』

『あら、そんな商品がうちにありましたか?』



どこか仕事に集中し切れていないように見えていた竹下や高橋の声が、

彩希の脳裏に浮かんでくる。『伊丹屋』にももちろん、店舗スタッフがいて、

声をかけるとすぐにお店の案内をしてくれるものの、

『ちょっとした無駄話』は、売り場に落ちていないように思えた。

『マニュアル化』された統一した空気が、慣れない彩希には、

どこか冷たいものに感じ、つい、立ち止まってしまう。


「すみません、伺ってもよろしいですか」

「あ……」


彩希がお店の前で立っていたので、品のありそうな年配客が声をかけてきた。

自分はわからないのでと言おうとしたが、接客をしていた過去の時間が顔を出し、

つい、どうしましたかと聞き返してしまう。


「『満月』のエビせんべいを配送していただきたくて……」


彩希は売り場の上にある表示を見ながら、お客様を『満月』へと案内する。



『真ん中を空けて、動きやすくするのは……』



まつばのアイデアで、『KISE』では、この春、売り場の改変が行われた。

お客様が自由に動けて、お気に入りを探し出せるような開放感。


「こちらだと……」

「あぁ、ありがとう」


何気なく売り場表示の掲示を見ると、当たり前だけれど、ここは『KISE』ではなかった。

整然とした、無機質にも見える状態が、妙にさみしく思えてしまう。

彩希は、ここでも気持ちが落ち着くことにはならないと思い、

とにかく自分の席に戻ろうと、売り場を出た。



37F-③




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