37F 壊れそうなガラスの心 ③

37F-③


その日の夜、彩希が家に戻ると、机の上に小包が置いてあった。

送り主を見ると、『河西冬馬』と書かれてある。

彩希は冬馬から何かをもらう理由などなかったはずだと思いながら、

包み紙を丁寧に外していく。

細長い箱に入っていたのは、腕時計だった。

国内でも有名なメーカーのもので、細かい細工もされている。

彩希はカレンダーを見たあと、自分の誕生日でもないのにどういうことかと思い、

冬馬の番号を呼び出し、携帯を鳴らす。

しばらく呼び出し音が鳴り、『はい』と声が聞こえてきた。


「冬馬……私」

『おぉ、彩希。元気か』


冬馬は今、仕事の打ち合わせ場所にいると、明るい口調で話し出した。

少しお酒が入っているようなトーンに、彩希は軽く息を吐く。


「冬馬、私宛に、腕時計が送られてきたけれど……」

『届いたのか。うん……受け取ってくれ』


冬馬は、先日、仕事の中でメーカーの人と会ったので、彩希に買ったのだと、

さらりと説明した。彩希は、もらう理由がないから困ると言い返す。


『理由ってなんだよ、あげるって言っているんだし、使えばいいだろう。
困る必要もないしさ』

「そういうわけにはいかないよ」


彩希は、こういうことをされると困るからと話し続ける。


『そんなに突き放すような言い方をするなよ。
今までさ、お前に迷惑をかけてきたから、俺が出来るようになったら、
やってやりたいんだよ。なんだよ、これくらいで、今の俺にはさ……』

「冬馬……」


彩希は、先日の食事といい、近頃の冬馬の気持ちの変化にはついていけなかった。

失敗しているより成功している方がいいのは間違いないが、

しっかりと足がついていない状態で、ふわふわ浮いている気がして怖くなる。


「ねぇ、冬馬……気持ちだけでいいよ。これ、返すから」


彩希は、何も商品には触れていないので、すぐに返品した方がいいと言いはじめる。


「冬馬、お金が入るようになったのなら、とにかく今は貯めて……」

『あ~っ! うるさい、説教なら聞かないぞ。ほら、仕事、仕事。じゃぁな』


冬馬は彩希が何を言い出すのかわかり、電話を切ってしまう。

彩希は、ツーツーと鳴る電話をしばらく見たあと、バッグを開けた。

以前、もらった名刺を探し出す。



『SHIMA 営業部 河西冬馬』



冬馬の名刺には、会社の住所が記されていた。

彩希は、仕事の帰りにでも寄って返そうと考える。

汚さないように時計を箱に戻し、できる限り包装紙も元に戻した。





彩希が『伊丹屋』に入ってから10日が経過し、

秋のイベントとして先陣を切った『伊丹屋』の催事がスタートした。



『新しき時代を迎える秋』



純がメインに動いたこの催し物の目玉の一つが、

本来、店に行かないと買うことが出来ない『和茶美』の和菓子が、

一同に揃うということだった。

ネットなどで話題になっていたため、開店前から人が並び、

当たり前のようにテレビや新聞の取材も入り始める。

この日ばかりは彩希も、席に座っている気にならず、

『和茶美』のスタッフとして、職人たちが来ていないかと店舗に顔を出すが、

オーナーの菅山と、企画に動いた純が取材を受けているだけで、

後は『伊丹屋』の販売員が店の中を動いていた。

職人らしき人物が店内にいる様子もないし、取材を受けている様子もない。

手を伸ばせば届くような距離にある店なのに、

そこには見えない壁が高く、彩希の前にそびえ立っているように思えてくる。

一日でも早く父のことを知りたいと思い、

非礼なのは覚悟の上、『KISE』を飛び出してきた。

確かに、組織は簡単に動くものではないし、純の言うとおりやるべきことをやらないと、

身勝手に行動できないことも頭では理解している。

それでも、彩希の思いは、前へ前へと進み、

イベント開始がカウントダウンされたこの数日間は、

味覚の仕事も、どこか手につかないくらい動揺していた。


『舌触り、風味』


以前なら、細かく味を捉え、特徴を考えていた彩希の手帳は、

疑問符がたくさん並ぶような、まとまりのないものになってしまう。

菅山と純が話をしながら店の前を離れた隙に、彩希は自分の財布を取り出し、

ケースに入っている商品を、色々購入した。





「ただいま……」

「あ、お帰りなさい、どうでしたか?」


『KISE』のイベント開始が4日後に迫り、先に始まった『伊丹屋』とは、

10日間重なることが決まっている。

武は寛太を連れて、まずは敵情視察だと、『伊丹屋』に顔を出した。

留守番をしていたまつばは、どれくらいの状況だったのかとすぐに聞いた。


「さすがに大盛況でした」

「大盛況……」

「うん……」


武は、席に座っている拓也と益子を見る。


「栗原が自信満々で送り出した『和茶美』は、まぁ、行列でした。
お菓子の色使い、包装に使われる和紙も、今回、着物デザイナーとして有名な、
『菊島条』がデザインしたそうです。とにかく一番目立つ場所に、
ブースがありましたしね」


武から『和茶美』と『栗原』の名前を聞き、

拓也は江畑家の事情は、少し動いたのだろうかと考える。


「いやぁそれより……驚きましたよ、
『リリアーナ』が、新しい商品を出してましたから」


武は、今まで長い間、最優先にいつも契約してきたのにと、

『リリアーナ』に対する愚痴を言う。


「それに比べて、うちに出す商品のラインナップ、見ましたか? いつもと同じですよ。
『チルル』も、他の店も、秋だからと新商品を出してくれたり、工夫しているのに、
あの面積を取っている店が、何も変化を見せないだなんて……」


武は、ここまで頑張ってきた企画に、ケチがつく気がするとため息をつく。


「大山、これからだと意気込んでいる時に、そう愚痴ばかりをこぼすな」

「すみません」


益子は、責任を感じているように見える拓也の肩を叩くと、

メンバーの顔を一人ずつ確認する。


「『リリアーナ』がうちよりも『伊丹屋』だと言うのなら、上等じゃないか。
ここまで組み立ててきた『キセテツ味の旅』が、どれだけになるのか、
私は逆に楽しみになってきたぞ」


益子は、有名店だ、限定だなんて言葉にだまされない客たちが、

きちんと評価してくれるから、企画に自信を持つようにと念押しする。


「4日後、お客様の満足した顔を見られるように、最後の踏ん張りを見せてくれ」


益子の言葉に、一番最初に反応した寛太は、『頑張ります』と左手を高く上げた。





『伊丹屋』の催し物が動き出した日、彩希は仕事を終えると、冬馬の会社に向かった。

『SHIMA』というのは、以前、『三成不動産』で拓也とも仕事をしたことがある人が、

興した会社だと聞いている。

書かれた住所の場所に着くと、それほど大きな建物ではなかったが、

大きなガラス窓には、しっかりと『SHIMA』のロゴがあった。


「すみません、河西冬馬さんは……」


彩希の声に、接客用のテーブルとパーテーションを挟んだ場所にいた社員が立ち上がる。


「河西ですか、まだ、現場ですが……。あと30分もすれば戻ると思いますよ、
お待ちになりますか」


営業マンは、だいたい外回りが多いのだと、残っていた男性に説明をされ、

彩希は出直すべきかどうか迷ったが、30分くらいだと言われ待つことにする。

ガラス窓の横にあるテーブルに座り、アイスコーヒーを出してもらうと、

返さなければならない箱を前に置き、外を見たりしながら時間を潰す。

ここに着いた時にはまだ、夕暮れが少し残っていた気がしたが、

あっという間に外は暗くなり始め、30分という時間が、1時間近くになる頃、

静かだった場所は急に変化した。


「キャー!」


視線を窓から外していた彩希の耳に届いたのは、

何かで窓ガラスが割れた音だった。



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