42F 終わらせたくない日 ③

42F-③


彩希は思わず立ち上がる。


「お父さん……」


菅山と一緒に現れたのは、3年前、母に少し時間が欲しいという書き置きを残し、

戻らなくなった父、晶の姿だった。

その横には、『雫庵』の跡取りとして、修行を重ねてきた聖が並ぶ。

立ち上がった彩希の後ろ姿を見ながら、拓也はゆっくりと晶を見た。

8年前、仕事のことなど何も知らないまま、数回訪れた『福々』で、

確かに見かけた顔だと思いながら、視線を向け続ける。


「彩希……」


晶は申し訳ないと頭を下げた。

ここに入るまでは、自分の方が勝手に来てしまったと、少し戸惑っていたのに、

父が見せた『和茶美』の整った制服姿に、少しずつ怒りがわき上がってくる。


「そんなふうに謝られたって、それでそうですかとは言えない!」


彩希は、母の佐保が、新之助やカツノが、

どれほど辛い思いをして3年を過ごしていたのかと、一気に思いがあふれ出た。


「お母さんも、おじいちゃんたちも、お父さんが家を出たのは、自分が悪いと思って、
みんな……口には出さないけれど、そう思って……」



『どういう話ですか』

『新しい場所が、借りられるのだと、言われましたよね』



拓也の耳に、8年前、店をたたまなければならなくなった人たちの叫びが、

よみがえってくる。江畑家ほどではないにしても、あの出来事で、

人生の計画が大きく変わってしまった人たちは、多かった。


「菅山さん、江畑さんのご家族には、あなたと父が説明すべきだと思いますよ」


彩希の隣に座る詩は、聖の顔を見たあと、『あなたも』と声を出す。


「『雫庵』という老舗を守ることが、何よりも優先でした。
たくさんの職人と、店の商品を待つ人たちと、それから……」

「菅山さん、そんな話は結構です」


晶は菅山のコメントを止めると、あらためて彩希の前に立った。

父のまっすぐな眼差しに、彩希は少し下を向く。


「彩希……」


彩希の鼓動は、父の声に一気に速まった。

何度も呼ばれた名前なのに、嬉しさよりも哀しさの方が前に出てしまう。


「お父さんがお母さんに、少し時間が欲しいと書き置きをしたのはその通りだ。
聖君の指導を引き受けていた『山田』さんに、
数日間だけ関わって欲しいと言われたことで、戸惑ったところもあるが、
それ以上に、自分の中にくすぶり続けてきた『和菓子への思い』が、
立場も状況も考えず、出てきてしまった」


晶は、自分の考えで『福々』を移動させ、あらたな場所で商売をしようとしたのに、

結局準備不足で店をたたむことになったことがショックで、

最初は別の世界で生きていくつもりだったと話し続ける。


「もう和菓子のことは忘れよう。和菓子とは違う仕事、そこから離れた時間、
自分でそう考えていたのに、山田さんからの提案に気持ちが一気に傾いて……。
『もう一度、自分でも基礎を学びたい』。そう思ってしまった。
しかし、佐保にもおじいちゃんたちにも、そんな感情があるとは、
とても言い出せなかった」


家族を支えていかなければならない自分が、

終わりにした職人という職業にまだ未練があると言えないまま、

京都に向かってしまったと当時を振り返った。


「山田さんが病気で亡くなって、
その代わりに指導者の一人として残って欲しいと言われた。でも、それは無理だと断った。
それでも、代わりの人間が見つかるまでと、菅山さんと『雫庵』の岩原社長に頼まれて、
佐保に、今こういう状況にあると説明をする手紙と契約書の写しを送った」

「契約書?」

「あぁ……お父さんが仕事をするにあたって……」


晶の言葉に、彩希はそれは知らないと首を振る。


「違う、知らない。うちに手紙なんて、来ていない」

「エ?」

「手紙が来たって、お母さんから聞いたことがないもの。
そんな手紙がお父さんから来ていたのなら、私にもおじいちゃんたちにも、
お母さんが黙っているわけないでしょう。お父さんがいなくなって数ヶ月後に、
お金が届いて。それでとりあえず無事なんだと、みんなで……」

「いや……それは……」


晶は隣に立つ菅山を見た。

菅山は、晶の視線に気づきながらも、目を合わせようとはしない。


「菅山さん、契約書類の写しを一緒に入れるからと、そう……」


晶は、家族宛に書いた手紙と一緒に、江畑家へ送る約束をしたではないかと、

菅山の腕を取る。


「いや、だから……」


菅山は、『そういうことには時期が』と言い、その後の言葉を濁し始める。


「菅山さん、それでは、家には何もということですか」


晶をはじめとした、その場にいる人の冷たい視線を受けながら、菅山は詩を見る。


「あのときは、色々と慌ただしかったんだ。『雫庵』自体も経営面に問題があったし。
そもそも、会長が聖の跡取り問題に対して、色々と文句を言いはじめたために、
私が動かなければならなくなった。こちらだって、迷惑をかけられている」


菅山は、太一郎が最初から聖を認めてくれさえいたら、

ここまで話がこじれなかったのだと、責められる立場から逃げようとした。

詩は、菅山らしいと思いながら、横にいる彩希を見る。


「本当にごめんなさい。本来なら、父も祖父もここへ呼んで、
こうなったことを謝らせないとならないのに。老舗だという立場にあぐらをかいて、
自分たちがどこか特別な人間だと勘違いしているようです」


詩の厳しい言葉に、それまで黙っていた聖が前に出る。


「僕の責任です。祖父や父の期待に応えていなかった僕の責任です。
江畑さんはその犠牲になってしまって、結局……」

「聖、それは違う」


聖の言葉を、晶が止める。


「確かに最初は帰ろうと思っていたし、自分自身が巻き込まれたと思っていた。
でも、どこからかはわからないけれど、彩希……お父さんは自分で、
今の状況を受け入れるつもりになったんだ。偉大な祖父や、自分に期待する父、
その思いになんとか応えようとしているのに、
どう気持ちを出したらいいのか迷っている聖を見ていたら、
自分とおじいちゃんの関係を、重ねてしまった」


晶は、どこからかもう、家族に許してもらえないだろうという思いが前に出て、

連絡を取ろうという勇気も持てなくなったと、彩希に頭を下げる。


「何がどうだこうだではないんだ。この3年という時間の中で、
自分なりに動くことが出来たはずだ、全てはお父さんの責任だと思っている」


晶の言葉に、聖がさらに前に出る。


「彩希さん。どうかご家族に会わせてください。僕が、謝ります。
こんなふうになってしまったことを、何度も謝りますから。
江畑さんは本当に和菓子が大好きで、本当に一生懸命に仕事をしていました。
どうか……江畑さんを許してください」


聖は彩希のそばまで来ると、お願いしますとその場で土下座をし始めた。

その姿を見た彩希は、困りますとすぐに聖を起こそうとする。


「聖さん……本当に困ります」

「聖、よせ、いいんだ」


彩希の力と晶の声だけでは、聖は立ち上がろうとしなかったため、

その後ろに立っていた拓也が少し前に出ると手を伸ばす。


「聖さん。あなたも自分が悪いと思うのなら……そう思うのなら、考えるのなら、
今すぐ実行してください」


拓也の言葉に、聖は顔を上げる。


「失敗したと思うのなら、なんとしてもと思うのなら、今すぐそれを実行しましょう。
東京には、ご家族がいらっしゃいます」


拓也の言葉に、聖は『はい』と声を出す。


「お父さん……」


彩希は、晶を見る。


「お父さんがいなくなってから、
お母さんに対してお父さんの話しをするのは悪いと思って、避けてきたところがあった。
でもね、お母さんはずっと、お父さんが、どこかで和菓子に関係する仕事をしていると、
そう思っているって」


彩希は、芯の強い母、佐保のことを考える。


「佐保が……そんなことを」

「うん……。これだけ長い間、何かをしているのだとしたら、
お父さんには和菓子しかないからって、お母さん、そう言っていた」


佐保は、毎日パートに出かけ、彩希の収入と合わせてここまで暮らしてきたと説明する。


「お父さんがお金を送ってくれたでしょう。
お父さんは、自分に納得しなかったら行動しない人だから、
絶対に和菓子の修行をしているって……。お金をどうぞと送ってくると言うことは、
自分で納得した仕事をしているはずだって。そのときは、何言っているんだろうと、
私、思っていたけれど……」


彩希は、少し前に拓也から渡されたハンカチを握りしめていたままだったので、

それを目に軽く当てる。


「『彩』を食べたとき、お父さんがここにいるんじゃないかって、
私も、そう思ったから……」


涙声に震える彩希の言葉に、拓也は『ここまで来た』と初めてそう思えた。

これから先、晶と江畑家の人たちが、どういう話し合いをするのか、

『雫庵』や『和茶美』がどういう責任の取り方をするのかは、

自分とは別の場所にある話だと考え始める。


ポケットに入れてあった携帯が揺れたため、拓也はメールが誰からなのかとみる。

相手は、益子部長からだった。



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