45F 戻るものと戻らないもの ②

45F-②


『解放されます』


その言葉は、拓也の中にも拭いきれない感情として残された。

芳樹にはまだわからないようなことを言ったが、

実際には彩希とは心が通じていると、そう信じているところもあった。

一緒に乗り越えたら、この先も作っていけるかもしれないという希望を持ち、

顔を見ながら話をするつもりもあった。

しかし、彩希はそれを望まず、『終わり』という言葉を、『解放』という、

さらに重たい台詞に置き換えてきた。

これ以上近づくことは求めていないという台詞に、拓也はただ、

自分の気持ちを整理していかなければならないと、思うことしか出来なかった。





拓也が『第3ライン』を外れる最終日。

朝からメンバーが揃い、自分の意志にそぐわないことだとわかりながらも、

片付けを手伝った。

益子は、あらためての契約を『リリアーナ』から要求されたため、席にはいない。


「広瀬さん、絶対に戻ってきてくださいよ」

「まぁ、また風が吹いたらな」

「何を言っているんですか」


武やまつばの言葉に、拓也はそう深刻になるなと励ました。

ダンボールにまとめた荷物に宛名を書くと、支店同士を定期的に動いている車に、

頼むことになる。

休憩所でタバコを吹かし始めると、

それを待っていたと思えるエリカが遅れて入ってきた。


「江畑さん、『伊丹屋』を辞めることになったわよ」


エリカの台詞に、拓也は『そうか』と話す。


「それだけ?」

「栗原から頼まれているのだろう、
あ、いや、俺も君にラインをよろしくと頼んだはずだし」

「彼女がそうしたいと願ってくるならね。今のところ、何も言われていないけれど」


エリカは彩希自身も迷っているのではないかとそう話す。


「迷い?」

「そうよ、長岡さんからも聞いたわ。江畑さん、広瀬さんの異動、
自分のせいだと思っているって」

「それに関しては、奥嶋先生のところに行った帰りにちゃんと説明した。
あいつが悩むようなことは何もない」


拓也はそういうと、タバコを吸い込み、煙をゆっくりと吐き出していく。



『解放されます』



「あいつも、わかってくれたと思うから」


拓也は、去って行く彩希の後ろ姿を思い出す。


「何よそれ、そう言われたからそうですかとはならないのよ。
女心がわからない人ね、広瀬さんも。純もおかしいけれど、あなたもおかしいわ」


エリカはそういうと、足を組み始める。


「横山、近頃どんどん大胆になるな。
ここで『伊丹屋』のホープの名前をハッキリ口にするとは」

「今更よ、恋人が『伊丹屋』のホープだろうが、
私は責められるようなことはないと、そう思っているし」


エリカはそういうと、拓也を見る。


「江畑さんに、また『KISE』で頑張れって、そう言ってあげたらいいじゃない。
広瀬拓也の思いを、彼女は叶えたくて頑張っているのだから」


エリカはそういうと、立ち上がる。

拓也は、何も言えないまま少しだけ苦笑した。


「少し旅に出るのは構わないけれど、なるべく早く戻ってきてよ。
うちのラインじゃなくても、この店に。まぁ、あなたなら……
どこにいても目立ちそうだけど」


エリカはそういうとタバコを消し、コンビニに行ってくると喫煙所を出て行った。



『広瀬拓也の思いを叶えたくて……』



異動が決まったため、特にこなさないとならないことはないまま

拓也の最終日が終了した。朝もいつもと同じように芳樹と出会いコーヒーを買い、

昼食も一人で食べようとしたら、いつの間にか目の前に、

いつも来るよく話す男が座っていた。

各店舗の、『福袋』内容を検討していた武や寛太の顔を見ていたら、

まつばが書類のミスを少し強めの口調で指摘して、

エリカが最終的にはまるく収めてくれる。

『第3ライン』に異動が決まってから、当たり前のような景色がそこにあり、

明日もまた繰り返されるだろうと思えるくらい、自然と仕事が終了した。

会議などで慌ただしかった益子が戻り、最後の最後に、みんなから花束を渡される。

『キャラにないからやめてくれ』と笑ったが、拓也はその花束を持ち、

ラインの部屋を出るために立ち上がった。



『広瀬さん……』



この隅の席に座り、また『KISE』の売り場に立ち、

頑張っていた彩希の姿だけがないまま、今日が終わっていく。

拓也はゆっくりと階段を降り、振り返ることなく駅までの道を歩いた。





そして11月の末、3年間、家を離れていた晶が、久しぶりに戻る日を迎えた。

佐保は朝から緊張しているようで、彩希が台所に立っている姿を見ると、

大きく息を吐き、なんとか落ち着こうとしているのがわかる。

『和茶美』から、来月、経営報告会に出席し、

正式に跡取りとしてお披露目される聖も、同行することがわかり、

彩希は『あゆみの丘』から外出許可をもらい、戻ってくるカツノの分も含めて、

5つの湯飲みを用意する。


「おじいちゃん、やっぱり来ないのかな」


カツノからは一人で行くからと連絡を受けたため、彩希はついつぶやいてしまう。


「彩希……そんなこと、考えなくていいの。
おじいちゃんにはおじいちゃんの気持ちがある。任せましょう」


佐保は、彩希の肩を軽く叩くと、もう一度テーブルを拭き直す。

彩希は柱にかかる時計を見ると、これから開くはずの扉を見た。


「あ、来た」


タクシーの音がしたため、彩希は外に出る。

すると1台のタクシーが家の前に到着し、中にはカツノが一人乗っていた。

彩希は、やはりおじいさんは来なかったのかと少し残念に感じたが、

母の言うとおり、気持ちを押しつけるわけにはいかないと切り替えていく。


「おばあちゃん、大丈夫?」

「大丈夫だよ、ここまで乗っているだけだもの」


カツノは支払いを済ませると、彩希と一緒に家に入った。

佐保はすぐにそばに来ると、座椅子を用意したからと部屋に案内する。


「晶は……」

「まだですよ」

「そう」


カツノはそれだけを言うと、靴を脱ぐ。

岡山から晶と聖、そして『雫庵』の社長である岩原学が到着したのは、

それから30分後のことだった。

社長の学が予想外に来たことで、彩希と佐保は慌ててしまう。

とりあえず3人を部屋に通し、それぞれが座る場所を確保した。


「『雫庵』の岩原と申します。このたびは、私たちの都合により、
江畑家のみなさんにご迷惑をおかけしたこと、この通り、謝罪させていただきます」


学は、その場で頭を下げると、隣にいた聖も合わせて頭を下げた。

晶は、二人に頭を上げてくださいと声をかける。


「社長、そんなことは辞めてください。どんな流れがあったとしても、
最終的に自分で取り組もうと決めたのは私です。東京に家族がいて、店がなくなり、
自分が新しい仕事で支えなければならなかったのに、
和菓子の世界にいることが出来るのならと……順番も、立場も、忘れてしまった結果が、
今のこの状態です」


晶はそういうと、佐保とカツノに頭を下げる。


「晶……」


カツノは何かを言おうとするものの、言葉にならず黙ってしまう。

佐保も、彩希には明るく振る舞っていたものの、

晶の声を聞き、色々な感情があふれてくるのか、何も言えなくなった。

先に岡山まで会いに行った彩希は、気持ちの余裕が持てたため、

謝罪をする3人の顔を冷静に見る。


「3年という月日の保証と、これから晶さんを含めた江畑家のみなさんががどう動くのか、
その力になれたらと、『雫庵』では考えています。『福々』を再開したいと、
そういう希望も伺っておりますので……」

「親父は……」


晶はカツノの顔を見る。

カツノは首を振った。晶は『そうか』と何度か頷く。


「父のあとを継ぎたいと、気持ちだけはありました。最初は『雫庵』の中で、
修行をしていましたが、やはりどこか甘えもあり、上達が出来なくて。
その場所を、叔父の経営する『和茶美』に移すことになりました。『雫庵』にも、
もちろんたくさんの職人がいます。でも……江畑さんは、僕にとって、
同じ思いを持てる方だったので、教えていただきながら、とても気持ちが寄り添えました」


聖は、『父を師匠に持つ』ということの大変さを、晶が理解してくれたと、

3年前を振り返る。


「舌の感覚ももちろん大事だけれど、人は環境とか体調によって、味覚が変わる。
だから、数字と両方、しっかり押さえなければならないと、基本の基本を習いました」


聖は、本来なら指導する山田がいなくなり、

その後始末をさせられた晶も被害者だと、賢明にフォローする。


「お願いします。江畑さんを、どうかこの家に戻してあげてください。
みなさんが再出発すると言うのであれば、僕は一生かけてお力になります。
ぜひ、お願いします」


聖はその場で頭を下げると、『お願いします』を繰り返す。

今更ながら3年という月日が流れたのだと、彩希はお茶を入れ替えながらそう思った。



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