8 無言の指 【8-5】

【8-5】


「すみませんでした」

「大丈夫か」

「鬼の霍乱だね」


松田さんにそう言われ、中西さんには色々とあったから、

ストレスだよなとフォローしてもらう。

私は取り返しますからと頭を下げて、自分の仕事に取りかかる。

引っ越しのかき入れ時だ。ここは頑張らないと。



視線の先には蒼がいるデスクが見えたけれど、昨日も今日も『MAKINO』にいる日。

休みを知られなくてよかったと思いながら、黒のインクをスポンジに足した。





しかし、さらに3日後、私の頑張りとは別のところで、状況が変わる。

埼玉の実家にいる祖母から、母が倒れたという連絡を受けたのだ。

幸い、すぐに救急車を呼び、大事にはならなかったというが、

以前からストップしたままの手術を、ここで踏み切りなさいと、医師に言われ、

祖父母も母の病気に気付いてしまう。


「うん……」


血管のこと、胃のポリープのこと、そして肝臓の数値までよくないものだったという報告。

祖母は、私から母を説得して欲しいと言い、お金は自分たちがなんとかすると言い始める。

なんとか出来るくらいなら、最初からそうしてもらっているよと思いながら、

私は受話器を置いた。



そうなるともう少し……借りないと。

そうしたとして……



数字を紙に書き、返済方法を考えようとしたけれど、

働き始めたことで、逆に『これ以上は無謀だ』という現実を、体が訴えてくる。

それでも、悔しさは確実にそこにあって、目から流れる涙で紙がよく見えなくなった。

なんとかしたい。でも、思いだけでは世の中は動かない。



蒼……



何をどう考えても、どうにか別のところに気持ちを向けようとしても、

何も出てこなくて。



次の日、以前、社長から渡された名刺を持ち、携帯で連絡を入れる。

今度は、『渡した伝票に誤りがありましたので』と報告すると、

何か気付くところがあったのか、午後、こちらに来て下さいと連絡が戻ってきた。





3回目の『MAKINO』東京支社訪問。

今回が一番、気持ちが重い。

慣れた手続きを済ませて、言われた部屋に向かう。

部屋に入ると、蒼はすでに座っていた。


「お忙しいところ、申し訳ありません」


私は頭を下げる。


「どうぞ」


言われたままに座る。


「もう……無理するな」


蒼は全てわかっているという意味なのか、1冊の通帳を出してくれる。


「とにかく親戚にもローン会社にも借りている金額は全て返して、
風音の生活費は別だと思わなければダメだ」


母の入院。借金の返済。

私の目は、出された通帳に向かう。

『古川蒼』の名前。


「情けないね……あんなふうに言っておいて、私」

「早く気付いてよかったんだ。別にそんなふうに思っていないから」


跳ね返すことなど出来ずに、通帳を両手で受け取る私。

開いてみると、そこに入っていたのは150万という金額で。


「蒼、これ……」

「入っているだけだから。風音が考えて金額を決めたらいい。
生活を立て直すために、とりあえず」


150万円のお金。

こんなふうに簡単に差し出せる人なんだ、蒼は。


「いつまで無理して突っ張るのかと、気になっていたけれど、こっちから言えば、
風音はいつまでも跳ね返すだろうと思っていた」


そう、出来ることならここには来たくなかった。

『同級生』だからこそ、プライドだけは持ち続けたかったけれど。

蒼は目の前で手を組むようにする。

私からも蒼からも言葉が出ないまま、時計の針だけが規則正しく進んでいく。

カチカチ、カチカチと。


「風音」

「何?」

「俺の父親、仕事の事故で亡くなったって、お前、知っていたっけ」

「うん……」


蒼の父親は、仕事の中で事故に遭い亡くなった。

だから、お給料は出ていたのだろう。

同じ母子家庭だったけれど、蒼の家はうちのような平屋の公営住宅ではなく、

賃貸マンションだった。


「この間、海が見える場所にいたこと、お前、何も聞かなかったな」

「エ……あ、うん」


そう、私が助手席で寝てしまった時のことだ。

聞いてはいけないと思い、聞かなかった。


「理由があるから行ったのだろうと思ったし、聞いて欲しいようにも見えなかったから」


そう、眠い目をこすって見た蒼の顔は、このまま海に吸い込まれそうなくらい、

どこか寂しげだった。


「あの場所なんだ。あそこで親父が亡くなった」


海の見える港。

蒼のお父さんは、あの場所で仕事中、トラブルに巻き込まれ海に落ちた。


【ももんたの小ネタ交差点 8】

風音が利用した『スマイルローン』。昔と違って、こういった会社のCMも
今は、おしゃれですね。借金をしているというより、うまくお買い物が出来るように、
助けてもらうというような感覚かな。私はどうも古い人間なのか、
『そうなるのなら、買うのを辞めよう』と考えてしまうのですが。



【9-1】



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