9 期待の芽 【9-3】

【9-3】


「あぁ……肩が重い」

「揉みましょうか、奥村さん」


ベテラン事務員の奥村さんは、視力の悪さから来る肩こりに、

長い間苦しめられていた。いつも腕を回したり、首を動かしたりして、

ごまかしているが、一時はよくなっても、根本的にはなかなか回復しないという。


「数字を見なければいいのかしら」

「姿勢の問題もあるかもしれませんね」


私は席を立ち、少し奥村さんの肩を揉んでいく。


「あぁ……ごめんね、風音ちゃん。こんなことさせて」

「いえいえ、お世話になっていますから」

「やだ、そういうのプレッシャーよ」


年齢は、母に近い奥村さん。

病院に入院した母の手術が、きちんと成功し、経過も順調だということは、

祖父母から連絡をもらっている。

無事退院し、無理なく暮らしてくれたらそれでいい。


「今度、お昼おごるからね」

「いいですよ、そんなこと」

「いえいえ、そうさせて」


私は、それなら毎日こうして揉みますよと笑いながら答え、

奥村さんは気持ちよさそうに、大好きな演歌をハミングする。


「それでは、今日はこれで失礼します」


中村さんと話をしていた蒼が立ち上がり、部屋を出て行こうとする。

私が『お疲れ様です』と頭を下げると、

蒼もそれに返すように、少しだけ頭を下げてくれた。

扉が開き、そして閉まり、足音で下に降りていくのがわかる。


「はぁ……」


中村さんは一度大きく背伸びをすると、ファイルを見た。

自分の席に座り、用紙を数枚めくる。


「24だろ……やはり『MAKINO』は大きいな」


中村さんはそうつぶやくと、私と奥村さんの方を向く。


「彼さ……古川さん。今、広告のことについて話していたのだけれど、
なかなかしっかり考えていて、鋭いなと思ってさ」


中村さんは、うっかり流してしまうようなポイントにも、

きちんとチェックが入っていたと、用紙を指さしながら、笑みを浮かべる。


「鋭いの? 彼は」


奥村さんは、私の手をポンポンと叩き、ありがとうと言ってくれる。

私は席に戻り、蒼について語る、中村さんの言葉の続きを聞こうと前を見る。


「鋭いね。聞いたら『壮明』を出たって言うし、
まぁ、基礎能力もある人なんだろうけれど……。広告のプロと言える電旺だって、
彼なら通用するよきっと」

「……らしいわよ、彼」


奥村さんの声に、中村さんは『何?』と問い返す。


「彼、『MAKINO』グループの縁者らしいわよ」

「縁? 何、それ」

「なんだか、グループ企業の副社長を務める人が、
お母さんの再婚相手だとかなんだとかで。まぁ、社員の中でも有名だとか……」

「副社長の?」


私は知っているけれど、『キタック』のみなさんは知らない情報。

そう、蒼のお母さんは、とてもきれいな人で、私たちが高校生の頃、

その男性に結婚を申し込まれたのです。

だからあいつは……


「なんでこっちに」


中村さんは、それならば神戸の『本社勤務』ではないのかと、首を傾げてしまう。


「あら、どうして」

「だってそうでしょう。『MAKINO』が大手とはいえ、東京はまだまだ不十分な土地だ。
彼がした仕事だって、最初から『人員整理』ですよ。やりたいですという仕事ではないし」


中村さんは、期待をされている社員なら、やらない仕事だろうと言い、

コーヒーを飲むつもりなのか、サーバーの前に立つ。


「副社長のねぇ……」


私は何も口を挟むことが出来ないまま、書類に視線を移す。


「あ、そういえば奥村さんは、どうしてそんなことを知っているの」


そう、そうだった。

奥村さんは、どうして蒼の事情を知っているのだろう。


「うふふ……。うちの息子が、この間の同窓会で聞いて来たって」

「同窓会」

「そう……高校の同級生の中に、『MAKINO』へ入った人がいるらしいのよ。
それでそんな話題になって。私が聞いたところによると、『自ら』だって言うわよ」

「自ら」

「そう、古川さんの方が、東京へ行きたいと名乗り出たって」



蒼が自分から東京へ……



「まぁ、でも、言われてみればそうよね。
本社勤務で、もっと上につながる仕事をしても、おかしくないでしょうに」


『MAKINO』の本筋の仕事。

引っ越しや、小さな荷物の移動ではなく、お金ももっと動く、企業相手の仕事。

確かに花形はそちらだろう。


「風あたりも強いだろうけどね。元々優秀な人間が入るから。
経営者一族と縁があるとなると……。しかも、親の再婚で急に縁を持ったわけだろ」


中村さんはそういうと、

『武者修行か』とコーヒーの入り終わったカップを握り、席に戻る。


「会いたい人でも……いる……とか?」


『会いたい人』

そう言われ、少し自分の鼓動が速くなるのを感じた。

とにかく落ち着けと心に命令を入れていくが、頭の中は、私の気持ちを、

どうもコントロール出来ていない。


「そういうお話あるじゃない。会いたい人がいるから。
僕は、大変なところでも、条件を受け入れて頑張りますって」

「奥村さん、ドラマの見過ぎです」


中村さんは、今時そんな話と、書類をめくりながら笑い出す。


「あ、もう、中村さんは、そういう現実的な性格でいると、
かわいらしいお嫁さんが来ないからね」


奥村さんは、そういうと、『お見合いどうだったの?』と急に話を変えていく。

中村さんがお見合いしたのかと、私もつい、顔をあげてしまって。


「あ……」


バツの悪そうな中村さんと、目があった。


【9-4】



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