40F そこらへんにはいない男 ②

40F-②


「こんなお菓子を売ってみたいとか、お客様に食べて欲しいとか、
いつもそんな言葉を思い浮かべながら、私、『KISE』の売り場にいました。
たまに出てきた街だから、少しだけ贅沢なものを買って帰ろうとか、
『これが欲しい』と心に決めて、買いに来る人たちとか……
そんな小さな思いを聞きながら、一緒に商品を探すことが、大好きで……」

「うん」


拓也は彩希の思いを邪魔しないよう、簡単な相づちを返す。


「電車に乗って家に帰って、楽しみに袋を開ける時、
疲れていたことも、大変だったことも、みんな忘れてしまうような……
お菓子は食事とは違うので、きっとそんなふうに……」


彩希は、そこまで話していたが、言葉が続かなくなる。

静かな時間が、数秒から1分の単位に動いていく。


「広瀬さん」

「うん」

「私……わからなくなりました」

「わからない?」

「はい。『伊丹屋』でも一生懸命取り組もうとしてきましたし、
実際、そうしていたつもりなのに、頭の中にお客様の絵も浮かばないし、
いくら食べても、みんな……薄っぺらい感想しか、出てこなくて」


彩希は、どうしてなのかわからないけれどと、哀しい顔になる。


「私の舌に、特別なものがあるわけではなくて。ただ……色々なものが重なって、
記憶とか、思いとか、みんなとの会話とか……そういう積み重ねがきっと、
『力』になっていたんです」


『お菓子』がわからないと嘆く彩希の姿は、

拓也にとって、予想以上に辛いものだった。

拓也にとって彩希の力は、自分にはありえないものを持った憧れに

近いものでもあっただけに、それが『壊されてしまうかもしれない』と思うと、

今更ながら決断に悔しさが上乗せされる。

エリカに、喫煙所で『これで本当にいいと思っているのか』と聞かれ、

頷いたことも思い出された。


「江畑」

「はい」

「そんなふうに思い悩むな。『伊丹屋』に移って何日だ。今はきっと、
頭の中と思いが重なっていないから、経験が伴わないから、ズレを感じているだけだ。
栗原だって、すぐに結果を出せとは言わないだろう」


拓也の言葉に、彩希は黙ったままになる。


「それでも……」


『それでも』の言葉に、彩希の視線が上がる。


「どうしても辛いのなら、いつでも戻ってこい。うちは『伊丹屋』のように、
正社員待遇ではないし、売り場に戻るだけかもしれない。でも……」


この言葉を出すべきなのか、拓也は一瞬考えたが、

今の彩希を前向きにするには、それしかないと覚悟を決める。



「俺が……お前の場所を、作ってやるから」



拓也は、以前、彩希に話をした時のように、自分なら出来ると、そう言い切った。

彩希はどう返事をしていいのか、わからずにいる。


「俺なら、出来る……」


冬馬のことを指摘され、彩希は自分の甘さも、拓也に強く責められた。

その中で、仕事を手伝って欲しいと言われ、

なぜそこまで言い切れるのかと不思議に感じながらも、

その強気な姿勢に、いつも励まされてきた。


「俺がお前の不安を、全部払ってやるから」


彩希の心は、拓也の言葉に励まされ、自然と笑みがこぼれた。

『はい』と返事をすると、残りのアイスティーを飲み始める。

拓也も、彩希の表情が少しやわらいだことがわかりほっとすると、

ブレンドを飲み干した。





『秋のイベント、それぞれの得意分野で、新しい波を生み出す』



先にイベントを終了させた純は、『KISE』の『キセテツ味の旅』を評価し、

地元や手軽さを追求した逆転の発想という記事の内容を、

通勤してからすぐに開き、読み進めた。

有名なシェフや、有名な店をそろえていく形で客を呼び込むものは多数あるが、

あえてすぐに買いに行ける店を揃え、『身近な発見』をさせたアイデアは、

これからの業界を変えていくかもしれないと、記されている。

純は新聞をデスクに置くと、両手を組み直し目を閉じた。





「いやぁ……見てくださいよ、ここ。『本当の意味で、客に寄り添う視線』だって。
気分いいですよね」

「本当に」


その頃、『キセテツ味の旅』の最終日を迎えていた『KISE』の本社、第3ラインでは、

思いがけないくらい高評価の記事が掲載され、

最終日の今日、売り上げをもう1歩伸ばすことが出来るのではと、

全体に笑顔があふれていた。

拓也の前にも『前年度より18%アップ』のデータ表が届く。


「『ひふみや』も予約が入り続けて、結局、8月まで生産するようになったと、
大谷さんが驚いていましたし、他のお店でも、軒並み好評で……」

「それはそうだろうよ、俺たちが吟味して、選んだ店だからね」

「急に強気ですね、大山さん」


寛太のからかうような言い方に、武は思わず頭を叩く。


「イタ……」

「お前、そういう態度を取るのなら、次回の企画、出せよ」


武は、絶対だぞと、寛太に迫っていく。


「辞めてくださいよ、大山さん。荒木君が熱を出しますから」


まつばはそういうと、同期の寛太をからかい、そんなやりとりを聞きながら、

エリカも思わず笑い出す。

ただ一人、数字をにらみながら、『時を待つ』拓也は、

喫煙所に向かおうかと考え、席を立った。

すると、電話が鳴り始める。


「おいおい、今日も早々と売り上げがすごいとか、報告か?」


武の言葉に、まつばは静かにしてくださいと、指を口の前に置き、

受話器を上げた。


「はい、『食料品第3ライン』長岡です」


まつばは電話の相手の話に、何度か頷き、少々お待ちくださいと保留ボタンを押す。


「広瀬さん、奥嶋さんと言う方からですが」


まつばから、電話の相手が奥嶋だと聞き、

立ち上がった拓也はすぐにデスクの上にある受話器を取った。

電話の意味を知っているエリカも、どうだろうかと拓也を見る。


「はい、広瀬です」

『おぉ、先日はどうも。奥嶋です』

「こちらこそ、色々とありがとうございました」


拓也は、奥嶋の電話がどういう内容なのかわかっているだけに、

その先を少しでも早く聞き出したくて、受話器を握る手に力が入る。


『君が話をしていた職人のことだが』

「はい……」

『『山田数行』という名前を使っているが、『江畑晶』という男性で間違いはないそうだ』


『江畑晶』という人の名前が、奥嶋の言葉に初めて本人だという重みが加わってくる。


「……本当ですか」

『おいおい、君はこちらに頼んでおいて、今度は疑う気かね』

「いえ……申し訳ありません。ただ、実は別方向から、
その話を探っているものがいるのですが、
『和茶美』側が徹底したガードをつけているようで」


拓也は、お店を家族が訪ねても、追い返されてしまった話を奥嶋に語っていく。


『家族がか……』

「はい。先日、お話しした。お菓子に対して繊細な舌を持つ女性の話で……」

『おぉ……そうだったな、職人を父に持つという……』

「彼女の祖父母も尋ねたそうですが……やはり追い返されたと」


拓也は、色々な事情がそれぞれの店にあるのだろうが、

『家族の思い』よりも優先される事柄はないのではと、奥嶋にあらためて話した。

エリカ以外のメンバーたちは、拓也の電話が、ただの仕事ではないことに気づき、

さらに『お菓子に対して繊細な舌を持つ女性』という言葉で、

彩希がからんでいるのだとわかる。


「私が、『和茶美』にその事実を確認に向かったとしたら、
奥嶋さんにご迷惑をかけることになるでしょうか」


拓也は、情報提供をした奥嶋が、『雫庵』と続けてきた良好な関係を、

壊してしまうことになるのは困ると、返事を待とうとする。


『広瀬さん』

「はい」

『大林君の話から、君がお客様に応える思いを持ち、
仕事をしている人だと言うことはよくわかったつもりだ。ただ……』


拓也は、奥嶋の返事が、平行線を進みそうな言い方になる気がして、

やはりそこまで入り込むのは難しいのかと考える。


『それならば、なぜ君がそこまでこだわるのか、
その理由をあらためて話してもらいたい』


奥嶋からの交換条件。


『申し訳ないが、今から、私の自宅に来て欲しい』


突然とも言える奥嶋の申し出に、拓也は答えをためらった。



40F-③




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