40F そこらへんにはいない男 ①

40 そこらへんにはいない男

40F-①


『水くさい関係』


拓也の言葉に、彩希はリュックのひもを握りしめたまま、下を向く。


「なぁ、今までの俺たちは、いつも言いたいことは言って、
間違っているのなら互いに遠慮無く指摘してきた。
お前は確かに、今、『KISE』ではなく『伊丹屋』に入っているけれど、
俺は……ずっと同じ気持ちでいるつもりなのにな」


拓也の後ろにいる芳樹は、その通りだと小さく頷く。


「何が大丈夫だ、そんならしくないことするなよ。
この場で下を向いて、動かなくなっているお前を見たのに、
あぁ、そうですか、明日からも頑張ってくださいねって、見送ると思っているのか」


ホームに電車が入り、その速度がだんだんと落ちていく。

扉が開くと、待っていた客たちが、どんどん乗り込んだ。

彩希は、その流れに乗ろうと1歩進んだが、足はその場で止まり、

結局、扉は閉まっていく。

発車のベルが鳴り、電車は次の駅へ向かって、ゆっくりと走り出した。

少し後ろに立っていた芳樹が、二人に近づく。


「広瀬さん……」

「ん?」

「僕のブレンド、江畑さんに譲りますから」


芳樹はそういうと、指を下に向ける。


「こんなふうにバタバタしている場所では、話しづらいですよ。下で……」


芳樹は、下のコーヒーショプで話せばいいと気をつかってきた。

拓也は芳樹の肩に軽く触れる。


「大林」

「はい」

「お前の主張した権利は、ステーキなんだろ」

「エ……でも、あれ? いいんですか」

「今度な」


拓也は芳樹にそう言うと、彩希に『コーヒーを飲むぞ』と言い、

今来た階段を降りていく。

彩希は進むべきなのか迷い、一歩が出ない。


「江畑さん、ほら、行ってください」


芳樹は戸惑っている彩希に向かって、拓也について行けとアピールする。


「変な気を回さない方がいいですよ。広瀬さんに会いに来たのでしょう。
だったらついて行かないと。大丈夫ですよ。だって、あの人は、
そこら辺に転がっている男じゃないですから、ほら、早く」


拓也が佐渡に頼んだ話を知っている芳樹は、

おそらく彩希にもこれから話すだろうと思い、ついて行くようにと言葉で後押しする。

芳樹の温かい言葉と、『いつもと同じ』拓也の態度に、

遠慮がちにしまい込んだ彩希の気持ちが、浮き上がってきた。


「すみません、大林さん」

「いえいえ……」


芳樹は拓也を追いかけた彩希を見送ると、

息を大きく吸い込み、満足そうに吐き出した。





拓也と彩希は、改札を出たところにある『コーヒーショップ』で、

久しぶりに向かい合った。仕事帰りの人が道を歩く時間のため、

昼間に比べたら、店内は空いている。


「それで、本当のところはどうなんだ。どこまでわかった」


拓也は、『伊丹屋』に行ってから、どういうことがあり、

どこまで進んだのかと彩希に尋ねた。

彩希は、『KISE』と『伊丹屋』とでは雰囲気も組織のあり方も違うため、

正直、まだ仕事の内容に戸惑っていると話をする。


「まぁ、そう簡単にはいかないだろう。お前が特別な舌を持つといっても、
それは『KISE』に関わってきた時間があってこそだからさ」


拓也は、そのへんは時間が解決するだろうと言い、父、晶のことはと、さらに尋ねた。

彩希はストローで『アイスティー』を吸い上げ、少し息を吐く。


「『和茶美』は、これから全国展開を考えているようです。
その相手はおそらく『伊丹屋』で、交渉ごともあるため、
今、向こうの陣地に踏み込むようなことは、避けておきたいとそう……」

「は? なんだそれ」

「栗原さんもわかっているみたいです。おそらく、父は『和茶美』の中にいると。
でも、向こうが少し待っていて欲しいと、言ったようで。
それまでは妙な詮索はしない方がいいと判断したって」



『少し待っていて欲しい』



拓也の頭の中に、佐渡が話していた『経営報告会』のことが浮かんできた。


「何があるから、どうして待つのか、それは聞いたのか」


彩希は黙って首を振る。


「教えてくれないのか」

「とにかく待ってくれと……」


拓也は、『伊丹屋』と『和茶美』が、互いに自分たちの利益を優先し、

そう期限を切り出しているのだと思い始める。


「江畑」

「はい」

「実は今日、奥嶋恒夫さんという人が、『KISE』のイベントに来てくれたんだ」

「おくしま……つねお?」

「あぁ……。大林の書道の会に入っている人で、漆器の職人らしいけれど、
その作品は、海外からも高い評価をもらっている。
実は、『雫庵』の菓子を入れる器も、奥嶋さんの作品だと聞いた」


彩希は、『雫庵』に行った時のことを思い出す。

確かに、ケースの中で断面図を見せていた和菓子は、朱色の漆器に収まっていた。


「その人は、『雫庵』の経営報告会にも出る権利がある人で、
『和茶美』の菅山のことも知っていたし、
それに……『和茶美』で、雫庵の跡取りを育てるために、
長い間、影で頑張っている職人がいることも、知っていた」


彩希は、純から聞いている情報と拓也の話を重ねていく。

『山田数行』という人の代わりに、父がいるのではないかという思いが、

さらに大きくなる。


「名前を調べてくれると、そう約束してくれた。だから、もう少し待ってくれ。
少しというのは、いつなのかわからないような時間じゃない。
ほんの数日だ。わかったら俺が、必ずお前に連絡するから」

「広瀬さん……」

「何が伝統だ、老舗だ。それぞれが自分たちのことばかり考えている結果が、
今の状況なのだろう。すぐに教えてもらって、行動を取れないのなら、
お前を行かせる必要もなかったんだ」


拓也は、彩希が娘として父親に会いたいと思う気持ちを利用している純に対して、

強い怒りの気持ちがわき上がってくる。

同じように、企業同士の駆け引きに、職人の思いを利用している菅山や『雫庵』にも、

同じように腹が立ってきた。


「ところで、お前、正社員にはなれているんだろうな」


拓也は、彩希の話を聞きながら、『条件全て』がおかしくなっているのではないかと思い、

そう尋ねる。


「それは2ヶ月試用期間があって……」

「は? 2ヶ月? あ……いや、うん、そうか」


一瞬、すぐになれないことに腹を立てようとしたが、冷静に戻る。

一流企業としては、当然とも言える内容に、ここは怒りをぶつけるべきではないと、

いささか拓也も思い、コーヒーに口をつけた。


「あ、そうだ。『コートレット』の吉原さんが、お前に会いたがっていたぞ」


ご主人が『KISE』の花売り場に出入りしている縁で、

すでに出展が決まっているイベントに、

なんとか参加させて欲しいと頼まれた新規の店、それが『コートレット』だった。

彩希はその商品を味わい、丁寧な仕事ぶりに感動し、自ら会いに向かった。


「『コートレット』……そうだ、評判はどうでしたか」

「評判はよかった。開店した店舗でも、イベントで買いましたという客が、
相当来ているらしい」


拓也は、臨時ブースとはいえ、参加できたことが誇りだと、

しのぶが話していたことも付け加える。


「そうですか……よかったです」


彩希は、まつばや武が広げていた売り場の展開図を思い出し、

どんなふうに賑わったのかと、思いを巡らせた。



40F-②




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