39F イベント『あき』の陣(後編) ③

39F-③


「いつも『書道の会』では、稽古のあとにお茶会をするんだよ。
そこにお菓子を持ち寄って、それぞれが話を一つするのが基本で、
あの男……大林君の話は、まぁ、とにかく『広瀬拓也』……つまり君のことばかりだ」


奥嶋の言葉に、妻はその通りだと笑顔になる。


「自分がこの『KISE』に入り、一番影響を受けている人で、とにかくその頑固なところ、
そして、会社員という立場にありながら、上司でも、間違っていると思えば、
後先考えずに立ち向かう姿勢。しかし、それが何よりもお客様のことを考えていて、
妥協しない強さがあると……なぁ」

「はい……実はね、主人は、
このイベントで広瀬さんにお会いできるのを、楽しみにしてきたのです」


奥嶋の妻は、もちろんお菓子も楽しみでしたよと言う。


「その広瀬さんの行動全てが、『KISE』を選んでくれたお客様に対して出てくるものだと、
そう大林君が言っていた」


奥嶋は、今も仕事には関係がないのに、仲間のためなのだろうと口にする。

拓也は黙ったまま言葉が出ない。


「よし、わかった。『江畑晶』だな。すぐに確認を取ろう。
それでもし、君の望むような答えなら……」


拓也は、スーツのポケットから名刺を取り出すと、奥嶋に渡す。


「ご連絡をいただけますか」

「うん……」


奥嶋は名刺を受け取り、何度も頷くと、拓也に対して指を1本出してみせた。


「一つだけ頼みがある」

「はい」

「今、話に出ていた『特別な舌を持つ女性』。その人にぜひ、会いたいものだね。
家内にも、楽しい買い物だったと聞かされていて、
じつは今日、その人にも会えるかと思っていたんだよ」


奥嶋はそういうと、約束だぞと拓也の肩を叩く。

拓也は『よろしくお願いします』と頭を下げ、奥嶋夫妻を見送った。





拓也は地下通路を走り、本社3階にいるはずの芳樹のところに向かった。

寝具担当の場所では、小川が拓也の姿に気づき、

芳樹の言うとおり、八つ当たりにでも来たのかと新聞で顔を隠す。

芳樹を止めることなく行かせたはずなのにと、

小川は新聞の隙間から少しだけ拓也を見た。


「大林!」

「はい」


拓也の声に芳樹が反応したことで、小川は自分ではなかったことがわかり、

とりあえずほっと息を吐く。


「どうしました」


芳樹を見つけた拓也は、普段ならあり得ないような表情でまっすぐに向かってきた。

その手はそのまま芳樹へ伸び、体ごと抱きしめられる。


「うわ……広瀬さん」

「大林……ありがとう、本当にお前に感謝だ」


小川をはじめとした寝具担当の社員たちは、予想外の展開に、

一体、何が起きたのかと、不思議そうに芳樹を抱きしめる拓也を見る。

芳樹は、周りの視線を感じながら、両手をどこに置いたらいいのかわからず、

まっすぐに下へ向けた。


「広瀬さん……」

「お前の書道の会のこと、そうだ、内心、バカにしていたところがある。
5人だ、7人だってな。でも、全面撤回だ」


拓也の腕の力が、言葉と比例するように強くなる。


「人数が少ないから、たいしたこともないし、ダメだ……なんてことはないな。
今まで、頭数ばかり揃えて、体裁だの順序だのと細かくて、
くだらない会議ばかりしかしない上司をたくさん見てきたから、
俺の頭が固くなっていたのかもしれない」

「いや、あの……」


芳樹は、拓也の口から出ている話に、3階のこの部屋でそれぞれ仕事をしている『上司』。

その立場になる人たちの視線が、気になり出す。


「広瀬さん、思い切り嫌みが……」

「素晴らしい出会いだった」


芳樹は、いつもと違う拓也の状態に、抱きしめられているという今の時間が、

だんだん不安になっていく。


「あの……広瀬さん」

「なんだよ」

「僕は本当にあなたが大好きで、尊敬してします。あんなふうに仕事が出来たらと、
思うことが……あの、たくさんあって……」


芳樹にとって、拓也は特別な存在だと、あらためて言葉に出していく。


「でも……」

「でも?」


芳樹の言葉が止まったため、拓也も芳樹から離れ、姿勢を元に戻す。


「でも、何だよ」

「はい……でも、そういう趣味は……」

「……ん?」

「BLと呼ばれるような趣味は……」


芳樹は、『BL』の部分だけ、少し控えめに声を出し、

あくまでも先輩後輩としてと、真面目な顔で言い始める。

芳樹の喉仏が動き、拓也はその数秒間を、あえて黙って見送っていく。


「大林」

「はい」

「当たり前だろう。こっちこそ、そんな趣味はないわ」


拓也はそういうと、あらためて芳樹と握手するために手を前に出す。


「冗談はともかく、お前のおかげで、動くかもしれない」

「『動く』? それならば奥嶋さん、何かをご存じでしたか」

「あぁ……。今の段階ではまだ知らないそうだ。
でも、こちらの話を真剣に聞いてくれて、これから調べてくれると約束をもらった」

「そうですか」


芳樹はそれならばよかったと、そこで初めてガッツポーズをする。

拓也は、少しずれた芳樹の反応に、自然と笑顔が出た。


「また、色々動いたらあらためて礼をするから」

「そんな……いいですよ」


芳樹は、後輩として先輩の役に立つのは当然だと、『優等生』な台詞を送り出す。


「……あ、そう」


拓也から『そんなことはない』と戻ってくるはずの言葉は、

キャッチボールにならないようで、目の前でバウンドだけしてしまう。


「あ、あれ?」

「そうか、お前は偉いな。よし、それならばブレンド、
一番大きなサイズを、おごってやるからな」


拓也は、あらためて『キセテツ味の旅』へ行ってくると、部屋を出て行ってしまう。

芳樹は『はい』と返事をしながら、拓也を見送っていく。



『大林……』



拓也があれだけ喜ぶ姿を見たのは、初めてだった気がして、

芳樹は、その場で自分の手を交差する。

少し前、勢いで拓也に抱きしめられた時のように、両手に力を入れてみる。


「あは……」


『認めてもらえた』嬉しさに、芳樹がそのポーズのまま振り向くと、

明らかにおかしな人を見る視線で、寝具担当のメンバーたちが芳樹を見る。

芳樹は慌てて手を外すが、その妙な空気はしばらく変わらないままだった。





『KISE』に奥嶋が訪れ、違った方面から話が動きそうになっていた日、

何度も触れているとおり、『伊丹屋』のイベントは最終日だった。

評判通りの盛況ぶりで、新聞にも特集記事が載り、

社員たちも満足なまま、会社をあとにする。

しかし、書類の中に『江畑晶』の文字を見つけてしまった彩希は、

どうしても純と話をしようと、一人、残った。

確かに、仕事をするのは当然だし、自分勝手に動けないことくらい彩希にもわかっている。

しかし、『和茶美』にいる職人が本当に父なのなら、それを純が知っているのなら、

どうして自分に話をしてくれないのかと、不安が増していた。


それと同時に、『KISE』時代は、色々とチャレンジしてきた味に対して、

自分の舌の感覚が、全く機能していないことにも気づかされる。


「はぁ……」


彩希は広がりを見せない今の状況に、このまま自分自身が飲み込まれるのではないかと、

必死に顔を上げ、息をしようとした。

すると、取材などを終えた純が、彩希のいる場所に戻ってきた。



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